3話
目を覚ますと、柔らかな布の感触が背中を包み込んでいた。 ぼんやりとした視界が少しずつ鮮明になり、天井の装飾が目に飛び込んでくる。淡い光が差し込み、模様の陰影が静かに揺れていた。どうやら屋敷の客室らしい。
上体を起こし、周囲を見渡すと、すぐ近くのソファーで誰かが丸くなって眠っていた。 黒いメイド服に白いエプロン、頭には小さなカチューシャ。ぴくぴくと揺れる猫耳と、ソファから垂れ下がる尻尾が目を引いた。 口を半開きにして寝息を立て、尻尾はだらしなく床に伸びている。耳が時折ぴくりと動き、夢の中で何かを追いかけているようにも見えた。
その時、扉が静かに開いた。 ルフィリアが姿を現す。
入ってきた彼女と一瞬視線が交わる。
その直後、ソファから小さな寝言が漏れた。
「……おやぁ……すみ……」
途切れ途切れの声は、まるで夢の中でもさらに眠ろうとしているかのようだった。 ルフィリアの目がそちらへ移り、猫耳のメイドがだらしなく寝返りを打つ姿を見つける。
「……起きていましたか」
小さくため息をつきながら、呆れたように言葉を落とした。
そして俺の方へ視線を戻し、
「昨日は、本当に申し訳ありません。」
唐突な謝罪に、思わず息を呑んだ。 彼女の表情は冷静さを保っていたが、昨日のことを思い出しているの頬少し赤くし謝罪した。
「いえ、こちらこそ失礼なことを言ってしまいました。気にしないでください」
ルフィリアは小さく頷き、ほんの一瞬だけ柔らかな笑みを浮かべた。 それはすぐに消えたが、確かに彼女の心からの謝意が伝わってきた。
少し間を置いて、俺は昨日のことを思い出す。
「そういえば……昨日のピンク色の髪の人は何だったんですか?」
ルフィリアはわずかに眉を寄せ、ため息をついた。
「ロロアです。私と同じ亜神の一人。……彼女に会うと、いつもあんな感じで」
その声音は冷静さを保っていたが、わずかに頬が赤らんでいるのが分かった。 嫌っているわけではない。むしろ、彼女の存在を否定するような響きはなかった。 ただ、思い出すだけで少し恥ずかしく、どう扱えばいいのか分からない――そんな困惑が滲んでいた。
彼女はすぐに話を切り替え、ソファーへ歩み寄る。 猫耳のメイドの肩を軽く揺すりながら、静かに声をかけた。
「ルパ、ほら、ちゃんと起きてください。朝食の時間ですよ」
「んん~」
瞼がゆっくり開いたが、次の瞬間にはまたソファに沈み込むように目を閉じてしまう。
その様子を見ながら、俺は思わず口を開いた。
「……この子は誰なんだ?」
ルフィリアは肩を揺すり続けながら、ちらりとこちらに視線を向ける。
「ルパです。屋敷で働いているメイドなので、起こしてくるようお願いしたのですが、見ての通りです」
ルフィリアの視線の先にいる、だらしなくよだれを垂らしソファに沈む彼女。
「怠け者で、よく仕事をさぼり寝ています。けれど、不思議と憎めないのです」
ルフィリアは小さくため息をつき、しかし声にはどこか優しさが混じっていた。
「さぁ、起きてください」
「んん……あさ?」
ルフィリアは呆れたように眉を寄せ、すかさず突っ込みを入れる。
「……あなた、もう一度寝直しているでしょう。さっきまで起きていたはずです」
「ふぁぁ……だって眠いんですもん……」
ルパは尻尾をだらしなく揺らしながら、寝言のように返す。
ルフィリアは深いため息をつき、俺の方へ視線を戻した。
「こういうところが彼女らしいのです。起こしに行かせても、結局二度寝してしまう」
俺は思わず苦笑した。
ルフィリアは肩をすくめ、猫耳のメイドをもう一度揺すった。
「ほら、ちゃんと起きてください、朝食の時間ですよ」
「……はぁい」
ルパはソファーからずり落ちるように立ち上がり、尻尾をだらんと揺らしながら欠伸をした。
ルフィリアは俺に向き直り、静かに言った。
「では、食堂へ向かいましょう」
俺は頷き、まだ半分眠そうなルパと並んで立ち上がった。 窓から差し込む朝の光が、廊下の奥へと続く道を照らしていた。 こうして俺たちは、朝食の席へと向かうことになった。
白いクロスがかけられた長い食卓の上には、焼きたてのパンが籠に盛られ、果実を切り分けた皿が彩りを添えていた。銀の食器は朝の光を受けて淡く輝き、スープの湯気がゆらゆらと立ち上り、香ばしい匂いが部屋を満たしていた。窓の外では庭の花々が風に揺れ、光の粒子が漂うように舞っている。
ルフィリアは椅子に腰を下ろし、姿勢を正すと静かに口を開いた。
「改めて自己紹介をしましょう。私は――ルフィリア・ロイ・リヴァリタス。亜神の一人です」
その声音は落ち着いていて、けれどどこか張り詰めた響きを持っていた。俺は思わずスープの匙を止め、彼女を見つめる。
「亜神……?」
問い返すと、ルフィリアは少しだけ視線を落とし、考えるように言葉を選んだ。
「亜神とは、信仰心や勤勉さを認められた人間が、まれにその境地へ至る――そう語られています。けれど、正直なところ私自身もすべてを理解しているわけではありません。実際、私は神ロイを熱狂的に信仰しているわけではないのです。ただ、歩んできた道の果てに、気づけば亜神と呼ばれる存在になっていました」
彼女はパンをちぎり、ゆっくりと口に運ぶ。その仕草は何気ないものなのに、言葉の重みと相まって、まるで歴史の断片を語るように感じられた。
「そして亜神に至った者には、必ず『ロイ』という名が与えられます。それは神ロイの加護を受けた証であり、同時に責務でもあるのです」
俺はその言葉を噛みしめながら、窓の外に目をやった。庭の奥には町の屋根が見え、煙突からは白い煙が立ち上っている。人々の暮らしの気配が、ここまで届いていた。
「この世界は神ロイによって創造されました。そしてその時点で、夢はすでに人々に与えられていたのです。夢は欲望を満たし、現実を和らげる。だからこそ、この世界では争いは起きていないとされています。人間もエルフも獣人も、互いを傷つける理由を持たないのです」
彼女は少し間を置き、静かに息を吐いた。
「もちろん、夢が人々を救うのか、それとも囚えるのか――その答えはまだ誰にも分からないのです」
スープを口に運ぶと、温かさが喉を通り、胸の奥に広がった。けれどその温もりとは裏腹に、ルフィリアの言葉は冷たい予感を残す。争いがない世界――それは理想郷のように聞こえるが、どこか不自然な静けさを感じさせた。
食事を終えると、ルフィリアは椅子から立ち上がり、食堂の扉へと歩み出した。衣の裾が揺れ、淡い光がその紋様を照らす。
「町を案内しましょう。夢と現実が交わるこの世界を、あなた自身の目で確かめてください」
俺は頷き、彼女の後を追った。扉の向こうには、光に包まれた町の景色が広がっていた。石畳の道、夢の粒子が漂う広場、異なる種族が肩を並べて暮らす姿――そのすべてが、俺の知る現実とはあまりにも違っていた。




