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鉄仮面令嬢の事情

作者: 青井はる
掲載日:2026/09/28

「ヴィクトリア、これを君に」


レオンハルトは真紅の薔薇の花束を婚約者へ差し出した。

花に詳しいわけではないレオンハルトにはよくわからないが、王宮でしか栽培されていない貴重な品種の薔薇らしい。王妃である母から、王子妃教育で王宮に来ている婚約者にプレゼントするようにと渡されたものだった。

レオンハルトの婚約者であるヴィクトリア・ベルフォール公爵令嬢は、光輝く銀色の髪に冬の海のような深い青の瞳を持つ美少女だ。

成績は常に学年首席、マナーも完璧、高貴な佇まいは次期王妃にふさわしい。

ヴィクトリアはサッと視線を斜め下に落とし、氷のような鉄仮面のまま一礼した。


「はい。恐れ入ります、殿下」


お礼の言葉を口にしながら、目は一切笑っていない。

それどころか、薔薇を受け取ると逃げるようにすぐに去っていってしまった。

少しお茶でも、と誘う暇もなかった。

いつも通りの塩対応にすっかり自信をなくしていたレオンハルトはため息をついた。

完璧令嬢と呼ばれる彼女の唯一といっていい欠点。

それは致命的なまでに無表情で素っ気ないことである。


(あんな人形のような令嬢と結婚して、俺は温かい家庭を築けるのだろうか…。俺、ヴィクトリアに嫌われてるよな、絶対)


レオンハルトとヴィクトリアが婚約をしたのは今から8年前、10歳の時のことだ。

当時のヴィクトリアはもっと表情豊かで、はにかむように笑う可愛らしい少女だったというのに。

王子妃教育の賜物か、ヴィクトリアはすっかり人形のように表情が抜け落ちた令嬢になってしまい、当時抱いていた淡い恋心はすっかり萎んでしまった。


そんな彼の心を癒やしていたのが、最近学園で熱烈にアプローチしてくる伯爵令嬢のセレーナだった。


「殿下ぁ、昨日の乗馬の授業、とっても素敵でしたぁ! 誰よりも乗りこなしててさすがですぅ!」

「そうか? セレーナはいつも俺をよく見てくれているんだな」

「当然ですぅ! 殿下のことなら、なーんでも知りたいんですからぁ」


セレーナはコロコロと表情を変えて楽しそうに笑い、レオンハルトの腕にこれ見よがしに胸を押しつけてくる。


(やっぱり、女の子は表情豊かな方が可愛いよな。セレーナは俺の事をいつも見ていてくれるし誉めてくれるし、一緒にいて楽しい)


すっかり上機嫌になったレオンハルトは、生徒会室で執務をこなしながら側近候補である公爵令息のクリストフに愚痴をこぼした。


「なぁクリス、ヴィクトリアは俺のことが嫌いだよな。あんなに冷たい目を向けられたら気が滅入る。それに比べてセレーナは、いつも俺を見て素直に喜んでくれるし、伴侶にするならセレーナのような…」

「殿下」


クリストフは冷ややかな目でレオンハルトを見つめ、ピシャリと言い放った。


「表面的な愛想に騙され、真実を見ようとしないのは暗君の始まりです。セレーナ嬢の計算高くて中身がからっぽな偽物の言動に癒しを求めるより、まずはご自身の婚約者と真摯に対話すべきでは? 己の努力不足をヴィクトリア嬢のせいにするのはやめた方がいいです」

「な、なんだと…!?」


味方をしてくれると思っていたクリストフからの、まさかのお説教。

レオンハルトは裏切られた気分になり、「もういい!」と部屋を飛び出した。

むしゃくしゃしながら学園の中庭を歩いていると、最悪なタイミングでヴィクトリアが向こうから歩いてきた。相変わらず凛とした、涼しげな美貌だ。

彼女はレオンハルトに気づくと、いつも通りサッと視線を斜め下に落とし、流れるような動作で会釈をして通り過ぎようとする。


「待ってくれ、ヴィクトリア!」


ガシッと力任せに彼女の手首を掴み、強引に引き留める。

先ほどクリストフから対話をするべきと言われたレオンハルトは、自分の言いたいことを彼女にぶつけてやろうと思ったのだ。


「君はいつもそうだ! 俺が声をかけてもすぐに去ろうとする。もう少し愛想というものを…」


文句を言いかけたレオンハルトの言葉が、喉に引っかかって止まった。

何故なら振り返ったヴィクトリアの顔が、信じられないほど真っ赤だったからだ。


「ひゃ、あ、で、殿下…!?」


あの鉄仮面はどこへやら、ヴィクトリアは限界まで目を見開き、金魚のように口をパクパクさせている。


「え? は?顔、顔が真っ赤だぞ? 熱でもあるのか?」

「ち、違います! これは…その…っ」


 ヴィクトリアは涙目で両手で顔を覆ったが、指の隙間から覗く肌は耳の裏まで茹で上がったタコのように赤い。レオンハルトは思わずその手を掴んで顔を覗き込み、一気に問い詰めた。


