復興の兆し
中学校の夏休みに暇つぶしのために宿題だった『表紙絵』というのを、自分の分とついでに友人数人の分を描いて提出したら、全部の作品が表彰されてしまうという珍事をやらかした経験のある輪島政義です。
はぃ、皆さんお早う御座います。
私は腐っていた。全ての事柄にもう何の興味も沸いてこない。
時計の秒針が一つ進むのさえ苦痛なほど長く感じられる。
こんな自分の醜態を晒せるはずもなく、隆達との交流や組事務所への顔出しも無くなっていた。
ただ虚しく、目の前の女性に肌の温もりを分け与えてもらいながら一日が早く過ぎ去っくれるのをひたすら待った。
こんな時は日本酒に限る。この奥深い甘ったるさが私を現実から開放して遠いところへと誘ってくれるからだ。
そんなことを繰り返している内に、気がつけば季節は初夏を向かえていた。
世間は日に日に意味もなく浮かれモードに突入し始める。私はただ箱に閉じ篭って逃げることにのみ専念する。
あまりにも惨めではないか。
この現状に違和感なく染まり続けるぐらいなら、今すぐに自ら命を絶つべきだ。
私は自身の残りカスから搾り出した最後の意地で、昼の仕事が同じ職種で付き合いのあった北永という先輩の所属する月本商会という会社に就職させてもらうべく連絡を入れた。
「あの、良かったら月本商会で雇ってもらえるように北永さんから月本さんに聞いてみてもらえませんか?」
もはや元の親方に合わせる顔など皆無だった私は、別のところに泣きついたのだ(ぐぐ)。
既に逃げ癖が板についてきていた私の情け無い手段だったが、この時はこれが精一杯だった。
すると親方である月本さんも快く承諾してくれて、その数日後にはなんとか元の職種に復帰する事になる。
ほんの数ヶ月だったにも関わらず、ブランクの影響が想像以上に厳しく圧し掛かり、初めは悔しい思いもした(ムキーッ)。
それでも、とにかく仕事を我武者羅にこなして親方からの信用も少しずつ得始めた。
ずっと気掛かりだった元の親方にも正式に謝罪を済ませて、なんとか人間としての再起を果たすようになる(ほっ)。
その年も残り僅かにせまったある日、残っていた各屋台も継続は困難と判断し、とうとう我々の屋台村は完全に消滅したのだった。
丁度その頃、既に離婚から7ヶ月程経っていた私は、未練からなのか何となく元妻に電話を掛けてみた。
すると、たまたま本人が出たので居留守も使われずに会話する事が出来た(超らっき)。
これまでの全てを詫びる私を哀れんだのか、数日後に会う約束までしてくれた。
立ち上がるまでに成長したあの時の赤ん坊(おぉ!)の写真を見せて貰うと、失ったものの大きさを改めて認識した。
そしてその晩、理恵は私の体を優しく包み込んでくれた。私は調子に乗って口を滑らせる。
「結婚してくれへんか。」
「それは ちょっと・・・。」(ですよねー)
当然だ。見事な玉砕だったが、一応『恋人』という位置づけにはして貰えたようだった。
ガタガタガタガタッ ダーン! ダゴーッン!
年が明けた平成七年一月十七日、午前五時四十六分五十二秒。日本中を突如震撼させる大災害が発生した。
『阪神・淡路大震災』だ。
通信も交通も全てのアクセスが麻痺して一時的に陸の孤島と化した街はパニックを起こしていた。
都心部では高層ビルが倒壊して大きな道路に巨大な壁を造り、私の住む東灘区も高速道路が崩落して下に走る国道43号線を封鎖し、木造の文化住宅は軒並み跡形も無く瓦礫と化した。
緊急非難場所になった公民館や学校は、なかなか届かない救援物資を待ち侘びる被災者で溢れ返る。
公共の一部の体育館には連日、山のように大量の死体が次々と運びこまれてくる。
それはまさに地獄絵図だった。
家の柱などの下敷きになって、今にも断末魔の叫びが聞こえてきそうな程もがき苦しんだ表情の死体。
必死に逃れようと腕をいっぱいに伸ばして指先まで力を入れた状態のまま固まった死体。
肋骨が大きく陥没して内臓が飛び出しそうになっている死体。
それぞれの人生が一瞬にして奪われて、今はこの同じ床の上にズラリと並んでいる。
そして、その中にあの武広の姿も見つけた。
木造アパートに住む武広を心配して駆けつけた同級生の話では、その時にはまだ息があったらしい。
崩れ落ちてきた天井から彼女を庇うような体勢で、苦しい、苦しいと何度も訴えるが、その場にいる人数では屋根を退ける事など出来ない。
