9 僕の「あーん」
「新橋さん、あそこまでしてくれるとはね」
僕は蛇口を閉めながら言った。今は4時間目の数学が終わって昼休み、ここはトイレ。席替えであの席になってから、どうにも落ち着かなくて、授業が終わると同時に茂を連れてトイレに逃げてきたのだ。
「確かに、まさか俺まで近くにしてくれるとはね」
「そういえばそうだね、なんでかな?」
「そりゃお前ら2人だけじゃ、話すどころか、目線をあわすことすらできないじゃん」
「よく考えてみればそうだな、今もこうして逃げてきてるわけだし」
「まあ、そういうことだから。向こうには望ちゃんがついてるみたいだから、俺に任せてお前はどーんと構えとけば大丈夫」
「そうか、いつもありがとな」
こうしてトイレでいつまでも話してるわけにはいかないので、僕たちは教室に戻った。
教室に入る、大丈夫、笑顔笑顔。それでも心拍数はどんどん上がっていく。
そんな僕を見て茂は苦笑い。
何とか椅子までたどりついた。
「西尾君、佐々木君、よろしくね。私は霧島望で、こっちの顔が赤くなってる人が倉橋葉子ね」
「よろしくー。俺が佐々木茂に、同じく顔の赤いのが西尾卓也ね」
やっぱり僕も赤かったか、いい加減慣れないとな。
そのとき、突然葉子さんがものすごい勢いで立った。
「倉橋葉子、あと2週間で17歳で、趣味は読書、特技は体が柔らかいことです!」
さっき以上に顔が赤い葉子さん、自己紹介ってこんな風にやるもんなのか。ちょっと恥ずかしいけど頑張らなくちゃ!
俺は手をぎゅっと握り締めると、勢いよく立った。
「西尾卓也、あと1ヶ月で17歳。趣味はゲームで特技はタイピングです!」
これで完璧だよね。あれ? なんだろう、この微妙な空気。
「卓也、よくやった。見直したぞ」
「西尾君、なかなかやるね。さすが、葉子のほれた男だね」
2人に大笑いされながらほめられた。これは、素直に受け取っていいものか……。
「よくわからないけど、ありがとね」
葉子さんも分かってなかったんだ、僕だけじゃなくてよかった。
「いや、葉子さんの誕生日も聞けたし、こっちこそありがと」
実はあんまり聞きたくなかったんだけどね。あ、ごめん知らなかったみたいな感じで流したかったんだけど。
「いいわね~、2人とも。見てるこっちが甘酸っぱい気分になるわ」
「ほんとにラブラブだねー」
うぉっ! よく考えるとこんな目の前に葉子さんの顔が。あわてて目をそらした。
「せっかくいい感じだったのにね。それより、早くお弁当食べよ、昼休み終わっちゃう」
「そうだよ、俺腹へって死にそう」
そういえば僕もおなかすいたな。ちゃんと弁当もってきたっけ?
机をあさっていたそのときだった。
ぎゅる、ぐるぐる、ぎゅるるる~。
葉子さんっておなかの音までかわいいな。僕、重症だな。
あれ、やばい。今ので僕のおなかまで刺激されたぞ。葉子さんだからかわいいのであって、僕がならしてもただひかれるだけだ。耐えろ、耐えるんだ!でも……
ぎゅる。
やっぱり、耐えれなかったよ。これくらいならばれてない? わけないか。
「卓也、けわしい顔をしてると思ったら、そんなことを。もう最高!」
「葉子、そんなにもたもたしてると私がうばっちゃうからね」
なんでほめられてるの? 余計に恥ずかしいからやめてよ。
それをまぎらすように僕は弁当をかきこんだ。
「なあ、卓也。恋人がご飯を食べるときにはすることがあるだろ?」
笑いを必死にこらえながら話す茂。こんなときはろくでもない話に決まってる。
「さあ、つばを飛ばさないように食べるとかか?」
「いやいや、やっぱりさ、あーんってするだろ。あーんって」
ほらね、とんでもないことを。さすがに嫌がるよ。近くにいるだけでも嫌なはずなのに、そこまでしたら演技じゃごまかせなくなるかもしれないよ。
「なにふざけたことを言ってんだよ。ねえ、葉子さん?」
「あっ、いや、その……。そうですね」
「葉子、素直になりなさいよ。やってほしいって顔に書いてあるよ」