「違うってなんだ!? なんだその顔は、俺に掴まれたのがそんなに嫌なのか!? そんなに俺が嫌いか!?普段のあの、氷のように冷たくて、何を考えてるかさっぱり分からない鉄仮面はどこにいったんだよ! 」

「ひ、うぅ…ち、違…」

「教えてくれ!なんでそんな顔をするんだ!」


レオンハルトは混乱していた。ヴィクトリアの表情が変わるのをみたのは実に数年ぶりだった。

この数年、好きも嫌いも楽しいも悲しいも、ヴィクトリアから感情をぶつけられたことが無かった。

だから、いまの表情の意味が知りたくてレオンハルトは必死だった。


レオンハルトの圧に負けたヴィクトリアは、蚊の鳴くような声で、涙目になりながらぼそぼそと事情を白状しはじめた。


「実は…私は…、幼い頃から極度のあがり症で…赤面症で…っ。大勢の人の前や、緊張する場面ではすぐに顔が真っ赤になってしまうのです…」

「え? いや、でも、いつも完璧にスピーチとかしてるよな…?」

「あれは…必死に精神統一をして、なるべく心を無にして赤くなるのを耐えているのです…。 その結果、あのような、不敬で無表情な鉄面皮と呼ばれる顔になってしまい…」


レオンハルトは衝撃を受けた。

あのクールビューティーなポーカーフェイスは、ただの必死の我慢の副産物だったのだ。昨日薔薇を渡した時にすぐ目を逸らされたのも、それ以外にも会話中に目が合わなかったりすぐ去っていったりしたのも、ただ赤くなるのを隠すためだった…?


「しかし…、精神統一しているのに、何故いまはポーカーフェイスを保てていないんだ?それに、あきらかに避けているのは俺だけにだろう。他の生徒と普通に会話しているのをよく見るし、夜会やお茶会もそつなくこなしていたはずだろう?」


自分だけをあからさまに避けるヴィクトリアの姿を見てきたから、レオンハルトは自分だけが嫌われていると思っていたのだ。

ヴィクトリアは顔を俯かせる。


「ほ、他の方相手なら、なんとか目を合わせても冷静でいられるようになってきたのです…でも…殿下の前だけは、どうしても…どうしても制御できなくて…」

「なんで俺の前でだけ?嫌いだからか?」


ヴィクトリアは首をぶんぶん横に振り、ボタボタと涙をこぼしながら叫んだ。


「お、お慕いしているからです…! 殿下の前で、不細工に赤くなって失望されたらと思えば思うほど…」


ドカーン!

レオンハルトの脳内で何かが大爆発した。


(え?ちょ、可愛すぎない!?)


嫌われてるどころか、理性で押さえられないほど好かれていた。

美人コミュ障が自分にだけ限界突破してデレている。

レオンハルトの心臓は滅する寸前である。

元々外見は好みドストライクで、次期王妃としての能力も備えていて、唯一の欠点だと思っていた素っ気ない無表情の謎も解けた今、ヴィクトリアへの愛情メーターが爆上がりしていた。


しかし、レオンハルトが衝撃で固まっていたのを見て、ヴィクトリアは絶望的な勘違いをした。


「…やはり、こんな感情のコントロールもできない女、王妃にふさわしくありませんよね。私、婚約の辞退を申し出ます…。本当はもっと早くそうするべくでしたのに…」


ぽろぽろと涙を流す完璧令嬢。その健気さに、レオンハルトの理性がぶっ飛んだ。


「いや、だめだ!! 君がいい! 君じゃなきゃ絶対嫌だ!! 好きだ!!」


中庭に響き渡るレオンハルトの絶叫に、ヴィクトリアがはっと目を見開く。


「俺にだけ赤くなるなら政務に問題ないだろう! むしろ俺だけの特権だと思うと踊り出しそうなほど嬉しい! だから辞退なんて言わないでくれ!」


がしっと手を掴んで熱烈な告白をするレオンハルトに、ヴィクトリアは顔だけでなく、ついに首元まで一気に真っ赤に染まった。目を潤ませて震える彼女の姿は、レオンハルトの心臓を撃ち抜いた。


(待て…!首まで赤くなってるけど、これ、制服の下はどうなってる…?)