それでも希望を捨てずに耐えるも、救急隊が到着する三十分程前についに力尽きたそうだ。だが、彼女だけは殆ど無傷で救われていた。
無言の武弘の顔は愛する人を守り抜いて、どこか誇らしげだった。
生存者最優先で救助しなければならない救急隊員や地元の消防団の青年達にしても、普段なら緊急手術や人工蘇生などで助かる可能性のある人達を見捨てざるを得ない悔しさは計り知れなかった事だろう。
生き残った多くが自分に出来る事を探して、この緊急事態を共に乗り切ろうと奔走していた。
極稀に水の2リットルのペットボトルを五百円で販売するコンビニが出てきたりもしたが、その晩に集団強盗に遭って店が空っぽになっても誰も同情しなかった。
やはり日本の災害対応の早さは大したもので、電気は翌日には使えるようになる地域が結構でてきて、ほんの数日後にはガスも水道も広範囲で復旧していた。
その頃、ほぼ倒壊したような家から急に火の手が上がる事があった。
まだ『地震保険』というものが一般的に普及していなかったので、この中の幾つかは『火災保険』の適応を見越して自分で放火したと思われるケースもあった。
しかし、自然災害による火災は保険対象にはならないので、単に周囲に多大な迷惑を掛けたに過ぎなかった。
初めは混み合って通じにくかった回線が落ち着いてきた頃、ようやく理恵の家に電話が通じた。
被害が比較的に少ない地域に住んでいたお陰で理恵や家族は全員無事で、周辺は電話やその他も問題なく使えていたらしい事が確認できたので、安心してその日は電話を切った。
その翌日、以前ハピネスに勤めていた女の子からたまたま連絡があった。
そこで新しく働き始めた店に遊びに来て欲しいと頼まれたが、場所の説明を聞いてもよく分からない。
仕様が無いので何度か相手をしたことがある彼女の家に向かった。
まだ通行出来ない道路が多く、電車も中途半端な位置までしか開通していなかったので、2つ隣の街まで行くだけでも結構な苦労をした。
やっとの思いで到着すると、まだ出勤時間まで相当あったので私はゴロンと仰向けになって煙草を吸いながらボーっとテレビを見ていた。
すると、彼女が私のスラックスのジッパーに手を掛けてゆっくりと降ろし、反応を誘発しだす。
下着越しにそれを確認するなり、今度は私の ”J,r” を露にし、まるでヌルヌルとした生き物が這い回るみたいに舌を絡みつかせると、そのまま喉の奥まで吞み込むような勢いで口いっぱいに頬張りだした。久しぶりの滑らかで豪快な彼女のテクニックを心地良く堪能していると、理恵の顔がふと頭を過ぎった。
いけない。いけない。私の中で天使と悪魔がチクチクと戦い始める(戦い方よわっ)。
「今日は やめとこや。」
痩せ我慢をしているのを完全に見透かしていた彼女は自身の下着も脱ぎ捨て、艶めく瞳でじっと見つめながら私の理性とはうらはらにギンギンに反り返るヤンチャなJ,rに跨って円を描くようにくねくねと腰を振り始めた。そのまま流れに身を任せてしまいそうになったが、理恵のために何とか私は踏み止まった。
「すまん、今日ワシ生理やねん。」
「はぁっ!??」
意味不明の理由で拒否された彼女の表情は一瞬で怒りに歪み、即座に私のそいつを解放した。
息遣いも落ち着き、だらしなくぐったりと横たわるそれをせわしなく下着にしまうと、私は突き刺さるような視線を食らいながら無言で部屋を後にした。
生粋のエロ男である私が、初めて女性を拒んだ一コマである。
心の中で見事に性欲に打ち勝った自分を褒めちぎりながら(えっへん)意気揚々と自宅に辿り着くと、さっそく理恵と昨日の続きを始める。
そして、安否の確認も取れずに大変な心配をさせてしまった事が辛かった私は素直に謝った。
「ごめんな、心配して何度も電話してくれたやろうに全然繋がらんで。」
すると、意外な言葉が返ってきた。
「いや、電話してへんよ。」
「ぇ・・・?」
駄目だ。もう駄目だ。こんな奴とは今すぐオサラバだ(ムキーッ)。
この一言で私は今の理恵と寄りを戻したいのでは無く、出会った頃の理恵と一からやり直したかったのだと気づいた。
そして、それは儚い夢物語だという事にようやく気づいたのだ。
そうすると不思議な程に最初の時のような未練がましい感情が全く沸いて来なかった。
これからは好きな人でもつくって何処かで勝手に生きてくれればそれで良い。そう思った。
