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「空に溶けていく煙」 ――ある祖母の九十三年の記憶――

作者: 竹の春と猫
掲載日:2026/06/12

----------


九十三歳の夏だった。


縁側を吹き抜ける風はやさしく、庭の木々は静かに揺れていた。

私は長い人生の終わりが近いことを感じていた。

不思議と怖くはない。


ただ、一つだけ願いがあった。


毎年、千葉から会いに来てくれる「よりちゃん」に、もう一度会いたい。


それだけだった。


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私は大地主の家に生まれた。


桃畑が広がり、牛やヤギを飼い、牛乳やヤギ乳を売る家だった。


近所では、

「頭がいい」

「器量がいい」

とよく言われた。


ありがたいことに女学校へも通わせてもらえた。

当時としては恵まれた娘だったのだろう。



女学校を卒業すると、地域の伊那銀行頭取の息子・保と結婚した。

伊那銀行とバス会社を経営し、

且つ農家を行っているかなり裕福な家に嫁いだ。


若く、未来に希望しか見えなかった。



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夫とは二人の子供に恵まれた。

長男・達、達は夫に厳しくしつけられたので、

幼いころからしっかりしていた。


次男・成、成にも夫は厳しかった。

でも目を盗んでは兄にちょっかいを出してやられて、

泣きべそをかいていた。

子供らしいかわいらしさがほほえましかった。



私はあまり口を出さずに夫の教育方針を見守っていた。



達と成はよく田んぼや畑に出かけ虫取りなどをしていた。

達は器用で、竹や網を集めて虫取り網を作り、成に渡していた。

思いやりがある子供だった。



達も成も顔立ちは綺麗で、

その綺麗な顔立ちが遊んで泥んこまみれになって帰ってくる時、

私はとてつもなく幸せを感じた。


けれど幸せは長く続かなかった。


大正三年に始まった第一次世界大戦に夫は出征し、

戦地での傷が癒えぬまま、大正十年の春に逝った。

まだ三十歳だった。


達は一歳七ヶ月、成はまだ生後三ヶ月。

成の顔を見てから逝ったのが、せめてもの救いだった。


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まだ二人の子供は若すぎた。

家を守るにはと夫の親と一緒に頭を悩ませた。


家を絶やすわけにはいかなかった。



夫の親は、保より四つ年下の弟・信を呼び戻した。


信はすでに別の土地で妻子を持っていたが、

家の方針に従い、信は一人息子とともに帰ってきた。


望んで始まった縁ではなかった。

お互いに複雑な気持ちを抱えたまま、暮らしが始まった。


簡単なことではなかったが、

家を守ることの大切さが個人の感情より優先される時代。


元の奥様は、信が家の決定に従うことに対して、不満は言わなかった。

望んだことはただ一つ。

「この子を不自由なく育ててください。」


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信の連れ子・篤は、達より二つ年上だった。

がっちりとして大柄な、信に似た顔立ちの子だった。



この子も不安があるはずなのに、長男として育てられたからなのか、

賢いからなのか、とても物分かり良く、

父である信の意見に従い、

前向きに先に進むという意思をもっていると感じられた。


篤は子供の頃から機械が大好きだった。

まだラジオが珍しかった大正の末、

どこからか部品を集めては分解し、仕組みを調べていた。

カメラも同じだった。

目を輝かせながら達と成に教える篤の姿は、

まるで小さな先生のようだった。


川の流れのように、自然に、達と成は篤を長男と認め、敬意を抱いた。


私は元奥様との約束を守り続けようと固く心に誓った。

そしてその子を実の子以上に大切に育てた。


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共に暮らすうち、やがて朗が生まれた。

大正十二年のことだった。

正式に夫婦となったのはその三年後、大正十五年のことである。


それからも子供たちは続いた。

利、詠子、そして(より)、延子。



私は約束を守るため、

篤を戦争で死なせるわけにはいかなかった。

どんなに金がかかっても。


篤は東京の日本大学専門部医学科へと進んだ。