レオンハルトの脳内で、男の本能全開な妄想が暴走を始める。


(全てを脱がせて白い肌を露わにしたら、どこまで赤くなってるんだ?鎖骨か?胸か?それとも…!うあぁ! 想像しただけで俺の理性が死ぬ! 結婚まであと半年はあるだと…!? )


レオンハルトは、ヴィクトリアの事を伴侶として不安視していたのが嘘のように、早く結婚したいと望むことになった。




それからのレオンハルトは、完全にヴィクトリア溺愛モードへと切り替わった。

毎日のようにヴィクトリアの元へ通い詰め、「今日も世界一可愛い」とベタ甘な言葉を囁いては、彼女を真っ赤な可愛い生き物に変えて、周囲にヴィクトリアの可愛さと自分達の仲の良さをアピールした。

周囲の生徒達も、近寄りがたい氷の令嬢かと思っていたら、ただのウブな可愛い女の子だったと気付き、温かい目を向けるようになった。


面白くないのは、王子の婚約者の座をヴィクトリアから奪ってやろうと狙っていた伯爵令嬢のセレーナだ。

ある日、セレーナは学園の廊下でレオンハルトを待ち伏せし、涙目で縋りついた。


「殿下ぁ! どうして最近、私に冷たいんですかぁ! 愛想の無い婚約者より、 私といる方が楽しいって言ってくれたのにぃッ!」


わめき散らすセレーナを、レオンハルトは冷たい目で一瞥した。


「以前の俺は確かにそう思っていた。だがヴィクトリアと心が通じ合った今ならわかる。君の笑顔や言葉は、計算高くて中身が空っぽな偽物だ」

「なっ!!」


以前クリストフが言っていた言葉をほぼ引用しながら冷たく言い放ってヴィクトリアの手を引き、背を向けるレオンハルト。


「俺が間違っていた。ヴィクトリア、一生をかけて償うよ。ごめんね」

「い、いいえ…!私の態度のせいですもの…。殿下がセレーナ様に心を向けられても仕方がなかったと思います」

「そんな事を言わないでくれ、ヴィクトリア。俺の心はもう君だけにしか向かない」

「で、殿下…」

「レオンと呼んでくれと言っているのに」

「う、うぅ…。そ、そのうちに…」


甘い空気を撒き散らしながら去っていく二人を見送りながら、セレーナはしばらく呆然としていたが、やがてフンッ!と地面を激しく踏みつけた。


「なによあのアホ王子! 人のこれまでの努力を中身が空っぽだなんて失礼しちゃうわ! 良いわよ、あんな男こちらから願い下げよ! ふん! もっと良い男を捕まえてやるんだから! 見てなさいよっ!」


セレーナは涙を乱暴に拭うと、負け惜しみを叫びながら、彼らと反対方向へ走り出した。


放課後、夕日に染まる中庭で仲睦まじく手を繋いで歩くレオンハルトとヴィクトリア。

そんな二人の姿をクリストフは生徒会室の窓から見下ろしていた。

クリストフは眼鏡を外し、疲れたように眉間を押さえた。

クリストフの脳裏に浮かぶのは、幼い頃から見てきた従妹・ヴィクトリアの姿だ。

人一倍不器用で、極度のあがり症。レオンハルトの名前が会話に出るだけで、耳まで真っ赤にして「殿下にふさわしい人間にならなければ」と、血の滲むような努力を重ねてきた彼女を、クリストフはずっと近くで見守ってきた。


(僕がどれだけ望んでも、ヴィクトリアがその愛らしい顔を向けるのは、あの無神経な王子だけだ…)


クリストフは、胸の奥に灯る小さな恋心を静かに押し殺した。


「ふぅ…。鈍感で不甲斐なく、頭の中がお花畑な殿下ですが…」


レオンハルトに甘い言葉を囁かれ、夕日よりも真っ赤になって俯くヴィクトリアの、これ以上ないほど幸福そうな笑顔が視界に入る。


「…ヴィクトリア。君がそれほど幸せそうに笑えるなら、僕の役目はここまでだ」


クリストフは、切ない微笑を一瞬だけ浮かべると、未練を完全に断ち切るように眼鏡を軽く押し上げ、静かに窓から離れた。




数年後。

国王夫妻となった二人は、国内外からおしどり夫婦と称えられていた。


「今日も我が王妃は、世界一美しくて可愛い」

「へ、陛下! 国民の前で、そのような私的な発言はおやめください!」


気高く完璧な王妃が、国王の前でだけ見せるデレ。

その仲睦まじい姿は、国民の憧れとなっている。

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