その10 あれも間違いなく愛なのね
「お嬢様ぁー」
店を後にし、路地を抜けて大通りへ出ると、タバサが駆け寄った。
「よかった、見つかって! はぐれてしまって焦りました。護衛の騎士もいなくなっているし、こんなところで置いて行かれたらどうしようかと」
「ごめんなさい」
ホッとして泣きながら縋るタバサをグレイスはなだめた。
「帰りましょう」
「フレッド様は?」
タバサの問いに一瞬躊躇したが、
「見失ってしまったわ」
幸せそうにピアノを弾いているフレッドを、あの母親の元へ連れ戻すのは酷だ。
フレッドにとってルージュリアは天国で、キートン家は地獄なのだろう。そもそも、カロリーヌが言っていたように誑かされたのとは全く違う。フレッドは歌姫イーディスの大ファンで、想い焦がれて彼女のためにピアノを弾いているだけなのだ。お金を積んで別れてもらうとか、そういう次元の話ではない。
(でも、あれも間違いなく愛なのね)
グレイスが思っているような恋愛ではないが、フレッドは歌姫イーディスを愛しているのだ、引き離すことなど出来ない。
「どこへ帰るんだ」
ゲイリーが責めるように言った。
「ひとまずキートン家へ」
「俺も行く、事情を説明して、縁談はなかったことにしてもらわなきゃ」
「そう言ってもらえると助かるわ、カロリーヌ様は曲者だから、なかなか開放してもらえそうになかったのよ」
「曲者?」
「会えばわかるわ」
* * *
「ゲイリー様、ディナーの用意が整いました、お義母様がお持ちですよ」
シャーロットはゲイリーの私室の前でドアをノックしなから言った。
しかし、返事はない。
ノブに手をかけた時、
「お兄様ならいないわよ、お出かけになったから」
通りかかったキャロラインが声をかけた。
「えっ? どちらへ」
「グレイス様を迎えに行ったのよ」
「迎えにって、グレイス様とはもう関係ないでしょ」
シャーロットは内心動揺したが、それを悟られないようにキョトンと小首を傾げて見せた。しかし、それも演技なのだとキャロラインは知っている。
「さっきの会話、聞いていたでしょ、お兄様はグレイス様を諦めないわよ」
「お義母様は傷物を侯爵家に迎え入れるわけにはいかないとおっしゃっているわ」
「なら、侯爵家を捨てるでしょうね」
「まさか」
「お兄様は地位や財産よりもグレイス様を選ぶわ」
「そんなバカげたことをなさる方じゃないでしょ」
シャーロットの顔色が変わったのを見て、キャロラインはフンッと鼻で笑った。
「あなた、お兄様の婚約者になろうとしているわりには、お兄様の事なにもわかっていないのね、そうか、あなたが婚約したいのはキャプラン侯爵令息であって、ゲイリーじゃないものね」
「なにを言うの、私はゲイリー様をお慕いしているわ」
「それはお気の毒様、お兄様があなたを選ぶことはないわよ、どんな小細工をしても、あなたはグレイス様に勝てないわ」
そう言い捨ててさっさと廊下を行くキャロラインの後姿を見ながら、シャーロットは歯ぎしりした。
(おかしいじゃない、私の方が美しいのに!)
そう叫びたいのをグッと堪えた。
シャーロットは確かに美しい女性だった。
黄金を溶かしたような金色の髪に翡翠の瞳、真珠の肌に抜群のプロポーション、殿方の目を釘付けにする艶めかしさも兼ね備えていた。彼女自身もこの国で一番美しいのは自分だと自負していた。客観的に見てもグレイスに引けを取らなかった。
(美しい私が選ばれるべきなのよ! 大丈夫、キャプラン侯爵夫人は味方につけたんだから)
* * *
「逃げ出したいフレッド殿の気持ちがわかったよ、なかなか強烈なご夫人だったな、うちの母上に匹敵する曲者だ」
長々と愚痴を聞かされたゲイリーは、やっと解放されてグレイスをキートン伯爵家から連れ出した。
そして、グレイスの実家フォンダ家へ戻った。
半ば無理やり出て行ったグレイスを心配していた家族は温かく迎えてくれた。
「ゲイリー様は婚約破棄を承諾されていなかったんですね、変だと思っていたんですよ、ゲイリー様がグレイスを簡単に切り捨てるなんてありえないと」
息子のイザークから事情を聞いていたフォンダ伯爵夫人レベッカが言った。すると、
「なに言ってるんだ、ゲイリー殿は薄情だと責めていたくせに」
フォンダ伯爵が暴露した。
「あなた!」
「いいですよ、もう誤解は解けたんですから、手遅れになる前にグレイスも戻りましたから」
ゲイリーは隣に座るグレイスの肩を抱き寄せた。
「俺を信じてくれなかったことは寂しかったですけどね」
「ごめんなさい」
「お嬢様が謝ることはございませんよ、あれだけ酷いことを言われたんですから……。あなたのお母様は一方的にお嬢様を罵り、そもそも侯爵家の嫁に相応しくないから、最初から気に入らなかったとおっしゃったんですよ、あんな意地悪な姑がいる家に嫁ぐなんてまっぴらです!」
後ろに立つタバサはまだ怒りが収まらない。
「あなたが嫁ぐわけじゃないでしょ、でも、タバサが言う通り、もともと好かれていなかったのはわかっていたし、あなたのお母様は私をお認めにはならないでしょう」
グレイスは寂しそうに目を伏せた。いくらゲイリーが庇ってくれても、キャプラン侯爵家で義母と円満にやっていける自信はなかった。
「母上は俺を取られたと思ってるんだ、幼稚な人なんだよ、シャーロットはそんな母にうまく取り入ったようだな」
「私には無理」
「いいさ、俺は、母より君を選ぶから」
「それこそ無理よ、あなたはキャプラン侯爵家の跡継ぎなのよ、そして侯爵家の実権をにぎっているのは婿養子の侯爵じゃなくて直系のお母様でしょ」
「考えがあるから心配するな、それに明らかにしなければならないこともある、今調査中だ」
「届かなかった手紙の件、使用人全員に聞いたところ誰も知らなかったのですが、ただ、その頃に辞めたメイドが一人いるんです」
イザークが思い出したように報告した。
「臨時収入が入ったと漏らしていたそうですから、おそらく」
イザークは深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、使用人の身元は調べた上で雇っているのですが行き届かなかったようです」
「そのメイドが、ゲイリー様の手紙を持ち去ったかも知れないと言うことなのね」
「金を握らされて依頼人に渡したんだろうな」
「それはシャーロット様なの? 彼女が私を陥れたというのは本当なの?」
「手紙ってなに? シャーロット様に陥れられたって?」
まだ詳しい事情を聞かされていないレベッカが目を丸くした。
「そのことはいずれ白日の下に晒しますから、もうしばらくお待ちください」
ルナリーナのこともあり、シャーロットの悪事は必ず暴かなければならないとゲイリーは決意していた。
「とても気になるんだけど、今、お聞きしたいわ」
ゲイリーに詰め寄ろうとするレベッカを夫が止めた。
「ゲイリー殿に任せようじゃないか、結局、我々はグレイスを護ってやることが出来ずに辛い思いをさせてしまったんだから」
「必ずグレイスの名誉を回復して、予定通り俺の妻に迎えますからご安心ください。グレイスも今度こそ、俺を信じて待っていてくれ」
グレイスはゲイリーを見上げて、コクッと頷いた。




