その5 毒婦に成りすましておきます
翌朝、キートン家から出て行こうとしたグレイスは、再びカロリーヌに引き止められた。
「やっぱり私では無理ですよ、フレッド様の歌姫への想いは強いですし、私なんかに振り向かせることなど出来ません」
グレイスは振り切ろうとしたが、カロリーヌは彼女のドレスを握って放さない。
(皺になる! 破れるじゃない!)
グレイスは心の中で叫んだ。
「でも、昨日話をしていたじゃないの」
そうなのだ、昨夜フレッドは母親に言い聞かせると言っていたのに、まだ話をしていないのか? グレイスはイラっとした。
「フレッド様がどれほど歌姫を愛していらっしゃるかを聞かされたんです」
「あなたのような美女に靡かないなんて、かくなる上は」
カロリーヌは小瓶を取り出した。
「魔女の媚薬を手に入れましたの、これをディナーのワインに入れますから、あなたは夜這いしてちょうだい」
「はあ?」
とんでもない頼みにグレイスは唖然とした。
「この際、既成事実を作ってしまえば、真面目なフレッドのことだもの、あなたとの婚姻を承諾するはずですわ」
(なんてことを考えるのよ! 手段は選ばないの!)
いくら毒婦と思われていても、媚薬を使うなど犯罪まがいのことを他人のグレイスにやらせようと平気で考えているカロリーヌに対して、グレイスは怒りがこみ上げたが、そこは淑女たるものグッと堪えた。
「でも、フレッド様は邸で夕食を召し上がらないでしょ」
「そうだったわ、じゃあ、無理やり飲ませる?」
「逆効果ですよ、そんなことをしたらよけいに嫌われてしまいます」
「そうかしら」
(そうよ、そしてあなたも恨まれるわ、そんなこともわからないのかしら?)
「やはり私ではフレッド様を歌姫から取り戻すことは出来そうにありません、申し訳ありませんが、このお話はなかったことに」
早々に立ち去らなければ、なにをやらされるかわかったものではない。
「ダメよ! あなたが最後の望みなの、私たちを見捨てないで、お願い」
カロリーヌは涙を浮かべながらグレイスに縋りついた。
「そう言われても……」
「本当に困り果てているのよ、最近では伯爵家の執務もなおざりだし、夫が事故で急死して、突然家を継ぐことになったフレッドには重圧だったでしょうけど、それなりに頑張っていたのよ、ちょっと息抜きに行った夜の街で歌姫に会うまでは……」
ポロポロと涙を零すカロリーヌを振り切れない自分の甘さにグレイスはうんざりした。見かけとは違い彼女はお人好しだった。
「どんな方なんですか?」
平民の情婦が貴族のボンボンを誑かして金を巻き上げる、なんて話はざらにあるし、それなら金で解決できるはずだとグレイスは思った。でも、そんなことはカロリーヌも真っ先に考えたはずだ、なぜそうしないのか?
「会ったことないから知らないのよ、お金で解決しようと、何度か使用人に命じて後をつけさせたのだけど、いつも見失ってしまうの、ほんと使えない人たちだわ! ルージュリアというキャバレーの歌姫らしいけど、調べても全くわからなくて……きっと無許可のお店なのですわ」
「じゃあ、私が突き止めてみますわ、その歌姫とフレッド様が別れれば、私のような傷物ではなくて、ちゃんとしたご令嬢をお迎えできるのでしょ」
嫌みのつもりで言ったがカロリーヌには通用しない。彼女はパッと明るい笑みを浮かべて、期待に満ちた瞳でグレイスの手を握った。
「そうよね! 歌姫と別れさせてくれるなら、それが一番ですわ、もちろん手切れ金はこちらで用意しますから」
「では、そのように試みますから、成功の暁には私にも」
「わかっていますわ、満足できる報酬を用意します、さすが毒婦、抜かりありませんわね」
「ええ」
ここは毒婦に成りすましておこうと、グレイスは背伸びして妖艶な笑みを浮かべた。
* * *
「お嬢様がそこまでされる必要があるのですか?」
客室に戻った途端、タバサはぼやいた。
確かにああ言ったものの、本当はそこまでしてあげる義理はないとグレイスも後悔していた。
「お金の為よ、ルルーシュ王国まで行くのに二人分の旅費が必要でしょ、宝石を売ればなんとかなるけど、余裕があったほうがいいじゃない」
そう言って自分を納得させた。
「それはそうですけど」
「おそらく別れさせるのは無理だと思うわ、でも、一時的にでも別れたように思わせることは可能かも知れないし」
「お嬢様が悪女に見えます」
「さんざん嫌なことを言われた仕返しくらいしてもいいじゃない、この家、相当なお金持ちみたいだし」
グレイスは肩をすくめた。




