2話
「空白期」
ルフィリアは静かに頷き、続ける。
「記録は断片的で、詳しく語られることはほとんどありません。けれど、この国には古くから伝わる話があるのです――」
彼女は目を伏せ、まるで昔話を語るように声を落とした。
「ある村に、夢で何でも作り出す男と、現実の土を耕す女がいました。男は夢で美味しそうな食べ物を生み、村人たちは群がりました。女は畑を耕し続けましたが、誰も見向きもしませんでした。
やがて村人たちは男の夢の食べ物を食べ続け、次々と倒れ、二度と起き上がらなくなりました。夢を信じる者と現実を信じる者は互いに言い争い、村は静けさを失っていったのです。小さな争いはやがて村全体を覆い、互いの言葉は刃のように鋭くなり、人々は分断されていきました。
そんな混乱が続いたある時期に、一人の若者が現れました。彼は夢に頼らず、村人からは軽んじられていた存在でした。けれど、だからこそ夢に囚われることなく女の隣に立つことができたのです。若者は女の畑を手伝い、土を耕し、水を運び、共に汗を流しました。
二人の努力によって畑は豊かに実り、やがて村は再び立ち直りました。人々は夢の危うさを知り、現実の糧こそが命を繋ぐと悟ったのです。」
彼女の声が途切れると、応接間に静寂が広がった。外の灯が窓越しに揺れ、夢の粒子が淡く漂う。俺はしばらく言葉を失ったまま座り込んでいた。寓話はただの昔話にすぎないはずなのに、どこか現実に重なるような響きを持っていた。
ルフィリアは銀の瞳で俺を見つめ、静かに微笑んだ。
「夢は人を救うこともあれば、囚えることもある。現実は苦しく、報われないことも多い。けれど、確かに命を繋ぐ。――人々はその狭間で揺れ続けているのです」
俺は窓の外を見つめた。町の灯が夜に溶けていく。夢と現実の境界はまだ曖昧で、答えは見えない。ただ、この世界に呼ばれた理由を探さなければならない――そう思った。
ふと、最初に彼女と出会った場所のことが頭をよぎった。町の外に広がる平原。風が草を揺らし、人の気配もほとんどない静かな場所で、彼女はただ一人立っていた。偶然のように見えたが、果たして本当にそうだったのか。
「そういえば……どうしてあの場所にいたんだ? 俺が現れる確証なんてないのに」
俺の問いに、ルフィリアは少し首を傾げ、やわらかな声で答えた。
「いつ来るかは分かりません。けれど、私は毎日あそこへ足を運んでいました。感覚で、そうすべきだと思っていたのです」
「毎日……?」
思わず驚愕の声が漏れる。偶然ではなく、必然のように彼女はそこにいたのか。俺が現れることを知っていたかのように。 これなら確かに、さっきルフィリアに話してもらったおとぎばなしみたいだな――そんな風に思った。
ルフィリアは少しだけ愛想よく笑い、肩をすくめるように言った。 おれの驚いた表情で考えていることを読んだのか、そんな風に思わせる笑みで
「私が勤勉だからですかね?」
そんな顔もできるんだと、思わず見とれていたその時――部屋の外から女性の声が響いた。
「るーちゃーんー」
どこかけだるそうなのに、やけに通る声。続けて慌ただしい声が飛んできた。
「お願いです!ドアを開けないでください!」
さっきまでのクールでミステリアスな雰囲気はどこへやら。ルフィリアは青ざめ、肩を震わせていた。そんな姿に驚きつつも、俺は言われた通りドアを押さえようとノブに手を伸ばす。だが次の瞬間、勢いよくドアが開き、右手を弾き飛ばし、鼻先をかすめた。
「あれ、るーちゃんじゃない? おっかしーなぁ、ここにいると思ったんだけどなー」
現れたのは、一見すると聖職者のような格好をした女だった。白を基調としたローブに金糸の縁取り、肩から垂れる布は儀式用のように見える。荘厳さを漂わせる衣装――なのに、鮮やかなピンク色の長めボブが揺れ、彼女は手で望遠鏡の筒を作り、目にあてて部屋を覗き込みながらお目当ての存在を探し出すと思っていたよりも早く見つかってしまったようで
「お!いたねぇーるーちゃん、そんなとこでなにしてるのさ」
「ひぃ!」
彼女が見ている方向はルフィリアの座っていた場所とは真逆。気になって振り返ると――短すぎるカーテンで上半身だけを隠すルフィリアの姿があり、必死に隠れようとしているのが逆に目立っていた。
「てか、るーちゃんこのひとだれ?」
「きゃ、客人です」
カーテンに隠れたまま、短く答えるルフィリアの声は震えていた。
「そーなんだぁー」
彼女は俺の横をすり抜け、ルフィリアに近づき、
「そんなことよりさ~、るーちゃん」
彼女のロングスカートを両手でつかむと
「パンツ見せて!」
勢いよくたくし上げた。
外はすでに暗くなっていたが、まるで後光が差したように光り輝く白。亜神ってこんなこともできるのかと感心しながら、思わず口を滑らせた。
「……白」
その一言に、カーテンがぴくっと動き、無言のままルフィリアがこちらへ歩み寄ってくる。
このままではまずい、と直感し慌てて声を張り上げた。
「すみませんでした!」
腰を九十度に折り曲げ、勢いよく謝罪した瞬間、頭に強い衝撃が走り、気が付いた時には床に叩きつけられていた。
視界がぐらりと揺れ、床の冷たさが頬に伝わり、意識が急速に遠のいていく。最後に見えたのは、真っ赤にした顔でこちらを睨むルフィリアと、転がりながら腹を抱えてゲラゲラ爆笑するピンク髪の女の姿だった。
殴られるのは俺じゃない――そう思ったはずなのに、痛みは確かに俺の頭に残っていた。
混乱と不安が入り混じる中で、こんなはずじゃないと強く思いながら知らない世界での俺の一日目は終わった。




