11話
リュミが可視化させた青白い紋様は、しばらくの間ベッドの上で不気味に明滅し、俺たちの網膜にその異質な形を焼き付けてから、霧が晴れるようにスッと消えてしまった。
その後、俺たちはこの紋様がどこまで続いているのか、部屋の隅々まで徹底的に調べ上げた。リュミは再び重いリュックから道具を出し、ルフィリアもまた、窓枠の僅かな擦れ跡まで見逃さないよう、鋭い感性で空間をなぞった。
一通りの調査を終え、俺たちは一度安堵の息をつく。
「小林さん、私たちは大きな一歩を踏み出しました」
ルフィリアが、確信に満ちた声でそう告げた。 リュミもまた、達成感からか少しだけ鼻を高くして、重いリュックを「よいしょ」と背負い直した。彼女の魔族としての力がなければ、この証拠は永遠に闇に葬られていただろう。
「うん。何もないわけじゃないってわかった。これ、すごい手がかりだよ」
消去法でしかないと思っていた再調査で、これほど具体的で異質な「力」の影を捉えられるとは思っていなかった。
だが、道具を片付けている最中、俺の胸の中にふと得体の知れない違和感が芽生えた。見つかった証拠が具体的になればなるほど、その裏側にある「欠落」が際立って見えたのだ。 俺は手を止め、二人にその違和感を投げかけた。
「……なあ。調査の手がかりは見つかったけど、もう一つ気になることがあるんだ。アゼルの家族のことなんだけど」
「家族、ですか?」
ルフィリアが不思議そうにこちらを振り返る。
「ああ。毎日欠かさずお見舞いに来てたって話なのに、全然話を聞かないら大丈夫かなって思って」
俺の言葉に、ルフィリアも思案するように眉を寄せた。
「……確かに、言われてみれば少し気になりますね。この後、受付であの後の家族の様子について、職員の人に一度確認してみよう」
俺の提案に、ルフィリアとリュミは深く頷いた。
俺たちは収容院の廊下を抜け、受付のあるロビーへと戻ってきた。 調査の進展に少しだけ希望を感じながら、帰り際、年配の職員に挨拶を交わす。
「……アゼルさんに繋がるようなものは、何か見つかりましたか?」
帰り際、受付で待機していた年配の職員が、切実な表情で俺たちに問いかけてきた。
「はい、大きな収穫がありました。……ところで、少しお聞きしたいのですが 、アゼルのご家族のことですが。あの日以来、何か連絡はありましたか?」
すると、職員は困ったように眉を寄せ、ゆっくり口を動かした
「それが……実を言うと、アゼルさんのご家族は、あの子がいなくなってから一度もこちらに姿を見せていないのです」
「一度も?」
俺の言葉を、ルフィリアが不審そうに繰り返した。
「ええ。それまでは毎日、お母様と妹さんが交互に、それは熱心に見舞いに来ていたのですがね。アゼルさんがいなくなったあの時を境に、ぷっつりと足が途絶えてしまいました。こちらからも失踪の件を伝えるべく、自宅の方へ使いを出したのですが……」
職員は声を潜め、不安げに続けた。
「門は閉ざされたままで、何度呼びかけても返事がないようなのです。あんなに仲の良かったご家族が、息子さんの容態も聞かずに現れないとは、不吉な予感がしてなりません……」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。 アゼルが消えたのと時を同じくして、家族の消息まで途絶えている。家族はまだ、アゼルが忽然と消えたことさえ知らないはずなのにだ。
「……小林さん」
ルフィリアが俺の顔を見て、短く名を呼んだ。その銀の瞳には、先ほどの進展を喜ぶ色以上に、鋭い警戒が宿っている。
「魔法の跡が見つかった直後に、この報告……。もはや、無関係とは思えません」
外に出ると、ポツリポツリと雨が降り始めていた。冷たい雨粒が、石畳を黒く染めていく。
