その12 侯爵家を継ぎませんから
王宮の舞踏会場は大勢の招待客で賑わっていた。
ゲイリーは入口でエレノアと共に待っていたシャーロットを伴って入場した。
勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべながらゲイリーの横に立つシャーロットは、会場の注目を集めて満足感に浸っていた。しかし、
「君とはここまでだ」
「えっ?」
ゲイリーは先にイザークたちと会場入りしていたグレイスを見つけて視線を流した。
「グレイス様……なぜここに?」
「君が紹介したキートン伯爵との縁談は流れた、俺の婚約者をよくも他の男に押し付けようとしてくれたな」
ゲイリーの冷たい視線が突き刺さり、シャーロットはビクッとした。
「婚約は破棄されたではありませんか、だからグレイス様が気の毒だと思って紹介してあげただけですわ」
「母が勝手にしたことだから無効にしてもらった。本来は正式な婚約者と入場すべきだが、君にはこの場にいてもらわなければならないからお連れしたんだ」
「どういうことです?」
シャーロットは理解できずに困惑した。
ゲイリーは不敵な笑みを残してシャーロットから離れ、グレイスの元へ行った。
一人残されたシャーロットは憮然と立ち尽くした。
それを見ていたエレノアが慌てて駆け寄った。
「どうしたの?」
今までに見たこともない険しい顔のシャーロットの視線の先にグレイスを見たエレノアの表情もたちまち険しくなる。
「まあ、あの女、よくもまあこんな場所に来れたわね!」
自分で思うより大きな声で叫んでしまったことに気付かないエレノアは、周囲の人々の注目を一瞬で集めてしまったことにも気付いていなかった。
エレノアはツカツカと二人に歩み寄った。
「あなた! どう言うつもりですの! うちの息子を誑かさないで頂きたいわ!」
ゲイリーはすかさず間に入ってグレイスを庇った。
「母上、俺は誑かされてなどいませんよ、グレイスは俺の婚約者なんですから」
「なにを言っているの、婚約はとうに破棄しているでしょ」
「前にも言った通り、俺は署名していないのですから無効ですよ、俺の婚約者はグレイスのままだ」
「認められませんよ、そんなふしだらな女をキャプラン侯爵家に迎えるわけにはいきません」
まだ王族は臨席しておらず、国王陛下が会場入りする前の余興とゴシップ好きの夫人たちは聞き耳をたてているが、ゲイリーは隠すつもりもなかった。
今までさんざん自分たちの気持ちを無視して支配下に置こうとして来た母親にうんざりしていた。それは妹のキャロラインも同様、しかしキャプラン侯爵家の女帝は子供たちがもう子供ではないことに気付いていなかった。
「侯爵家に迎え入れてもらわなくて結構です、俺は侯爵家を継ぎませんから。国王陛下よりエンズワース辺境伯の爵位を賜り、その地を統治することになりました」
「なんですって?」
ゲイリーは愛するグレイスを排除した母親との決別を決意していた。
「今回の侵略戦争で領民を護ることもせず真っ先に逃げ出して自領を放棄したエンズワース辺境伯は爵位と領地を没収されました。今、かの地は領主不在です。ちょうど俺がキャプラン侯爵家から独立したい旨を王太子殿下に相談していたので、それが国王陛下の耳にも入り、エンズワース領を治めないかと打診されたのでありがたくお受けしました」
「お受けしましたって、私に相談もなく? そんな勝手は認められません! あなたは嫡男なのよ、キャプラン侯爵家はどうなるの!」
「俺はもうとっくに成人しているのですよ、自分の意志で決断できます。侯爵家はキャロラインとバートンに継いでもらいます。二人は快く承諾してくれましたし、父上も了承済みです」
ニコニコと頷くキャロライン。
会場内は騒然とし、ゲイリーたちを取り囲むように見物人が集まっていた。
エレノアはワナワナと奮えている。
「私になんの相談もなく勝手に……」
「勝利したとはいえまだ不安定な辺境伯領で、騎士団を編成して防衛に当たれとの王命です。早々に出立する予定です」
ゲイリーはこれ見よがしにグレイスの腰に手を当てて引き寄せた。
「あなたは私を、この母を捨てるの!」
「先に捨てたのはあなたでしょ、俺が愛する女性を、嘘の噂を鵜呑みにして切り捨てた、俺とグレイスは一心同体ですから」
「あなたは騙されているのよ! ふしだらな毒婦に惑わされているのよ」
「そんな話、いったい誰が言っているのですか」
「悪口は言いたくないと渋っていたけど、シャーロットが打ち明けてくれました。グレイスは学生時代から夜な夜な市井に出ては街の男と関係を持っているのだと」
「その街の男とは、この者かな」
捕らえた男を騎士団の部下が引っ立ててくる。
シャーロットの顔色が一瞬変わったが、すぐにわざとらしい不思議そうな表情に戻って男を見た。
「グレイスを襲った男です。彼は金をもらって頼まれたと言っています」
後ろ手に縛られて跪かされたチンピラ風の男。
騎士が顔を上げさせる。
「白状しろ」
「俺はそんな酷いことはしていません、ただちょっと脇道に引っ張って転ばせただけです。頼んだのは、顔はベールで隠したいたからわかんねぇけど、身なりのいい金髪の若い女でした」
「君じゃないのか?」
ゲイリーに鋭い眼を向けられたシャーロットは怯えて身を縮めるポーズをとった。
「知りませんわ、そんな男!」
そしていきなりボロボロと大粒の涙を零した。
「酷いですわ! なぜ私にそのような濡れ衣を着せようとなさるのです……グレイスですね、ゲイリー様は毒婦のグレイスに操られているのですね」
シャーロットは泣きながらエレノアに訴えた。
「相変わらず息をするように嘘が出るのだな、我々もすっかり騙されてしまったぞ、ほんとうに情けない」
機を見て登場したのはテオドールの両親、マチュー公爵夫妻だった。公爵に続いて夫人もシャーロットに氷の刃のような目を向けた。