私は電話の相手に別れを告げて受話器を置くと、もう二度と振り返らないという決心を固めた。
こんなことなら、やっぱり今日あのまま最後までしておけば良かったと後悔したかと問われれば、意外とそれも無い妙な感じだった。
交通機関が概ね復旧し、道路整備も順調に進むに連れて仕事への支障は徐々に軽減されていった。そうなると被害を受けた建物の改修工事の受注が一気に入り、目の回るような日々が始まった。
そんな中、未だに姉さんとだけがどうしても連絡が着かないのが気になって仕方なかった。何度電話を入れても必ず娘が出てきて、今お母さんは出かけていると繰り返すばかりなのだ。
正月に龍政会で集まった『事始式』の時には特に変わった様子も全く無かっただけに、震災で姉さんの身に何かあったのではと、兄貴分達も皆一様に心配していた。
そんな矢先に親分から電話が入り、予想もしていなかった話を聞かされる。
「今、姉さん○○署にパクられて柄持ってかれとんねや。」
「えっ!?容疑は何ですの??」
連絡が着かなかったのは震災前の一月上旬に逮捕されて、そのまま身柄を警察署に拘束されているからだと知らされた私はすぐに事情を聞き返したが、親分も『銃刀法違反』だというのを確認できただけで詳細までは把握していなかったようだ。
まだ高校生と中学生の娘二人を残したまま留置所の中であの大震災に襲われたのだから、どれほど心細かった事だろうか。
娘達も子供ながらに我々に余計な心配を掛けまいと、姉さんの所在を隠していたようだった。
それからほんの数日後の一月末、釈放された姉さんから連絡が入り、ようやく話す事が出来た。
安心した私が逮捕されるまでの詳しい経緯などを訊ねると、どうやら何者かにハメられたらしいと気の抜けた声で答えた。
ピンポーン 「宅急便でーす。」
こんな夜遅くに珍しいと思いながらも姉さんが玄関のドアを開けると、宅配業者を装った1人を含む私服刑事四~五人が立っていた。何やら紙を提示しながら喋っていたが、突然の衝撃のあまり内容はよく覚えていないらしい。
軽く家宅捜索を済ませると、今度はハピネスに同行するように命令してくる。
自宅から三分ほど歩いて店の鍵を開けると、一人の刑事が一番左奥のソファーに向かって一直線に歩いて行く。
そしてそのソファーを持ち上げると油紙に包まれた拳銃一丁が出てきたというのだ(ぬお!)。しかもその拳銃は数日前に起きた民間企業を狙った発砲事件で使用されたものだったのでまた面倒だ(なぬー)。
匿名で拳銃の隠されている詳しい位置まで的確に知らせる不自然な密告に不審を抱いていた刑事も、実際にモノが出てきてしまった以上は全く身に覚えが無く無実だと訴える姉さんを逮捕するしかなかった。
四十八時間拘留の後に再々(さいさい)拘留まで打たれて、最終的に証拠不十分で釈放されるまでに拘留期限MAXの二十六日間も拘束される事になったのだ。
私はその間も相変わらず本妻以外の女の所に入り浸り、伸び伸びと過ごしていた親分に対して憤りさえ覚えた(ふっ)。
さて、姉さんを嵌めた犯人だが、龍政会はこれといった敵対組織も無く恐らく個人的な私怨である事は予測できたものの、疑い出すと誰もかれもが怪しく見えるのでキリが無かった。
この一件で一時的に人間不信に陥った姉さんは、そのまま私の憩の場であったハピネスを廃業させてしまった(はぅ)。
復興も着々と進み、仮設住宅での新たなスタートを余儀なくされた一部を除いてはほぼ通常の生活が戻ってきた。
そんなある日。親分の兄弟分だった某組長と、別の組の若頭補佐の二人に弁護士事務所まで連れていって欲しいと車の運転を頼まれたので、仕事の休みの日に合わせて引き受けた。
目的地に向かいながら顔に青タンを作った二人に恐る恐る事情を訊ねてみると、何処かのラウンジで酒に酔った二十代後半ぐらいの若い四人組が行き成り絡んできて殴り掛かってきたというのだ。
「お前らヤクザやろ!ヤクザがなんぼのもんじゃいっ!」
店が引っ繰り返るような大暴れに慌てた従業員が警察に通報すると、加害者である四人組だけではなく、一切手出しをしていない被害者二人も地域指定暴力団の構成員という理由で現行犯逮捕されてしまったそうだ。
弁護士事務所で依頼を済ませた2人は、私選弁護人の着手金である三十万円ずつを段取りする必要があった。
すると、その件を聞きつけたまた別の組の組長から見舞金として費用を肩代わりしてやるとの有り難い連絡が入る。