昭和十二年、日中戦争が始まり軍医が不足する中、

篤は軍医となったが戦地には行かず、日本国内で兵士の治療を行った。

医者になるまでにとてつもなくお金がかかった。

出し惜しみはしなかった。

絶対に約束を守ること。

それだけだった。


その代わり、達は陸軍へ、成は海軍へと送り出された。


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達は昭和十二年に始まった日中戦争で右目を失った。

それでも生きて帰ってきてくれた。

それだけでよかった。

白く濁った右目と残った左目で、

静かに私にささやいている気がした。

「あんまり心配しないで、大丈夫だから」 と。


達はその後、長野で農業を守り、

本宅を任せられるほど立派な男になった。

片目での作業なのに、

手先が器用で鶏をさばくのも人一倍早くやってのけた。

叔父が経営している養鶏所でも即戦力として働いた。

本当に頼りになる子に育ってくれた。


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成は海軍の制服がよく似合った。

まるで俳優のようだった。


昭和十六年、

太平洋戦争が始まると戦地へと送り出された。


胸が張り裂けそうだったが、

この子も無事に帰ってきてくれた。


戦後はあまり多くを語らなかった。


整った顔立ちの中に愁いを含みながら、

一言「大丈夫だから」 と。

その後は名古屋で働き、堅実な人生を歩んだ。


性格がまじめすぎたため、いい顔立ちのわりに、

結婚は少しゆっくりだった。


子宝には恵まれなかったが、

穏やかに会社で働きながら生活できているようだ。


----------


朗は、子どもの頃から動物が好きだった。


ある日、子牛が弱って立てなくなった時も、

大人がどんなに「家に帰れ」と言っても、

子どもだった朗は夜遅くまでそばを離れなかった。


私はその姿を見て思った。

「頑固すぎるねぇ。でもこの子は動物を助ける仕事をするかもしれないねぇ」


その予感は当たった。

朗は獣医になり、

昭和二十五年に家畜保健衛生所法が施行されると、

千葉県の家畜保健衛生所に獣医師として就職した。


頑固なところはずっと変わらず、

自分の言ったことを貫き通しすぎて、

対立することがよくあった。


千葉県に行く事も難色を示す周りの声をお構いなしに、

突き進んでしまった。


その後、

一番その頑固さに巻き込まれたのは「よりちゃん」だった。


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利は、すらりとした顔立ちのハンサムだった。


若い頃は家の牛乳配達を手伝ってくれたが、

その後東京へ出てホテルマンになった。


制服姿を見るたび

「やっぱり似合うねぇ」とうれしくなった。


しかし昭和十六年に太平洋戦争が始まると

ホテルも戦時体制に組み込まれ、

終戦後は連合軍に接収されて営業を休止した。


利もホテルを離れ、戦後は別の道を歩んだ。


利は牛乳配達の合間、

あまり男女の関わりがない時代に、

出合う女学生に話しかけていたらしい。


甘い言葉を簡単に発してしまうので、

家に女学生がちょくちょく訪ねてきた。


彼は彼で、ほめると喜ぶ顔をするからという、

人を笑顔にしたいという思いしかなかったようだが、


その甘い言葉は、

男性と会話になれていない女学生にとっては

ミツバチにとっての花の蜜のような感じだったのだろう。


家の前で女学生が待っている姿はあまり見たいものではない。


あの顔で甘い言葉を言えば、どのような結果になるのか、

少し考えればわかりそうなものだ。


考えずに行動してしまう浅はかさは直してもらいたかった。


----------


利を生んだ後、そろそろ女の子が欲しいと思っていた。


そしてようやく授かった最初の娘。

詠子。


けれど、その子は一歳半で旅立ってしまった。

小さな体だった。

あまりにも短い人生だった。

信似の子供だっただけに、

信は少し寂しそうだった。


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その後に生まれた男の子は未熟児だった。


小さくて、小さくて、抱くのも怖いほどだった。

実家のヤギ乳がなければ助からなかったかもしれない。


その子の目はくりくりしていた。

まるで人形のようだった。

私は思わず笑ってしまった。

「なんてかわいい顔なんだろう」


昭和八年一月三十日生まれの(より)


