15 僕と「水泳」
青い空に輝く太陽。遠くに見える入道雲。きらきらと輝くプール。
目の前に広がっているのはそんな夏の風景とは真逆の状況だ。
低い雲が広がる灰色の空。輝きなど全くない水面。そしてなによりこの寒さ、まだ水に入っていないのに肌寒い。こんなときに泳ぎたいと思う人なんているのだろうか。
「卓也! 今年初プールだぜ! ひゃっほう~」
1人だけいたみたいだ。
今日は最初なのでまず記録をとることになった。順番が始めのほうの人たちが、震えながら水の中に入っていく。あと20分もしたら、僕もあそこにいるのか。
どうやら茂のばんがきたみたいだ。1人だけ勢いよくプールに入ると、スタートの構えをしている。
ピッ、という音とともにみんな一斉にスタート。茂だけ少しフライングだった気がする。
茂の泳ぎは誰が見てもわかる、下手だ。体を左右に揺らしながらがむしゃらに泳いでいたのだが、だんだんもがくようになってきて、ついにはプールの真ん中くらいで足をついてしまった。
「卓也、やったぞ! 半分まで泳げたぞ」
泳げないのにどうしてそんなに水泳が楽しみなのか、僕にはよくわからない。
「はいはい、おめでと」
僕は適当に返事をすると、スタート地点に向かった。いよいよ順番がまわってきたようだ。
水の中にゆっくりと入る。水の中は思っていたほど寒くなかった。だけど体温がどんどん奪われていく。
「ピッ」
笛の音より少し遅れて僕はスタートした。スタートは昔から苦手だ。
僕の唯一の得意なスポーツ、それが水泳だ。中学校も一応水泳部だった。とはいっても飛びぬけて速いというわけではないのだが。
久しぶりなので、水がとても重く感じる。僕は手足に精一杯力を入れてスピードを上げる。隣の人を抜いたのが見えた。
真ん中のラインが見えた。あともう半分だ。疲れてきた手足に、もう1度力を入れなおす。
視界に入ってきたプールの壁、あともう少し、もう少しだ。僕は、手を思いっきり伸ばした。
手に感じるざらざらとしたコンクリートの感触。ついに泳ぎきったのだ。
「西尾は、17.8ね」
自己ベストには遠いけどこの時期にしてはまずまずだと思う。僕はプールから上がろうと手をかける。ふっ、とジャンプするのだが1回目はうまく上がれず、またプールに落ちてしまった。
そのとき、右足で何かを踏んだような感触がした。だけど僕は気にせず、プールサイドに手をかけ、さっきより強く地面を蹴った。今回はなんとか上がれたようだ。
「卓也はやっぱり速いな。ってどうしたんだその足!」
といわれて見てみると、右足が真っ赤だった。振り返ると僕が通ってきたところに血の足跡がついている。
そのとき、右足に激痛が走った。僕は立っていられなくなり、その場にうずくまる。
「おい、大丈夫か! 先生、先生!」
「西尾、大丈夫か? 誰か保健室まで運んでやってくれ」
「僕が行きます!」
「俺も行きます」
「僕も」
…………
なぜかたくさんの人が運んでくれた。ほとんど話したことのない人ばかりなのに。
そのせいで小さな大名行列みたいになっていた。
「あらら、ガラスの破片でも踏んだのかしらね」
保健室の先生が傷口を見てそういった。あの何かを踏んだ感触はガラスだったのか。
「他の人はもう戻っていいわよ、どうせ水泳をサボりたかっただけでしょ」
「さすが先生、ばれてましたか。西尾、ありがとな」
そういうことだったのか、ちょっとショック。
「俺は違うぞ、卓也! いつまでもそばにいるからな」
「ありがとう、茂。でもちょっと気持ち悪いかも」
「そ、そんな」
「はいはい、消毒するわよ」
痛いのを覚悟したのだが、先生がうまいのかほとんど痛くなく、一瞬で消毒が終わり、足には包帯が巻かれた。
「よし、完了っと。じゃあ先生は書類を書いてくるから少し休んでおきなさい」
先生は保健室から出て行ったので僕は茂と2人っきりになった。
「それにしても、災難だったな。ガラスが落ちてるなんて」
「ほんとだよ。まあ、寒い中プールサイドで待たずにすんでよかったけど」
「なにいってんだよ、最後の自由時間が楽しみだったのに」
「茂ってほんとにプール好きだよな、なんでだ?」
「いろいろあるけど、やっぱり女子の水着姿だろ! なんで男女一緒じゃないんだよ」
僕は急に茂が変態に見えてきた。
「お、おい。そんな目でみるな。卓也も葉子さんの水着姿をみたいとは思わないのか?」
あの可憐なスタイルで水着。確かにちょっと見てみたいかも。
「顔が赤くなってるぞ、さては妄想したな?」
「し、してないよ」
いつの間に僕はこんなに変態になってしまったんだろうか。やっぱり茂のせい?
突然、茂の顔が真面目になった。
「卓也、あまりに葉子さんを避けすぎてないか? 朝とかもそうだし。あれはちょっとかわいそうだよ」
「僕も朝はやりすぎたと思うけど、いいんだよこれで。昨日も言ったように傷つきたくないから」
「でも俺にはさ……」
「いいったら、いいんだよ!」
ついカッとなって、怒鳴ってしまった。茂は心配してくれてるのに最低だよ。
「ごめん」
「俺もしつこかったな、すまん。でもさ、とりあえず今を楽しんどけよ。葉子さんと友達になるんだろ?」
「うん」
「キーンコーンカーン…」
「あれ、もう終わったのか。先生遅いな。卓也、立てそうか?」
僕はゆっくりと立ち上がる。だけど、右足が床に触れた瞬間また痛み、よろけて茂にもたれかかった。羽織っていたタオルも床に落ちる。
「大丈夫かよ、松葉杖とか置いてないかな」
そのとき、保健室の扉が勢いよく開いた。