29話
復興が進む街の空気は、日ごとに埃っぽさを失い、新しく削られた木材の匂いが混じるようになっていた。
瓦礫の撤去作業は力仕事だが、不思議と活気に満ちている。俺もこの四日間、炊き出しの薪を割ったり、崩れた石壁を運んだりと、慣れない作業に汗を流していた。
「おーい、裕真!」
ふいに、背後から声をかけられると同時に、右肩に温かくて柔らかな重みが乗った。
振り返らなくてもわかる。この、どこか弾むような声と、迷いのない手の置き方。
「……ロロアか。びっくりするだろ」
「ほら、ちょっと休憩にしよう? 差し入れの冷たい水、もらってきたから」
以前、初めて名前を呼ばれたとき。顔を真っ赤にして裾を掴んでいた彼女は、もうそこにはいない。
この数日、彼女の距離感は明らかにバグっている。
呼ぶときは必ずと言っていいほど肩や背中に手が触れるし、何かを覗き込むときは腕を掴んでぐいぐい寄ってくる。さっきだって、俺が重い石を運んでいるときに「あ、危ないよ!」なんて言いながら、腰のあたりを支えるように手を添えてきた。
「はい、どうぞ」
手渡されたコップを受け取る際、彼女の指先がわざとらしく長く、俺の手に触れた。
ドキッとしているのは俺の方だけで、ロロアはいたずらが成功した子供のような、完璧に整った笑顔を浮かべている。
俺の戸惑いなんてお構いなしに、ロロアは「んっ」と背伸びをして、俺の腕に自分の肩をぴたりと寄せたまま街を眺める。
「ねぇ、裕真。綺麗になったと思わない?」
そう言って俺を見上げる瞳には、今という時間を一秒も漏らさず噛み締めようとする、強烈な意志が宿っていた。
肩が触れ合う距離で、ロロアがふと足を止めて街を眺める。
ふわりと伝わってくる彼女の体温。以前ならもっと離れて立っていたはずだが、今の彼女は、それが当たり前であるかのように俺の隣に並んでいた。
「……あー、お楽しみのところ失礼します……」
背後から、低体温な敬語が響いた。
振り返ると、そこには頭の後ろで手を組み、今にも寝落ちしそうな顔をしたルパが立っていた。猫耳が左右に力なく揺れ、尻尾は地面すれすれを揺蕩っている。
「あ、ルパ。お疲れ様」
「お疲れ様です、小林さん。……ロロア様も。……相変わらず、距離が近いですね」
「ちょっと、ルパ。そんなんじゃないわよ。私はただ、裕真がこの街をどう思ってるか聞いてただけ」
ロロアは落ち着いた口調で返すが、俺の腕に触れている手は離そうとしない。指先が、服の生地越しにわずかに力を帯びているのがわかった。
ルパはそんな様子を、感情の起伏がない半眼でじっと見つめ、小さくため息をつく。
「はいはい。仲が良いのは結構なことですが、残念ながら用件です。手短に言いますね」
ルパは懐から、無造作に折られたメモを取り出した。
「ルフィリア様がお呼びです。詳細は知りませんが二人とも、今すぐ屋敷に来てほしいとのことです。」
「るーちゃんが? 分かったわ、すぐ行く」
「私は戻って寝ますので。」
ルパは、力なく踵を返そうとした。そのふらつく足取りを見て、俺は思わず声をかけた。
「ルパ。一緒に戻ろう、俺たちも今から屋敷に行くんだから。」
その言葉を、彼女は待っていた。
言い終わるか終わらないかのうちに、ルパは見事な跳躍を見せ、俺の背中にすとんと飛び乗ってきた。首に回される細い腕と、腰を挟み込む脚。
「そうですか。それなら背中お借りしますね。」
復興作業の初日、あまりに眠そうにしていた彼女を冗談半分で負ぶって以来、これが彼女の定位置になってしまった。
「おやすみなさい。」
「ちょっと、裕真。甘やかしすぎじゃない?」
ロロアが少しだけ不満げに眉をひそめる。彼女は一瞬だけ寂しげに指先を遊ばせ、それから俺の半歩後ろを歩き出した。
ルパの微かな寝息、後ろからはロロアが砂利を踏む音。
三人で歩く道は、驚くほど穏やかで、ずっと続いてほしいと願いたくなるような時間だった。
屋敷に到着し、玄関でルパを他のメイドに預けたあと、俺とロロアはルフィリアの執務室へと向かった。扉をノックして中に入ると、そこにはルフィリアが、見慣れない一人の男性と向かい合って座っていた。
その男は、白い装束に身を包んでいた。腰には立派な剣を携えており、背筋を伸ばして座るその姿からは、鍛え上げられた武人の規律が感じられた。
俺たちが部屋に入ると、ルフィリアは書類から顔を上げ、笑みを浮かべた。
「二人とも、急に呼んでしまってすみません。」
ルフィリアの横に俺とロロアが並んで腰を下ろすと、向かいに座る白い服の男性を軽く手で示した。
「紹介します。彼はルカと言い。王都から派遣された騎士団の方です。今回の騒動で現れた化け物について、当事者である二人の話を聞きたいらしいのです。」
彼女がわざわざ俺たちを呼び出したのは、この騎士が持ってきた情報が、この街にとって無視できないものだったからだ。
「お初にお目にかかる、亜神ロロア様。そして小林殿」
騎士は静かに一礼し、俺たちを見据えて語り始めた。
「本来、現実崩壊症によって生まれた化け物は、命が尽きれば雲散霧消し、跡形もなく消えるものです。しかし……今回のラシェルの街での事件は違いました」
騎士は机の上に、いくつかの報告書を広げた。
「この街が強固な結界によって守られていた影響か、はたまた別の要因か……。あの化け物の死体は消えず、そのままの形で残りました。我々はその死体を回収し、王都へと持ち帰り、現在詳細な調査を行っています」
俺とロロアは思わず顔を見合わせた。あの日、街を恐怖に陥れたあの異形の肉塊が、消えずにそのまま研究対象になっている。
「死体が残ったことで、これまで分からなかった化け物の構造が解明されつつあります。その調査を担当している者たちが、実際に現場で戦った、二人の声を直接聴きたいと言っているのです」
ルフィリアが深い知性を湛えた瞳で、俺たちをじっと見つめる。
ルフィリアに促され、俺はあの凄惨な光景を思い出す。
ロロアの横顔を見ると、彼女は自分の膝の上で拳を握りしめていた。その結果として起きた悲劇を、彼女は今どんな思いで振り返っているのだろうか。