そのまま待ち合わせをした喫茶店に車を向かわせ、三人+私が合流した。
肩代わりを申し出てきた親分のところは今では武闘派として健在する数少ない組の一つで、抗争相手にカチコミを掛けてチャカで弾いてやっただのと何とも物騒な会話を続けた。
何処かでうっかり話そうものなら、どちらからも命を狙われかねない内容を聞かされて、私はとても迷惑だった(ぶひー)。
その後、弁護士が警察に働きかけて二人は加害者の四人組同様の『起訴猶予処分』になり、なんとか起訴は間逃れた。
しかし、『不起訴処分』では無く『起訴猶予処分』という事は、一方的にやられたにも関わらず『起訴しても良い所を今回は様子見として一応しないでおいてやる』という意味である。
なんとも世知辛い時代になったものだ。
他にも例えば、自分が暴力団員だと匂わせた上で脅し文句として「殺すぞ!」などど言おうものなら、下手をすれば『殺人未遂罪』になりかねない程だった。
これは暴力団対策法、所謂『新法』施行以降に極道者に降りかかって来た悲劇の一つといえた。
私が龍政会の組員になってからも、昼の仕事以外での詐欺や恐喝による『シノギ』に組の名前を出した事は一度も無かった。
組自体が小さかった為に、単に何かの拍子に代紋が貫目負けをしてしまうと、それだけで大きなハンディキャップになってしまうからだ。
そんな小さな組だったからこそ、一番新参者だった私も数人の先輩を飛び越えて『会長付』という名目上は親分の秘書のようなものに当たる役職に出世していた。
身内が何らかの軽犯罪で逮捕される度に、資金集めなどで兄貴分達と駆けずり回る事こそあったが、私が自分の事で組に何かを頼る事は無い。
そういったことが続いて次第に代紋の値打ちが見出せなくなってきた私は、組事務所を覘きに行ったある日、若頭補佐をしていた五歳年上の信三という兄貴分に相談する。
この信三に対して本来なら『兄貴』と呼ぶべき立場なのだが、垣根を越える程に打ち解けていた我々は「政義」「信三君」と呼び合う仲にまでなっていた。
「今のヤクザっちゅうんは、堅気でよう生きていけへん奴らが我らに都合のええ理屈こねて、傷舐め合いながら支えおうてるようにしか見えまへんねや。」
落ち着いた様子で黙って聞いている信三君に続けた。
「自分は代紋なんぞ無くても充分生きていく自信がおます。せやから、そろそろ龍政会抜けさして貰おうかと思てますねん。」
私が素直に伝えると、実は信三君もこのまま極道を続けていく事にそろそろ限界を感じていたと聞かされる。
居酒屋に場所を移してその日は笑いながらお互いに散々愚痴り合い、なんだか酒がやたらと旨く感じた。
そんな事があった数日後。
親分が組員全員を事務所に呼びつけて、一同の顔を一通り見渡すと重たい口を開いた。
そして、我々はとうとうその時が来たのだと薄々感づいていた。
「皆、今までよう着いてきてくれた。せやけどこの辺がもう潮時や。本日をもって龍政会を解散する!」
主な収入源になっていた組の経営する物流会社の売り上げを親分が着服し過ぎて運転資金が回らなくなり、経営が厳しくなってきていた上に、屋台村への投資で失敗したのが決定打になったのだ。
普通こういう場面では「親っさん何言うてはりまんねや!」「ワシは一生親っさんに着いて行きまっせ!」などの熱い言葉が飛び出しそうなものだが、この時ばかりはその場に居合わせた全員が反論もないまま呆気なく決定に至る。
それは寂しい程の、ある意味『円満解散』だった。
何処からとも無く奏でられる美しい鈴虫の音色が秋の訪れを知らせる。
私も既に二十歳になっていた。最近は遊びの方は少し控えめだ。
そんな頃、ハピネスが閉店し、龍政会が解散してからは会う機会もめっきり減ってしまっていた姉さんから久しぶりに電話がかかってきた。
「久しぶり~!私 またラウンジに勤め出してんけど遊びにきてーや!」
私は二つ返事で電話を切ると、さっそく出動した。
目的地のラウンジ『サガーラ』は車で三十分程の場所にあり、飲酒運転をするには些か長めの距離ではあったが、姉さんに会えると思うだけで全く苦にならなかった。
高級感溢れる外観に少し緊張しながら扉を開けると、ここでも素敵な出会いが私を待っていた。
これが、まさか再び茨の道へ足を踏み入れる切欠になろうとは、この時はまだ知る由もなかった。