19 僕の「選択」
電車は多少混んでいたが、立つスペースは十分にあった。たった15分ほどなのでこれくらい苦痛ではない。
電車の中なのでみんな静かにしている。気持ちを落ち着けることができる時間ができたのでよかった。
あれは人違い、こんなところにいるはずがない。さっきから何度も心の中で言い聞かせている。なのに額の汗がとまらない。
「卓也、さっきからぶつぶつ何言ってんだ?」
「ん、いや…… なんでもない」
声まで出ていたようだ。気をつけないと。僕のせいでなんてことは絶対に避けなければ。
少しはなれたところに立っている葉子さんをチラッと見る。葉子さんも気づいたみたいで笑顔を返してくれた。
あの笑顔があれば、僕は乗り切れる。
『どうせ演技なんだろ』
冷たい、心に突き刺さるような声。そんな声が聞こえた気がした。あわてて振り向くがそこにはスーツ姿のおじさんしかいなかった。
いったん引き始めていた汗が、またどっと噴出してくる。
「卓也、大丈夫か? さっきから顔色悪いぞ」
「うん、ちょっと寝不足なだけだから」
そうだ、変な声が聞こえるのも寝不足だから。
「緊張で寝れなかったってやつか、まったく卓也らしいな」
小声ながらだけど、楽しそうな笑顔。だけど、その顔が一瞬だけまじめになる。
「無理はするなよ」
ぼそっと、つぶやくように。
こんなに心配してくれているんだ。心が温かいきもちになる。
気がつくと額の汗は大分落ち着いていた。
駅からは徒歩5分ほど。その間茂がひたすらボケ倒し、それを霧島さんが鋭く突っ込む。僕はたまに相槌をうつだけだったけど、楽しかった。
映画館はそこそこの人がいた。上映開始まではあと20分ほどだ。
今公開中の注目映画は2本ある。1つは総制作費100億円、マフィアにとらわれた娘を助けにいく男の話。男性からは桁違いの迫力のアクションシーンが、女性からは主人公の甘いマスクが大人気で、公開から4週間連続で1位らしい。
もう1つは有名作家がこの映画のために書き下ろした恋愛物なのだが、なぜかストーリーがほとんど謎に包まれていてどんな内容かわからない。しかも今日公開なので見た人から感想を聞くこともできない。
「さ、どっちにしようか? 私はどっちでもいいよ」
「どっちって選択肢に『魔法戦士リリン』は入ってないわけ?」
茂、さすがにそれはないだろ。そんな映画初めて聞いたぞ。
「ふざけたことを言ってる人はほっといて、どうする? 西尾君、葉子」
「そ、そんな……」
僕と葉子さんは2人とも同じ方向を見る。その視線の先にあったのはアクション映画のポスターだった。
「僕もどっちでもいいよ、恋愛物がだめとかそういうことはないから」
「私も、西尾君といっしょならなんでも」
そんな恥ずかしいことを簡単に言えるなんて、思わず頬が赤くなる。葉子さんも恥ずかしそうだった。
「ふふ、正直じゃないのね。ムードなんかより、ようは楽しいかどうかよ。さ、アクション映画を見に行くわよ」
そういうと霧島さんは列に並んだ。僕たちもそれに続く。
「ちょ、待って」
茂のことを少し忘れていたのはここだけの秘密だ。
「もういっぱいですって!?」
霧島さんが驚くのも無理はない。アクション映画は今日の分すべて満席、恋愛物も今からの時間のは残り2席だけだったのだ。その2席が並んでいるというのは不幸中の幸いなのだろうか。
「どうしようか、もう時間もないし」
そんなとき割り込んできたのは茂だった。
「その残りの2枚と魔法戦士リリンのチケットを2枚ください」
「ちょっと、佐々木君。何言ってんの?」
「いいじゃん、卓也と葉子さんが恋愛物を見て、俺たちは魔法戦士リリン。これで何にも問題はないよ。終わる時間もほとんど同じだし」
「……わかったわよ、じゃあお2人さんはお幸せに」
「そうと決まったら早く早く」
「ちょっと! 引っ張らないでよ」
茂に手をつかまれ引っ張られていく霧島さん。いつもは落ち着いている霧島さんがかなり慌てていた。手をつかまれたとき、顔が少し赤かったような気がする。
「望ってああ見えて、男の子にまったく慣れてないんだよ」
へぇ、ほんとに以外。遊びなれてそうな感じだけど。
ふと前を見ると受付の人が少し困った顔をしていた。時計を見ると残り3分ほどになっていた。
「葉子さん、行こうか」
僕たちは早足でその場を離れ、スクリーンへ向かった。
この話を最後に一ヶ月くらいお休みします。すみません。
詳しくは活動報告を見ていただけたらと思います。