「今日は一度、戻りましょう。雨の中、闇雲に動くのは得策ではありません。明日、朝一番でアゼルさんのご自宅を訪ねます」
ルフィリアの提案に、俺は頷いた。
魔法、そして連絡の取れない家族。
点と点が繋がり始めた不気味な予感を抱えたまま、俺たちはリュミを送り届けるため、朝合流した医院へと向かった。
降り出した雨が街を灰色に染める中、俺たちはリュミを送り届けるために、朝合流した医院へと戻ってきた。 大きな収穫があった高揚感は、雨の冷たさに少しずつ冷やされ、代わりに連絡の取れない家族という新たな謎が、静かな緊張感となって俺たちの間に居座っている。
「エレン先生、ただいま戻りました」
ルフィリアが声をかけると、奥から年配の医師が顔を出した。
「おお、お帰り。……その様子だと、何か見つかったようだな」
俺たちは収容院のベッドで見つけた魔法の痕跡やアゼルの家族について伝えた。エレンは驚きに目を見開き、複雑な表情でリュミの頭を優しく撫でた。
「魔法か……。リュミ、よく頑張ってくれたね」
リュミは照れくさそうに俯きながら、パンパンに膨らんだリュックをようやく床に下ろした。その小さな肩を回して息をつく姿に、今日一日の彼女の献身的な働きがどれほど大きなものだったか、改めて実感する。
話が一段落し、俺たちが辞去しようとした時だった。医師が少し言い出しにくそうに、ルフィリアに視線を向けた。
「……ルフィリア様。実は、一つご相談があるのですが」
「何でしょう、先生」
「リュミのことです。この調査、明日も続くのでしょう? アゼルの家族の家へ行くとも仰っていた」
医師は言葉を切り、少しだけ表情を和らげてリュミを見やった。
「もしよろしければ、調査が終わるまでの間、この子をルフィリア様のお屋敷に泊めていただけないでしょうか」
思わぬ提案に、俺とルフィリア、そしてリュミ自身も驚いて顔を見合わせた。
「もちろん、無理とは言いません。ですが、ルフィリア様や小林さんのような、頼れる方々の近くで過ごす時間は、この子にとってきっと良い経験になるはずです」
医師の言葉には、リュミがもっと広い世界や、信頼できる他者と関われるようにという、静かな親心が込められていた。
「それに、明日も朝早くから動くのでしょう? ここから通わせるより、お屋敷からご一緒させていただく方が、良いかと思いまして」
ルフィリアは医師の真意を汲み取ったようで、優しく微笑み、俺の方を振り返った。
「小林さんは、どう思いますか?」
「俺は異論ないですよ。リュミがいてくれた方が心強いですし、何よりあんな重い荷物を背負って何度も往復させるのは、大変だろうし」
俺が冗談めかして答えると、ルフィリアは医師に向き直り、深く頷いた。
「わかりました。リュミ、私たちの屋敷に来てくれますか? 歓迎しますよ」
「……いいの?」
リュミが不安そうに、けれどどこか期待を込めた大きな瞳で俺たちを見上げる。
「屋敷の主人がいいって言ってるだから心配する必要ないよ。実は俺も最近この屋敷に来たばかりの居候なんだ。そうだ、夜にでも俺のいた遠い故郷の話でもしてあげるよ。この世界のどこにもないような、不思議な場所の話だ」
俺がそう言って笑いかけると、リュミはほんのりと頬を染め、小さく
「……うん、聞きたい。」と頭を下げた。
リュミは必要最低限の着替えだけを小さな鞄に詰め直すと、慣れ親しんだ医院の先生に一度手を振り、俺たちの歩調に合わせて外へと踏み出した。
「ねえ、夜ご飯……何かな」
雨音に混じって、リュミがボソリと呟く。
「そうですね。せっかくですから、何か温かくて元気が出るものを用意させましょうか」
ルフィリアの提案に、リュミの角が心なしかぴょこんと跳ねた気がした。
雨に濡れる石畳を、三人の足音が重なり合って屋敷へと向かう。 調査の緊張感が少しだけ和らぎ、俺たちの間に不思議な連帯感が生まれ始めていた。




