その13 事故には気をつけるのだな
マチュー公爵夫人はゆっくりとシャーロットの前に歩み出た。
「あなたは一年半前、事故に遭ったルナリーナは、顔に人前に出られない酷い傷を負って精神を病んでいる、公爵夫人としての責務は到底負えないだろうと言った。そして、瞬く間に同じ噂が王立学園から社交界にも流れた」
「どういうことですの、マチュー公爵夫人」
エレノアは困惑した。もちろんシャーロットとマチュー公爵令息との間に縁談話があったことは知っていたが、前後の経緯までは知らなかった。
「内容は違いますが、不慮の事故、不自然に流れた悪い噂、あの時と似ているから違和感を覚えましたのよ」
マチュー公爵夫人はエレノアに説明した。
「やはりそうでしたのね、テオドールを奪うために嘘の噂を流して婚約者のルナリーナを陥れたのね」
「もっとちゃんと調べるべきだった。我々もそれ以上の醜聞を恐れて蓋をしてしまった、それがルナリーナのためだと思ったのに……間違いだった」
続いて、ルナリーナの両親クレイドル侯爵夫妻も人込みをかき分けて現れた。
二組ともゲイリーが事情を話して呼び寄せたのだ。
「確かにルナリーナは顔に傷が残った、しかし、二目と見られぬ醜い顔になったと言うのも精神を病んだと言うのも嘘だ。しかし悪意に満ちた噂が先行してしまったために、ルナリーナは部屋から出られなくなってしまい、本当に精神を病んでしまった。そして……自ら命を断ってしまったんだ」
「そしてルナリーナを心から愛していた我が息子テオドールは、失意のあまり失踪してしまった!」
「あなたが私たちからルナリーナを奪い、マチュー公爵家からテオドール様を奪ったのよ」
ふだんは大声を出すことのない淑女の夫人たちが声を荒げた。
その迫力に見物人たちは息を呑んだ。
四人の高位貴族に詰め寄られて、シャーロットは青ざめたが、
「ルナリーナ様が自殺したことに私は関係ありませんわ。テオドール様が失踪されたのも、私にはあずかり知らぬことです」
気丈に言い返した。
「私をテオドール様の婚約者に押してくださったのは公爵夫人ではありませんか、家格が下の我家から申し込むことなどできません」
「そうなるように巧妙に私たちを操っていたのでしょ、公爵家の地位や財産を狙っての事だったのね、今ならわかるわ、まんまと騙されたなんて、私としたことが一生の不覚ですわ」
マチュー公爵夫人は苦悶の表情を浮かべた。
「騙したなんてとんでもございません、私には願ってもない良縁だったから、確かに公爵夫人に気に入られるよう努力はしました、女の幸せは夫となる方の地位や財産によって決まるのなのですから」
目に涙は浮かべて同情をそそるポーズをとっているものの、思わず本音が漏れていた。
「テオドールはあなたの正体を見抜いていたのね、だから無理に話を進めたことに反発して姿を消してしまった。追い詰めた私たちが愚かだったわ。こんな小娘に手玉に取られるなんて情けない、そのせいで大事な息子を失ってしまった。あの子は今どこで何をしているのやら」
シャーロットはまだ引き下がらなかった。
「嘆きたいのは私ですわ、テオドール様との縁談が宙に浮いて、どんなに惨めな思いをしたか……。私はそのまま卒業を迎え、行き遅れになってしまいましたのよ。今からでは良縁は望めないとあきらめていたところ、今回の幸運が巡ってきたのです」
「幸運? 他人を蹴落として無理やり奪ったのでしょ」
「誤解ですわ、私はなにもしていません」
「同じようなことが二度も起きる、こんな偶然があるのかしら」
「そう考えればルナリーナの事故も、本当にただの事故だったか疑わしい」
引き立てられている男に目を向ける。
「こんな奴が陰にいたのかも」
場内は騒然としていた。
話を聞いたエレノアは、なにが起きているかわからずに混乱したまま、
「私はなにもしていません、証拠もないのに、これは陰謀です」
シャーロットに縋られても反応できないでいた。
「確かに、いまさら証拠を探すのは難しいだろうな、だがシャーロット嬢、事故には気を付けるのだな」
クレイドル侯爵が低い声で囁くように言った。
シャーロットが〝ひっ!〟と短い悲鳴を上げた時、
「国王陛下のご入場ですーぅ!」
その案内に、場内の一同が前方に注目した。
国王陛下をはじめ、王妃、王太子夫妻、第二王子と王女が玉座に着いた。
王族の登場で場内は鎮まるが、入ってくる直前のざわめきは国王の耳にも届いていた。
「なにかあったのかな?」
国王は横にいた王太子に呟いた。
「どうやら、面白い余興を見逃してしまったようです」
前もってゲイリーから聞かされていた王太子は悪戯っぽく微笑んだ。
その後、国王のスピーチがはじまり、その中で今回の戦争で武勲を立てたゲイリーに、エンズワース領と辺境伯の地位を授けることが発表された。次期侯爵の座を辞して、国のために辺境の地で防衛に尽力することを選んだゲイリーは称賛の拍手に包まれた。
こうなってはエレノアも異議を唱えることは出来ない。
そして、先ほどの騒ぎによりグレイスの汚名は払拭されたので、二人の門出は祝福された。
シャーロットはいつの間にか姿を消していた。