その子は家族や近所のみんなから

「よりちゃん」と呼ばれるようになった。

「よりちゃん」は周りからそう呼ばれることを、

微塵も嫌がらず、にこにこしていた。


五十歳を過ぎても周りが「よりちゃん」と呼ぶことに、

「よりちゃん」の娘が驚いて尋ねたことがある。


「嫌じゃないの?」


「まったく嫌じゃない。何が嫌なんだい?」


「よりちゃん」はひょうひょうとしていた。


その娘もいたずらな顔をして「よりちゃん」と父を呼び始めた。

「よりちゃん」はにこにこしながら見ていた。


----------


「よりちゃん」のあと、

二年後に次女・延子が生まれた。


その子は信似で、

いつも私のそばでお手伝いしてくれた。


別宅を継ぎ、頑固で自分の意見を曲げない婿を迎えても、

文句ひとつ言わなかった。


私は知っている。

あの子は誰より頑張っている。


布団ではねずに、いつも居間で寝て、

誰よりも早く朝餉を用意し、

誰よりもたくさんの仕事をしている。


だから何度でも褒めてやりたい。

よくやってくれたねぇ、と。


----------


延子が生まれるまでの間にも、

時代は容赦なく押し寄せてきた。


昭和四年、

世界恐慌の余波が昭和恐慌となり、

昭和六年には県内の銀行統合が相次いだ。

伊那銀行も統合の波に飲み込まれ、合併を繰り返し、

名前も変わり、やがて手放すしかなかった。


昭和十五年、

陸運統制令でバス事業への国家統制が強められ、

昭和十六年には金属類回収令で車両も取られた。

バス会社は廃業するしかなかった。


銀行もバス会社も失い、暮らしは一気に苦しくなった。


それでも農業だけは残った。

実家の桃園とウシとヤギ。

畑と実家のおかげで生き延びられた。

小さい子供たちも飢えさせることなく育て上げることが出来た。


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昭和十九年の秋、

B29による東京への空襲が本格化した。


仕事のために東京・道玄坂の別宅にいた朗と利、

そして遊びに来ていた「よりちゃん」を急いで長野へ避難させた。


本当に間一髪だった。

みんな無事でよかった。


長野に戻った「よりちゃん」は山の上から東京の方を見て、

明るいとつぶやいた。


昭和二十年の春、

B29の大空襲で東京に火の手が上がっていた。


「よりちゃん」はいつも淡々としているが、

この時の光景は心に残っているらしく、

自分の娘にもあえて話をしていると聞いた。


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昭和二十年八月、戦争が終わった。


東京の家も跡形もなくなってしまった。

登記簿も燃えてしまったので証明できず、

そこに居続けた人のものになってしまった。

何もかもなくなってしまった。


でも、これで戦争に子供たちが取られることはなくなる。

ようやく穏やかになると思った。

その矢先に信が亡くなった。


あ~~~人生はなかなか休ませてくれない。


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それでも子供たちが支えてくれた。


篤は豊橋で小児科を開業した。

達は長野で農業と本宅を守った。

成は名古屋で堅実に働いた。

朗は千葉県の家畜保健衛生所に獣医師として勤めた。

利は戦後、別の道を歩んだ。

延子は長野に残り、達と一緒に農業と別宅を守ってくれた。


頼は……


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その頼は、頭の回転が速く、囲碁や将棋が強かった。


達に似て手先もとても器用だった。何でも自分で工夫してしまう。

けれど、その器用さは時々とんでもない方向へ向かった。


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高校生の頃だった。

昭和二十五年、

朝鮮戦争が勃発し鉄の値打ちが急に上がった頃のことだ。


「よりちゃん」は戦後の焼け跡に残った鉄くずを集めては売っていた。


銀行もバス会社も失い、

暮らしが苦しくなっていたあの頃。

家の足しにしようとしていたのかもしれない。

本人は面白半分と言っていたが、私にはわかっていた。


だが問題になり、とうとう停学処分になった。


あの時ばかりは私も本気で怒った。

家中に響くほど大きな声を出した。


暮らしが苦しいのは私の問題だ。

お前が背負うことではない。


賢い子だったからこそ、人の道を外してほしくなかった。

だから怒らなければならなかった。


「よりちゃん」も珍しくしょんぼりしていた。

今では笑い話だが、あの時は本当に腹が立った。


