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蓮の檻  作者: echo
1章

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1話

焦げた空。裂けた大地。

何かが崩れ、何かが叫び、何かが終わっていた。

その中心に、自分が立っていた。けれど、何をしていたのかは思い出せない。

名前も、目的も、感情さえも――すべてが霧の中だった。

耳の奥で誰かの声が響いた気がした。

それが自分の名前なのか、祈りの言葉なのか、あるいはただの幻聴なのかもわからない。

けれど、その呼びかけは確かに自分を揺さぶり、意識を現実へと引き戻していった。


「またこの夢」


それ以外に、説明のしようがない。

目を覚ますと、そこには見慣れた天井。

カーテンの隙間から差し込む朝の光が、夢の残滓を無理やり押し流すように広がっていた。

先ほど見ていた夢の中の世界とは違いすぎて、現実がまるで嘘のように思えた。


枕元のノートを開く。

そこには、いつからか見続けている夢の断片が走り書きされていた。


「空が裂けていた。誰かが泣いていた。

俺は、何かを守っていた……気がする。」


ペンを置き、深く息を吐いた。

夢は、ただの夢だ。

けれど、最近になって、同じ夢を何度も見るようになった。しかも、少しずつ詳細が増えている。

まるで、誰かが自分に思い出させようとしているかのように。


制服に袖を通し、いつも通りの通学路を歩いた。

学校へ向かう途中の景色は、夢の影響のせいなのか。

実際には青く澄んだ空なのに、別の印象が焼き付いて離れない。


焦げた空。裂けた大地。夢の中で見た終わりかけた世界。

その記憶がふと重なり、現実と夢の境界が揺らいだ。

自分に似つかわしくないことを考えてしまったと鼻で笑い、歩みを止めていた足を再度動かし始めようとした、


その瞬間


風が止まり、音が消えた。

鳥の声も、街のざわめきも、すべてが途切れ、世界が一枚の絵のように静止する。


そして周囲の景色が、まるで水に溶ける絵具のように滲み始めた。

色も形も輪郭も崩れ、現実そのものが夢へと飲み込まれていくようだった。

考える間もなく視界は白い靄に包まれた。

足元のアスファルトが、音もなく草原へと変わっていく。


生きてはいる。体にも異常はない。

違いがあるとしたら、通学路がまるで別世界に塗り替えられているという事実だった。


「……ここは、どこだ?」


振り返ると、黒いローブを風にたなびかせた女が立っていた。

その衣装はただの布ではなく、裾や袖に淡い紋様が浮かび上がり、光の加減で揺らめいて見える。

現実離れした装いは、この世界の空気と同じく夢の産物のようだった。


「ここは、神ロイの創った世界。夢と現実が交わる地。」


言葉の意味は理解できない。だが、周囲の異変がそれを裏付けていた。

景色が揺れている。地面も、空も、まるで絵の具が水に滲んだようにぼやけ、形を失っていく。


「あなたの精神がまだ安定していないようです。あなたの不安が、空間を揺らしているのです」


「……なんだそれ……全部、夢なのか? 現実なのか?」





「それは、あなたが決めることです」


その言葉は静かな響きとなって胸の奥に沈み、答えのない問いを残した。

そう言うと、俺の手をそっと取った。


「深く息を吸って、意識を集中させてください。あなたが“ここにいる”と認めれば、世界は形を持ちます」


戸惑いながらも、言われた通りに目を閉じ、呼吸を整える。

すると、揺らめいていた草原が少しずつ輪郭を取り戻し、空の青が濃くなり、風の音がはっきりと耳に届いた。

世界が“現実”のように鮮明になっていく。


「……すごい……」


思わず声が漏れた。


女性は微笑み、手を離した。


「これで少しは安定しましたね」


分からないことだらけだ、なぜここに来たのか理由は様々だが頭の中はまだ整理できない。言葉がうまく出てこない。

それでも、ようやく声を絞り出した。


「……あの、あなたは……誰なんですか?」


女性は静かに答えた。


「私はルフィリアと言います。」


一瞬ためらい、やがて自分も名乗らなければと思った。


「俺は……小林裕真。」


ルフィリアは振り返り、ローブの裾を揺らしながら静かに言った。


「理由を知りたいのなら、まずこの世界を見なければなりません。街へ行きましょう」


戸惑いたじろぐ俺を見て、心読んだのかそう答え歩いていくその後に続くように歩いて行った。

靄はさらに晴れ、草原の広がりが鮮明になっていく。

彼女の歩みに合わせて進むと、その少し奥に町の輪郭が見えてきた。

石畳の道が草原の中に延び、道の両脇には灯が並び、炎ではなく淡い光の粒が揺れている。


「人は欲望や願いを夢に託し、それを現実に映すのです」


ルフィリアの声は淡々としていたが、その意味は重く響いた。

やがて町の姿がはっきりと現れる。

石造りの建物が並び、広場には人々が集い、夢の光が淡く漂っている。


「ここが……街……」


ルフィリアは振り返り、衣装の紋様が光を受けて揺らめく中、静かに言った。


「人々は夢と共に生きています。あなたも、すぐに理解するでしょう」


混乱はまだ消えない。 だが、世界は確かに“在る”。夢ではなく、現実として。 その境界が揺らぎながらも、少しずつはっきりと見えていくのを、ただ見つめていた。


町の喧騒を抜け、石畳の道をしばらく歩くと、ひときわ大きな屋敷が姿を現した。

白壁は陽光を受けて柔らかく輝き、屋根は緩やかな曲線を描きながら端に精緻な装飾を抱えている。

黒鉄の門は重厚でありながら繊細な意匠を宿し、庭には季節の花々が整然と咲き誇っていた。並木道は奥へと真っ直ぐ伸び、屋敷の正面玄関へと導いている。

その光景に思わず息を呑んだ。豪奢さだけではない。秩序と静謐が満ちていて、立っているだけで心が澄んでいくような気がした。


ルフィリアは足を止め、振り返った。


「わたしの屋敷です」


建物全体に圧倒されていたが、ふと視線を門へ移すと、そこには紋章が刻まれていた。円の中に三つの意匠が組み合わされている。


「……この紋章、何を意味しているんですか?」


ルフィリアは静かに答えた。


「光の羽は、神ロイが人々に授けた加護を象徴します。夢の水面は、揺らぎながらも形を持つ世界の根源を示す。そして輪の欠片は、亜神の在り方を表しています。」

 

 屋敷の中へ入ると、広い廊下が続いていた。壁には精緻な装飾が施され、天井には淡い光で描かれた紋様が広がっている。床は磨き上げられた石で、歩くたびに微かな反射が足元を照らした。その美しさに圧倒され、言葉を失った。


応接間に案内されると、ルフィリアは椅子に腰を下ろし、ゆっくりと語り始めた。


「ここは神ロイによって創造された世界です。種族は多様で人間、エルフ、獣人、ドワーフ、そして亜神。魔族や天使族も存在しますがお互い争うことなく、このリベルタ大陸で共存しています。」


彼女の指先が机の表面を滑るたび、光沢のある木目が淡く反射する。

その仕草は何気ないものだったが、言葉の重みと相まって、世界の広がりを示す地図をなぞっているようにも見えた。

俺の知る世界とはあまりにも違っていた。人間同士ですら争い、国境を築いてきた世界に比べれば、ここは理想郷のように思えた。

だが同時に、夢と現実が融合したこの世界には、まだ理解できない危うさが潜んでいるようにも感じられた。


「……俺は、どうしてここに呼ばれたんですか?」


 核心を問う俺に、ルフィリアは静かに見つめ返した。

「私にも分かりません。ですが、それはあなた自身が歩む中で見えてくるでしょう」


 彼女は少し間を置き、机の上に置かれた一冊の古い本をなぞりながら、この世界の歩みを語り始めた。


「この世界の歴史は、まずレヴェリオン暦から始まります。神ロイが世界を創造し、種族を導いて文明を築いた、信仰と秩序の時代です。人々はその加護のもと、神殿を中心に技術や文化を積み重ねていきました。世界の基盤を形作った、強固な礎の時代と言えるでしょう」


 彼女の声は淡々と、けれどどこか慈しむように響く。


「そして今は、ミュネリウム暦。神ロイが夢と現実を融合させ、新たな世界観を築いた時代です。人々は夢を現実に映し、欲望や願いをそのまま生活の彩りに変えて生きるようになりました。灯りや建築、衣服に至るまで、夢の力が隅々にまで浸透し、かつての文明とはまるで別物のような姿を見せているのです」


 ルフィリアはそこで一度言葉を切り、窓の外に広がる、夢のように美しい町の灯に視線を投げた。あまりにも完璧で、あまりにも穏やかな景色。

 だが、その横顔には、説明を終えた充足感ではなく、深い淵を覗き込むような影が差していた。


そこまで話すと、ルフィリアは言葉を切り、窓の外の平和な景色に視線を投げた。静寂が訪れ、窓の外の灯が揺れる。説明を終えたはずの彼女の横顔には、言い残したことがあるような、深い影が差していた。


「……ですが、私はいつも奇妙な感覚に陥るのです」


 彼女は再び俺の方へ向き直った。その瞳は、ただ知識を伝達する者のそれではなく、真実を追い求める者の鋭さを帯びている。


「レヴェリオン暦からミュネリウム暦へ。歴史はただ二つの名前で区切られていますが、本来、レヴェリオン暦とは多くの文明が積み重なり、形作られた時代の集合体です。そして、文明が変わり、新たな文明となるとき、そこには一体どのようなことが起きていたと思いますか?」


 唐突な問いかけに、俺は言葉に詰まった。

 この世界の歴史も、文明の仕組みも、俺にはまだ何も分からない。けれど、彼女の瞳が求める「答え」は、もっと根源的な何かである気がした。


「……分からないけど。でも、話し合いとかで決めてると思うけど」


 俺が絞り出すように答えると、ルフィリアは静かに、けれど断定するように唇を動かした。


「――戦争です」


 その一言が、応接間の空気を凍りつかせた。

 彼女は再び俺の方へ向き直った。その瞳は、ただ知識を伝達する者のそれではなく、真実を追い求める者の鋭さを帯びている。


「小さな文明の移り変わりでさえ、一国の法律が変わるのとは訳が違う、そこには常に、血を流し、互いの正義を叩きつける争いがありました。古い価値観を壊し、新しい秩序を築くには、それだけの暴力的な力が必要なのです。……それなのに、世界をまるごと作り替えてしまうほどの暦の転換において、記録には何の傷跡も残っていない」


 ルフィリアは机の表面を指先でなぞる。その指は、滑らかな木目の中に見えない断絶を探しているようだった。


 彼女は囁くように、その不可解な空白に名を付けた。


「華やかな繁栄の裏に隠された、真実の軌跡。私はその時代を――『空白期』と呼んでいます」


 ルフィリアは一度言葉を切り、射貫くような視線を俺に向けた。


「そして、そこにあなたがこの世界に呼ばれた理由があると、私は考えています」


 その言葉は、冷たい予感となって俺の胸に沈み込んだ。

 小林裕真はこの時、直感した。自分がこの世界に呼ばれた理由、そして繰り返し見るあの「焦げた空」の夢――。あれはただの幻ではなく、この平和な世界が生まれる直前に、すべてが焼き尽くされた「空白の記憶」そのものなのではないか。

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