その14 それ以上望むことはない
(なぜ私だけが非難されるのよ!)
昨夜の出来事を知ったスタイン伯爵家は大混乱を極めた。シャーロットは狼狽した両親から激しく叱責され、そして、見捨てられた。
(どうして私がこんな目に遭わなければならないの)
沈む船から逃げるネズミの如く邸から出て行く使用人たちを、シャーロットは窓から苦々しい思いで見下ろした。
真っ先に出て行ったのは母親だった。宝石金属を鞄に詰め込み、幼い弟を連れて馬車に乗る姿をシャーロットは見送った。父親はいつの間にか姿を消していた。
マチュー公爵家とクレイドル侯爵家に睨まれては、スタイン伯爵家などひとたまりもないことは使用人でもわかる。主が真っ先に逃げ出したのを見て、自分たちも〝事故〟に巻き込まれることを恐れ、全員が我先にと邸を後にした。
(ズルいことをしている人はいくらでもいるのに、なぜ私だけが責められるの? 私はただ幸せを掴み取りたかっただけなのに)
人脈のないスタイン伯爵家に来る縁談にシャーロットが満足できる相手はいなかった。自分の美貌に過大な自信を持つ彼女は、もっと上を狙っていたが優良物件は既に売約済み、それなら横取りするしかないと考えていたところ、ルナリーナが事故に遭った。それは偶然だった。
シャーロットは好機が訪れたとばかりに、彼女を蹴落とすために根も葉もない噂を流した。それは面白いように広がり、ルナリーナを追い詰めた。
(ルナリーナが自殺したのは私のせいじゃないわ、あんな噂くらいで心を病むようじゃ公爵夫人は務まらないわ、テオドールもバカよ、私が結婚してあげると言っているのに姿を消すなんて!)
噂は武器になると知ったシャーロットは、今度はその元になる事故も自分で計画した。
(グレイスに怪我を負わせたわけじゃない、きっかけを作っただけよ。前回と同じく他人の不幸は蜜の味とばかりに噂はあっという間に広がった。その間にキャプラン侯爵夫人に媚びて味方につけるのにも成功したわ)
キャプラン侯爵家はエレノアが仕切っており、ゲイリーは母親に逆らえないと思っていた。だからゲイリーとは連絡がつかないようにして、彼が帰って来た時にはグレイスを排除し終わっていて、エレノアの独断で自分が婚約者の座についているはずだった。
シャーロットの誤算は、ゲイリーがグレイスを深く愛していたことだった。母親に背いてグレイスを救うために尽力したことだった。そのせいでルナリーナの件をほじくり返されて、やってもいない馬車の事故まで嫌疑をかけられてしまった。
(なぜなの? 私の方が美しいのに、美しくあるために努力も重ねてきた、なのになぜテオドール様もゲイリー様も私を選ばないの?)
シャーロットは拳を固く握りしめた。
(なぜこんなことになったの? 人殺しをしたわけでもないし、そんなに悪いことはしていないのに)
使用人が出て行き、この先どうなるか不安だったが、
(きっと大丈夫よね、学生時代も私に心を寄せる男は大勢いたわ、窮地に立たされていると知れば、誰かが助けに来てくれるはずよ、だって私はこんなに美しいもの、放って置かれるわけがない)
* * *
ゲイリーとグレイスの結婚式は身内だけで質素に執り行われた。
参列したのは、フォンダ伯爵夫妻、イザークとその婚約者クラリス、そして、キャプラン侯爵、キャロラインとバートン、母親エレノアの姿はなかった。
「美しい我姉グレイスの花嫁姿をみんなに披露できなくて残念だ」
恙なく挙式を終えてフォンダ家に戻ったイザークが残念そうに言った。
純白のウエディングドレスに身を包んだグレイスは神々しいくらい美しかった。一時は毒婦と根も葉もない噂を立てられたが、今日の彼女は間違いなく女神だった。
「仕方ないわ、なるべく早くエンズワースへ出発しなければならないのだから、通常の結婚式は準備が整わないわ。でもいいの、ウエディングドレスを着ることが出来ただけで満足よ」
グレイスは本当に満足だった、一度はあきらめたゲイリーと結婚できたのだから、それ以上望むことはなかった。
ゲイリーとグレイスの新居は王都にはない、そしてエレノアがいるキャプラン侯爵家に戻るのも気まずいので、二人はエンズワース領へ出発するまでフォンダ伯爵家に滞在することになった。
「でも向こうが落ち着いたら、一度王都へ戻って披露宴をするんですよね」
クラリスの言葉にグレイスは驚き、