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「よりちゃん」は工場で働いた後、

朗が半ば強引に千葉県の技術系教員の試験を受けさせた。


昭和三十年代、

高度経済成長で工業高校が急増し技術系教員の需要が高まっていた頃のことだ。


「よりちゃん」は十歳上の朗には頭が上がらず、

素直に言うことを聞いた。


こうして「よりちゃん」はずっと朗と同じ千葉県に住むことになる。


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「よりちゃん」はなかなか結婚をしなかった。


見かねた朗がお見合いをさせた。

「どんな人がいい?」と聞かれた「よりちゃん」の答えは、

働きもので、健康な人。


朗が探してきた相手は国語教師の女性で、

高校時代バレーボール部で茨城県準優勝した経歴のある方だった。


「よりちゃん」はその方と三十八歳の時に結婚した。

二人の子どもに恵まれた。


息子はお嫁さん似。

娘は「よりちゃん」そっくりで、本当に瓜二つだった。

その子を見るたび、あのくりくりした目の赤ん坊を思い出した。


かわいい。


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毎年夏になると、「よりちゃん」は千葉から会いに来てくれた。

延子もその日を楽しみにしていた。

兄妹で話している姿を見ると、私は幸せだった。


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そして私には、もう一人ずっとそばにいてくれた相棒がいた。


キセルだった。


夫を亡くした夜も。

子どもを失った日も。

戦争の不安な夜も。

キセルだけは黙って隣にいてくれた。


煙をひと筋、空へ流しながら。


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九十三歳の夏。


私は静かに思った。


そろそろお迎えが来るのだろう。

でも悪くない。

家で死ねる。

それがうれしい。


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「よりちゃん」。

「よりちゃん」に似た娘。

いつもそばにいてくれた延子。

そして延子の娘。


みんなにありがとうを伝えた。

もう思い残すことはない。


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私は枕元のキセルを手に取った。


長い人生を共に歩いた相棒だった。


「よりちゃん」を呼ぶ。


息子「よりちゃん」が顔を近づけた。


私はゆっくりとキセルを差し出した。

「これ、お前にあげる。」


「よりちゃん」は驚いた顔をした。


私は笑った。

「長いこと、私のそばにいてくれたんだよ。」


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人は生まれる。

生きる。

そして死ぬ。


その姿を子や孫に見せることもまた、

親や祖母の最後の役目なのかもしれない。


私はそう思った。


庭では蝉が鳴いている。

夏の光が縁側に差し込んでいる。

その光の中で私は静かに目を閉じた。


胸の中には、たくさんの感謝と家族への愛だけがあった。


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キセルは「よりちゃん」へ託された。

ただの形見ではない。


激動の時代を懸命に生き抜いた、

九十三年の人生そのものだった。


「よりちゃん」はキセルを受け取り

さみしそうに微笑んだ。


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父はキセルに火をくべ、空へと煙をふかした。


祖母が見せてくれた人の生死。その境目。


人は最後息を大きく吸って、ゆっくりと吐き出しながら、旅立つこと。


あの日見た命の終わりは、

父の出す煙と一緒に、静かに空へ溶けていった。



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父がなくなり、そのキセルは今、私が引き継いでいる。

大好きなよし恵おばあちゃんと、「よりちゃん」の思い出とともに。


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R.I.P.

激動の時代だったことが伝わるよう細かい時代背景を入れました。

本当にすごい時代を生き抜いてくれたと思います。

あと、時系列を少し整えましました。


よし恵おばあちゃんには本当に感謝しております。


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