2 ラピスの受難
ラピスは今、草原の中心で真面目に悩んでいた。
それはラピスにとって、女神に「今晩の夕飯は何がいいですか?洋食or和食どちらの気分ですか?」と聞くような(ラピスにとっては)真剣な悩みだった。
ラピスにとって女神のご意志が何よりも優先される。女神が至高の存在で、女神が正義。女性ファーストならぬ〝女神ファースト〟なのである。
※どこかの世界線の国の、とある首都では都民ファーストなる言葉が。とある大国では外交・通商政策のスローガンでも〝◯◯ファースト〟などという言葉を国のトップが話しているという蛇足。
「………切り落とすか………?もしくは燃やす………?」
チョッキンorドッカーン?
女神よ。どちらがお好みでしょうか……?
「おぃおぃ!?何をだにゃ!!その物騒なそのナイフ仕舞え!!」
クロはラピスが手に持っていたナイフを猫パンチで叩き落とし、発動仕掛けていた火の神力を強制キャンセルさせた。
手際の良い動きだった。
「いや、だってね?……女神に嫌われたら本当に生きていけなくなるから……私……」
「何で切り落とさなきゃ嫌われるの発想になるにゃ……ったく、ラピスがいつまでもそんなんだから、クロはお目付け役として同行してやってるんにゃ。感謝しろにゃ!!」
これは本当の話。
連絡役として付いてきたのは間違いないが、ラピスが暴走した時のお目付け役……クロはストッパーのような役割も担っている。
ラピスは多々……暴走しがちなので、ツッコミ役としても優秀なクロが同行することになったのだ。クロも自分の役割を理解した上で、ラピスについてきた。
ラピスもクロの言うことを頭の中で反芻し、納得した。
「………分かった。今は使命を果たすことだけに集中しよう。処理は……後々考える」
何も分かっていにゃいではないか。不安にゃ……と思ったクロだった。
コイツを野に放つのはやはり危険にゃ……
クロがしっかりしにゃければっっ!!!
◇◇◇◇◇
そこからラピスとクロは、草原を歩きながら現在地について整理をしていた。
事前に聞かされていた情報と、クロの補足を含めてこれからどうするのか詰めていく。
ここは大陸から遥か東に位置する島国。日ノ国。
一年を通して気候が変化し、春・夏・秋・冬という四季が存在する。現在は春という季節らしい。ポカポカと暖かな気候で、時折吹く風が心地良い。
日ノ国についてだが、今いる場所はヤマトという場所。
こちらの国ではキモノ?というワフク?という服が一般的に着られている服装だという。
女神の服コレクションの中にもそれらしき物があったので、指パッチン一つで一度着た服に瞬間的に着せてくれる女神のアイテム(銀色の指輪)を発動しひとまず着替える。
中にはヨーフクなる服も外国から輸入されているようだが、比率としてはまだまだワフクが多いらしいのでそちらに合わせることにする。
ひとまず人の多い場所を目指して、歩いていくことで一致した。
街道へ出られれば人ともすれ違うだろう。
「あとどれくらいで人里へ着くんだ?」
「あの山を越えた所にゃ。このままのペースだと、あと半日はかかるにゃ」
山って……あの山?あの山の事ですか?
見上げればそびえ立つ青い山々。
嘘だろ……
ラピスは神力で飛んで行く選択肢が脳裏をよぎったが、はじめから飛ばしっぱなしで力を使うことを躊躇った。
女神にも、いざという時のために力は温存しておくように言われているし。
いっそのこと走るか……?
いや、やめておこう……
結局街道まで出て来れたが、誰一人としてすれ違わなかった。
そのまま仕方なく山へと入る。
◇◇◇◇◇
どれくらい歩いたか山の中腹まで登った頃、滝がある岩場を見つけ、そこで一旦休憩をとることになった。最初はそんなに暑くなかったのだが、途中から歩いているうちに汗だくになってしまった。汗ばんだ背中が気持ち悪い。
水浴びをしたい。割と切実に。
「ところでクロはそのモッフモフな毛、暑くないのか?」
「にゃんとか今のとこ大丈夫にゃ。でも、これ以上暑くなるときついにