29 僕と「遊園地」
「うぇ……」
「大丈夫? ほんとにごめんなさい」
日陰のベンチに座っている僕の背中を、葉子さんはさすってくれている。
頭を締め付けられるような頭痛と、猛烈な吐き気はさっきまでよりは落ち着いてきた。それでもまだつらい。
最初に乗った『ロケットスター』は強烈だった。家族で遊園地に行ったのはもう10年以上前だし、小学生のときも、中学生のときも修学旅行が雨で、ジェットコースターは動いてなかったので、これだけ大きなものに乗るのは初めてだったのだ。
落ちるときの体が浮く感じは何とも言えない気持ちの悪さだったし、くねくねとしたコースは体を容赦なく揺らしてきた。
1周して戻ってきたときには、真っ直ぐ歩けなかったし、葉子さんが3人に見えたくらいだった。
そこまではまだ良かった。ちゃんと乗ったという記憶がある。
だけど、大変だったのはそこからだ。葉子さんに引っ張られるままに、次から次へと絶叫系の乗り物に乗せられた、らしい。そのときの記憶がほとんどない。ただぐわんぐわん揺すられていたようなことしか覚えていない。
何台乗ったか分からなくなったところで、葉子さんが僕の異変に気づいてベンチに座らせてもらった。気づかなければ、もう1回ロケットスターに乗るつもりだったらしい。よかったよかった。
それでも悪気はなく、楽しんでくれていたみたいなので怒れないのである。葉子さんが上目遣いで謝ってくるのを、許さないという方が無理な話である。
「大分落ち着いてきたから大丈夫。葉子さんが楽しんでくれてるならそれでいいよ」
かすかな記憶の中でも、ロケットスターの最高点までのぼり、落ちる寸前の葉子さんのとびっきりの笑顔だけは、はっきりと覚えている。本当に楽しそうだった。わざわざインターネット上の知り合いに手を回してまで、パスポートを手に入れてよかったと思う。
葉子さんのそばに居られる、夢のような日々が明日で終わってしまうと思うと、胸が痛んだ。入園のときに抱きつかれたときだって、さっきの笑顔だって、背中をさすってくれたことだって、演技とは思えないくらい自然な感じがした。それなのに……。
葉子さんのいない生活を考えることが出来ないくらい、好きになってしまった僕は、明日を耐えることができるのだろうか。2年前みたいに、もしくはそれ以上になってしまうのではないだろうか。それが、本当に怖かった。
「ほんとに大丈夫? 顔が青いけど」
「うん、大丈夫! そろそろお昼にしない?」
思考を無理やり断ち切り、立ち上がった。少しくらっとしたけど、これくらいなら大丈夫。
最後なんだから、楽しまないと。
「もうこんな時間? 私、行きたい店があるんだけどそこでもいい?」
「うん、決めてなかったからそこにしよう。早く行かないと座れなくなっちゃうよ」
葉子さんに連れられて向かったのは、スパゲッティの店だった。ちょうどお昼時だったため込み合ってはいたが、ところどころ開いている席があるのはさすが虎弧園、入園制限をしているだけある。
暖色系の色でまとめられた店内は、おいしそうな匂いで満たされていて、みんなおいしそうに食べている。僕も急にお腹がすいてきた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「私はミートソースで」
「僕は明太子で」
注文を取りに来たウェイターが持ってきたのは、水ではなくお茶だった。細かいところまですごい。よく冷えたお茶はとてもおいしかった。
「ここのスパゲッティって、おいしいって評判なんだよ」
「へぇー、そうなんだ。楽しみだな」
葉子さんも待ちきれないみたいで、何だかそわそわしている。
「ぐる、ぎゅるぎゅるぎゅるー」
葉子さんのお腹が盛大に鳴った。隣の席の人がちらっとこっちを見ている。
「あぁ、ごめんなさい」
「ふふっ、前もこんなことあったよね。確か弁当を食べてるときだっけ」
「も、もう! そんなこと忘れてよ。あ、でもその時は西尾君も鳴ってたじゃん」
「僕は『ぎゅる』だけだったけど、葉子さんは教室中が静まるほど大きな音だったよ」
「……西尾君のいじわる」
ほっぺたをプクッと膨らまして怒ってる姿は、全く怖くなくてむしろかわいい。
「さっきの仕返しだもん」
「ほんとにごめんなさい、もうしませんからどうか許してください」
「冗談だから、もう大丈夫だからそんなに謝らないで」
葉子さんは、とたんにしょんぼりしてしまった。相当反省しているらしいので、これ以上言うのは何だか悪い気分になる。
「お待たせいたしました。ミートソーススパゲッティと明太子スパゲッティになります」
その瞬間、葉子さんの顔がパッと明るくなった。ほんとに、葉子さんの顔を見ているだけで飽きないと思う。
「おいしそう。早く食べよ! いただきますー。あちっ」
「葉子さん焦りすぎ。いただきます」
確かに評判というだけある。ファミレスのとはぜんぜん違った。明太子のピリッとした辛さが何とも言えない。
「こえ、おいいいー」
「葉子さん、食べながら話しても聞き取れないよ」
「んー、ごっくん。これ、おいしいよ。生きてる間に食べれてよかった」
「もう、大げさだよ」
食べるのに夢中なのか、ほっぺたにソースが付いているのに気づいていないみたい。
「葉子さん、付いてるよ」
僕は指でそっとほっぺたに付いているソースを取った。
って、僕は何をしているんだ!
「ごめん、気になったからつい……」
「ありがとう、西尾君!」
そういうと葉子さんは、ソースの付いた僕の指をパクッっとくわえた。
よかった、怒ってないみたいだ。
そうじゃなくて!
「な、何してるの!?」
「もごもご」
「くわえたまましゃべらない!」
「ぷはっ。てへっ、西尾君もやりたい?」
そういって指にソースを付ける葉子さん。
「そ、そ、そんな。いいから」
「ふふ、赤くなった西尾君ってかわいいな」
「早く食べてよ! 時間がなくなるよ」
周りからの視線が痛い。周りがカップルばっかりだから、まだいいんだけど。
恥ずかしさをごまかすように、スパゲッティをかきこんだ。
「うわっ、大きい」
食後ということで穏やかな乗り物に乗ろうということになったので、観覧車の下に来ている。あれだけの大きさがあるので、真下に来ると頂上を見るのが大変だ。
「次のお客様どうぞ~」
順番が回ってきたみたいだ。金属製の階段は少し足場が悪い。
そうだからなのか、葉子さんは手をぎゅっと握ってきた。びくっとして横を見ると、少しだけ頬を赤く染めてにこっと笑っている。
葉子さんって、かなり大胆だよね。
「それでは、空の世界をお楽しみください~」
「きれい、すごい」
ゆっくり、建物が小さくなっていく。葉子さんは顔をガラスにぴったりくっつけて外を見ている。僕は葉子さんと向かい合わせに座った。
こうして、葉子さんと一緒にいることがほんとに楽しい。茂の言うとおり、断らなくてよかったと思う。
葉子さんの無邪気な笑顔を見ていると、もしかして、演技ではないのではと思うことがある。好きになってくれたとまでは言わない、ただ友達としてくらいなら見てくれてるのではなんてね。そうだったら、なんて幸せだろうか。
「あの辺が桜学園かな」
「そうだね、大型ショッピングセンターが見えるよ」
「ほんとだ! すっごい」
もうすぐ、最高点に達する。地上の人はもうごま粒くらいにしか見えなくなった。
突然、葉子さんが勢いよく立ち上がった。そのせいでゴンドラが大きく揺れる。
「きゃっ!」
バランスを崩した葉子さんが倒れてくる。危ない!
鼻をくすぐる甘い香り。全身に感じる温かさ。そして、胸に感じる柔らかい感触?
「あわわ……、ごめん」
とっさだったんだから! 抱きしめないと危なかったんだから! やましい気持ちなんてないです!
「ううん、ありがとう」
そう言ったまま、葉子さんは動いてくれない。それどころか、手の力が少し強くなる。
「葉子さん?」
僕が視線を向けると同時に、顔を上げた葉子さんは、とろんとした上目遣いでこっちを見てくる。
顔までの距離、わずか15センチ。
本当のカップルだったら、ここでキスをするのかな? 葉子さんの唇に、まるで磁石のように引っ張られているみたいに感じる。だ、だめだ! 調子に乗るんじゃない。
葉子さんはそっと目を閉じ、少しだけ口をすぼめたように見えた。ほ、ほんとにいいの?
「もう1周しちゃうよ」
僕は無理やり葉子さんから離れた。やっぱり、こんな罰ゲームで付き合ってるようなときに、キスなんてしちゃだめだ。さっき友達になれたらいいなと思ったばっかりじゃないか。
「……うん」
恥ずかしくて顔は見れなかったけど、寂しそうなその声は僕の心を大きく揺さぶった。もしかして、葉子さんって本当に……。
「お疲れ様でした~」
観覧車を出てからも、何だか気まずくてお互いに無言だった。さっきの葉子さんの表情が頭から離れない。あのまま、キスしたほうがよかったのだろうか。
「西尾君! もう1回ロケットスターに乗るよ!」
そういうと葉子さんは僕の手をつかんで走り出した。
「えぇっ、あれに乗るの!?」
走っていく葉子さんはさっきまでの笑顔に戻っていた。そんな笑顔が見れるならしょうがないか、僕は腹をくくった。
だけど、聞こえてきた声に、僕は立ち止まってしまった。
「あら? 卓也、久しぶりじゃない」
2年前の記憶が次々とよみがえってくる。
その声はもう2度と聞きたくないと思っていた、あの声だった。
ファーストキスはお預けです。このシーンが書いていて1番楽しかったです。ニヤニヤしながらだったので、はたから見れば変な人ですが。
卓也はネット上ではちょっと有名人という設定です。そのため、いろんな知り合いがいて今回はパスポートの手に入れ方のコツというか、裏技を教えてもらったんです。そうでもしないと、普通は取れないです。
次回、ついにあの人がきます! お楽しみに~