「えっ、嘘!? あっ!」
床に転がる箸。何回目か分からないけど赤くなる葉子さん。
「ほら、体は正直ね。箸も使えなくなったことだし、もうやるしかないよ」
「あ、嫌じゃなければ……」
「卓也! よかったな」
嫌じゃないよ、むしろやりたいくらい。でも、葉子さんがかわいそうだよ。気持ち悪いやつに食べさせてもらうなんて。
そうはいってもここで断る勇気なんて僕にはない。
僕は、弁当箱を受け取った。
「えっと、何にします?」
「じゃあ、ウインナーで」
手が震える、すべってうまくつかめない。3回失敗してようやくつかめた。ゆっくり持ち上げると、葉子さんは恥ずかしそうに口をあけた。
ウインナーを口に近づける、あと10センチ、5センチ、3センチ。
口の中にウインナーが吸い込まれ、葉子さんはゆっくり口を閉じる。僕は箸を引き抜く。
赤い顔で口を動かす葉子さん。何度見てもかわいい……。
「おいしいよ、西尾君」
「ありがとう、次はどうする?」
味が変わるはずがないし、僕が作ったわけでもないのだが素直にうれしい。
「から揚げをお願いします」
から揚げか、ちょっと大きいけどしょうがないか。今度は滑らせることなく1度でつまみ、口に近づける。葉子さんは精一杯口を大きく開けてくれた。
やっぱり大きすぎたのか、手で口を押さえながら必死でかんでいる葉子さん。見てるだけの僕まで満たされるよ。
「ごめんね、大きすぎた」
「ううん、これくらい平気だよ。西尾君が食べさせてくれるなら1匹丸ごとでも大丈夫」
「ほんとだね、じゃあ今度やってみてよ! それじゃ次は何にする?」
葉子さんが冗談を言ってくれたよ。感動だよ!
「えっと、あの、卵焼き……」
とっても小さい声。あれ? 卵焼き、ないんだけど。
「卵焼き、ないんだけど」
「あの、よければそっちに卵焼きを」
僕の弁当箱をさす葉子さん。
「えぇ! なんでこんなものを?」
「嫌ならいいの、西尾君がどんなものを食べてるのか知りたいなって」
焦げていてかさかさの卵焼き。こんなことになるなら、母さんにもっとうまく作ってっていっとけばよかった。
「かさかさだけど、いいの?」
「うん、それが食べたい」
僕は卵焼きを半分に切ると、ゆっくりと持ち上げる。そして葉子さんの口の中へ。
「どう、ですか?」
「おいしい、おいしいよ。今までで1番おいしい」
絶対そんなことはないけどね。とりあえず食べれなくは、なかったようなのでよかった。
「あのー、お2人さん? 幸せモード全開のところ悪いんですが、俺たちのこと忘れてない?」
「付け入る隙がないくらいラブラブなんだから。もうすぐ昼休み終わっちゃうよ」
気づくと茂と霧島さんだけじゃなく、クラスのみんなから生暖かい目で見られている。殺意のこもった目線がないのがせめてもの救いか。
「葉子さん、残りはどうします?」
「と、とりあえずおなかいっぱいになったから大丈夫。ごめんね、私のせいで食べる時間がなくなって」
「いやいや、大丈夫だよ」
葉子さんを見てるだけでおなかいっぱいですなんて、死んでもいえないよ。僕ってこんなに変態だったかな?
「そうだ! 帰りにファミレスによって行こうよ。私が払うから」
葉子さんもファミレスって言うんだ。なんか親近感を感じるよ。
「ほんとに!? ありがとう」
「葉子が誘うなんて珍しいわね、なにを食べようかしら」
僕が返事をする前に飛びつく茂と霧島さん。やっぱりなんか似てるよね。
「そんなたいしたことはしてないけど、いいの?」
「うん! 私がお願いしたいくらい。望と佐々木君は自腹だけどね」
「あれ? いいのかな、あの写真を送っても」
葉子さんの顔からすーっと血の気が引いていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ちゃんとみんなの分払いますから、それだけはご勘弁を」
「最初からそういってればいいのよ、葉子」
怖いよ、霧島さん。霧島さんの印象がかなり変わった。