黎明
28話から少し経った後の話です
あの日から数日が経ち、復興は少しづつだが進み、街はその面影を取り戻し始めていた。
私は今、街のメイン通りで復興の手伝いをしている。といっても、ただ、崩れた瓦礫を脇に寄せたり、炊き出しの準備で火を焚いたり、街の人たちと冗談を言い合ったりしてるだけだ。
「ロロア様、こっちの火、見ててもらってもいいかい?」
「任せて。」
ごく自然に、街の人たちと言葉を交わす。
不思議だった。あんなに自分を追い詰めていた日常が、今は少しだけ軽くなっている。あの日、妹の墓前で枯れるほど泣いて、溜まっていた澱をすべて吐き出したからかもしれない。
(……でも)
ふとした瞬間に、胸の奥が熱くなる。
それは罪悪感とはまた違う、今まで一度も感じたことのない、妙に落ち着かない。
「――おーい、ロロア。やっと見つけた」
人混みの向こうから、聞き覚えのある声がした。
「あ……」
その姿を認めた瞬間、体温が上がるのを感じた。
パタパタと小走りで駆け寄ろうとしたけれど、あと数歩というところで、私は急に足が止まってしまった。
「どうした? 」
「……っ」
小林がこちらを覗き込むようにして声をかけてくる。
いつも通りの、少しぶっきらぼうで、けれど温かい声。
返事をしなきゃ。いつものようにしなければいけないのに。なのに、思うのにできない。
小林を凝視できない。
(……なんで?)
あの日、私を引っ張ってくれた彼の手。
私の醜さを全部ぶちまけたのに、「そんなの知らん」とはねのけてくれた横顔。
墓前でみっともなく泣き喚く私を、ただ黙って見守ってくれた優しさ。
それらの記憶が一気に押し寄せてきて、顔から火が出るんじゃないかと思うほど熱が上がる。
「……ロロア? 顔、赤いぞ。まだ熱でもあるんじゃ……」
「な、なんでもない! ちょっと火の番で熱かっただけ!」
私は慌てて視線を地面に落とし、両手で頬を抑えた。指先からも、自分の顔が尋常じゃないくらい熱いのが伝わってくる。
どうしよう。あんなに自分の過去とか罪とかで悩んでたのに、今はそれ以上に、目の前のこいつを直視するのが、死ぬほど恥ずかしい。
「本当か? 具合が悪いなら、無理せず休めよ」
心配そうに一歩近づいてくる小林。その気配が近づくだけで、心臓の音が耳元まで響いてくる。
今までなら、もっと平気で接せられたはずなのに。
「だ、大丈夫だってば! 今仕事中だからあっち行ってて!」
自分から近寄ってきたのに一度も目を合わせないまま、私はまくしたてるように言葉を吐き出した。
視界の端に入る彼の靴すら、今の私には刺激が強すぎる。
(言いすぎちゃったかな?…もうなんなのこれ)
自分を「気持ち悪い」と思っていた頃とは、また別の意味で、自分の体や気持ちが言うことを聞かない。
でも、このどうしようもない恥ずかしさも、騒がしい心臓の音も、私が今を生きている証拠なんだろう。
俯いたまま、赤くなった顔を隠すようにして、私は必死に呼吸を整え、炊き出しに戻る。
炊き出しの大きな鍋を洗い終え、ようやく一段落ついた。
手伝いの人たちに「後はお願いね」と声をかけ、私は広場の隅にある大きな木陰へと逃げ込んだ。
午後の柔らかな日差しが、木の葉の隙間からこぼれて地面に揺れている。
草の上に腰を下ろし、火照った顔を冷ますようにふぅ、と息を吐いた。
「お疲れ。隣、いいか?」
返事をする前に、すぐ隣にあの気配が並ぶ。小林だ。
さっきはあんなに無様に逃げてしまったけれど、流石にいつまでも顔を合わせないのは失礼だ。……何より、今の私はちゃんと彼と向き合いたいと思っている。
私は膝を抱える腕に力を込め、ぐっと勇気を出して、ゆっくりと彼の方を向いた。
「……あ、うん。お疲れ様、小林。あんまり無理しちゃダメだよ」
やっとの思いで視線を合わせる。
夕陽を背負った彼の顔は、影になっていて少し見えにくいけれど、その真っ直ぐな瞳はやっぱりあの日と同じで……。
直視した瞬間、また顔に熱が昇るのがわかったけれど、今度は逸らさなかった。
「……街、少しずつ直ってきたね」
「ああ、そうだな。みんな、驚くほど前向きだ」
視線を街の方へ移す。瓦礫が片付けられ、あちこちで家屋の修復が進んでいる。
いつもなら、いくらでも言葉が溢れてくるはずだった。
でも。
(……なんで、だろう)
言葉が出てこない。
沈黙が流れる。嫌な沈黙じゃないはずなのに、隣に彼がいるという事実だけで、喉の奥がぎゅっと詰まったようになってしまう。何を話しても、自分の声が上擦ってしまいそうで。
結局、私たちはしばらくの間、ただ風が木の葉を揺らす音だけを聞いていた。
「……さて。そろそろ行くよ。ルフィリアの手伝いにも顔を出してこないとな」
小林がよっこらしょ、と立ち上がった。
彼が離れようとする。ただそれだけのことが、今の私にはどうしようもなく寂しく、嫌なことに感じられた。
「あ……待って」
無意識に、彼の服の裾を掴んでしまった。
自分でも驚くほど小さな声。小林が不思議そうに足を止める。
「もうちょっとだけ、休んだって罰は当たらないでしょ?」
上目遣いで彼を見上げる。恥ずかしくて死にそうだけど、今はまだ、この静かな時間を終わらせたくなかった。
小林は一瞬きょとんとしてから、「……まあ、そうだな」と苦笑して、また隣に腰を下ろしてくれた。
それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
この不思議な落ち着かなさを誤魔化すように、私はふと思いついたことを口にした。
「ねぇ……小林。あの日の約束覚えてる?」
「約束?」
「もう…忘れたの?小林が前いた世界の話聞かせてって」
彼がどこから来たのか、そこでどんな風に生きていたのか。
あの日、私を救ってくれた彼を作った「世界」のことを、もっと知りたかった。
小林の話してくれる元の世界の話は、私の想像を絶するものばかりだった。
空を飛ぶ鉄の塊、夜を昼間のように照らす魔法のような光、そして誰もが自分の意志で、どこまでも遠くへ行ける自由。
聞き入ってしまうほど、その景色は鮮やかで、目を見張るものばかり。
お伽話よりもずっと現実味を帯びて響く彼の言葉に、私はいつの間にか、自分自身の抱えていた小さな悩みさえ忘れて聞き入っていた。
けれど、彼の話が核心に触れ、その世界の豊かさや大切にしていた日常が透けて見えるたび。
私の胸の奥に、さっきまでの高鳴りとは違う、ちくりとした冷たい感情が芽生え始めた。
(……もし)
もし、この世界に彼を元の場所へ戻す手段があったら。
私の前から消えてしまうんだろうか。
彼は、この不自由で、残酷なことばかりが起きるこんな世界よりも、あの輝かしい世界に帰りたいと思うのが普通なんじゃないかな。
「ねぇ、小林……」
気づけば、握る手に、ぎゅっと力がこもっていた。
聞くのが怖い。けれど、聞かずにはいられない。
「もし……もしも、元の世界に戻る方法が見つかったら。……小林は、帰っちゃうの?」
顔を見ることができなくて、私はまた視線を落とした。
返事が来るまでのわずかな沈黙が、永遠のように長く感じる。
心臓の音がさっきよりもずっと速く、そして痛いほどに脈打っていた。
「……どうだろうなー」
どこか遠くを見るような目で、ぼんやりと呟いた。
その曖昧な言葉が今の私には肯定のように聞こえた。それが、どうしようもなく不安で、胸の奥が手で握りしめられたように苦しかった。
あの日、私を引き戻してくれた彼。
私の醜さも、汚さも全部受け止めて生きろと言ってくれた彼。
そんな彼にとって、この不自由で、残酷なことばかりが起きる世界は、やっぱりただの寄り道に過ぎないんだろうか。
(嫌だ。行かないで)
喉元まで出かかったその言葉を、私は必死に飲み込んだ。
本当は、聞き返したかった。帰らないでと言いたかった。
でも、今の私にはそんなことを言う資格なんてない気がした。
だって、彼には彼の人生があって、彼を待っている世界がある。
それを私の我儘で縛り付けるのは、醜い独占欲でしかない。
それに……。
彼はこの世界の人じゃない。
傷だらけになっても誰かを守ろうとする彼が、いつか本当に壊れてしまう前に、元の平和な場所に帰れるのなら……それはきっと、喜ぶべきことなんだ。
そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、視界がじんわりと滲んでくる。
「そっか。そうだよね。あんなに凄い世界なんだもん。……当たり前、だよね」
顔を上げられないまま、私は震える声で精一杯の相槌を打った。
隣にいる彼の体温が、今はとても遠く感じる。
木陰で、私はただ、いつか離れてしまうかもしれないその裾を、誰にも気づかれないようにぎゅっと握りしめ続けていた。
昔のあたしなら、ここで「そっか」と物分かりのいい顔をして、自分から心閉ざしていたかもしれない。傷つくのが怖くて、嫌われるのが怖くて、また「あたしなんて」と自己嫌悪の殻に閉じこもって、そのまま彼との距離を永遠に広げていたはずだ。
(……だったら)
彼が元の世界を素晴らしいと思うのは止められない。
けれど、この世界からもう帰りたくないと思わせるくらい、あるいは、もし帰る日が来たとしても「あそこは本当にいい場所だった」と笑顔で思い出してもらえるくらい、素敵な場所にしてみせる。
あたしが、この街を、この世界を、彼にとってのもう一つの居場所にしてみせるんだ。
私は、もう一度強く、決意を込めて小林の裾を、握り直した。
そして、俯いていた顔をゆっくりと上げる。
「ねぇ」
彼という一人の人間に、真っ直ぐに届くように。
「……裕真」
初めて口にするその名前は、自分でも驚くほど甘酸っぱくて、ひどく重みがあった。
小林が、弾かれたようにこちらを向く。その驚いたような瞳を、今度は逃げずに、真っ向から見つめ返した。
「あたし、決めた。この街をね、裕真が帰りたくないなって思うくらい、最高に素敵な場所にしてみせる。……ううん、もし裕真がいつか帰っちゃうとしても、ここが裕真にとって一生の宝物になるような、そんな場所にしてみせるから」
心臓が壊れそうなくらいうるさい。
でも、伝えなきゃという気持ちが次へと溢れてくる。
「この街がもっと綺麗になっていくところ……ちゃんと見てて。絶対に後悔させないから」
夕陽に照らされた彼の顔が、少しだけ赤く染まっているように見えたのは、きっと私の願望だけじゃないはずだ。
名前で呼んだ瞬間に、二人の間の空気が、今までとは決定的に違うものに変わったのがわかった。
私は、もう一度だけ繰り返した。
自分自身への誓いと、彼への精一杯のわがままを込めて。
「だから……しっかり見ててね、裕真」