「そうなの?」
ゲイリーの顔を見た。
「その時に驚かそうと思ってたのに」
ゲイリーはバツ悪そうにこめかみを掻いた。
「秘密だったんですか?」
クラリスは慌てた。
その場にいたフォンダ伯爵夫妻とイザークは白々しく目を逸らす。みんな披露宴のことは承知していたが、ゲイリーと同じく、グレイスを驚かす計画だったのだ。イザークはクラリスにそれを言うのを忘れていた。
「バレてしまっては仕方ないわね、盛大にお披露目するつもりよ、キャプラン侯爵家の方もご承知よ」
グレイスの母親レベッカは今から計画を練っていた。
「俺だって美しい妻をみんなに自慢したいんだよ」
ゲイリーは照れながら微笑んだ。
「エレノア様もきっとその頃には立ち直られているわよね」
レベッカが言った。
「どうでしょう、プライドの高い人ですからね、自分が騙されていたことに加え、それを大勢の前で暴露されて恥をかいたことが相当ショックだったみたいです。キャロラインはこのまま大人しくしていてくれればいい、なんて言ってますけど」
「まあっ」
「それでも意固地になってグレイスに謝らないんですから、ほんと、我が母親ながら、どうしょうもない人です」
「もういいわよ、シャーロット様はマチュー公爵夫人たちも見事に騙したのでしょ、よほど巧妙だったのよ。私もまだ彼女が人を陥れるようなことをしたなんて信じられないもの、彼女美人だし、そんなことをしなくても普通に良縁はあったでしょうに」
「自分の美しさに自信を持ちすぎて高望みしすぎたんだろうな、特に同い年のグレイスにはライバル心剥き出しだったから」
同級生だったイザークは学園に通っている時、そんな噂を耳にしていた。
「そうなの?」
「ルナリーナ様に対してもそうだったんじゃないか、彼女は高位貴族の令息を狙っていたようだし、公爵令息を婚約者に持つ令嬢が羨ましかったんじゃないかな、噂によると第二王子も狙っていたとか」
「地位がそんなに重要だったのかしら」
「人によるんじゃないか、グレイスみたいに、ただの護衛騎士に一目惚れするような人にはわからないよ」
「そんな昔のこと言わないで!」
「シャーロット様はあれ以来、事故が怖くて邸から一歩も出られないと聞きましたわ」
クラリスが言った。
「それはそうよね、あの時のクレイドル侯爵の迫力、私も見ていて怖かったわ」
レベッカは納得、その場面を見ていたみんなも頷き合った。
「邸の使用人も事故の巻き沿いになるのを恐れて全員辞めたそうよ」
「全員が? なんでクラリスがそんなことを知っているんだ?」
「学園でもその話で持ちきりでしたもの、あの場所に居合わせた人も大勢いましたし、関わりのある私は色々と聞かれて……でもそれ以上に色々と教えてくださるの」
クラリスはイザークの一歳年下なので、まだ学生だ。
「スタイン伯爵夫人は幼い弟君を連れて隣国へ嫁いだお姉様の元へ避難されたらしいですし、伯爵は愛人宅で身を潜めているらしいですわ」
「酷いな」
結婚式やエンズワース領へ行く準備に忙しかったゲイリーとグレイスは、耳にすることがなかったし興味もなかった。
「クレイドル侯爵家とマチュー公爵家の高位貴族に睨まれたのよ、スタイン伯爵家が没落するのも時間の問題でしょう」
レベッカが気の毒そうな顔をした。
「それでシャーロット様は一人で邸に残されているの? なんか可哀想ね、そんな家族だからシャーロット様もあんなふうになったのかも知れないわね」
グレイスも同情したが、
「グレイスはほんとお人好しだな」
イザークは呆れた。
「そんな奴のことはもう忘れよう、俺たちは新天地へ出発するんだから、嫌なことは王都へ置いて行こう」
シャーロットがどうなろうと心底どうでもよかった。
もし、戦争が長引いていたらグレイスを失うところだったのだ。新しい婚約者候補がフレッドではなくまともな令息なら、帰ったらもうグレイスは他の男のモノになっていたかも知れないと思うと背筋が凍った。
「そうね」
愛らしい笑みで見上げるグレイスをゲイリーはギュッと抱きしめた。手遅れにならなくて良かったと心底思った。
グレイスも同じ気持ちだった。
その後、シャーロットの遺体が邸内で発見されたことを知るのはずっと後、エンズワース領に行ってからだった。
愛人の元へ逃げていたスタイン伯爵が、金目の物をあさりに戻った時に見つけた。
死因は餓死だった。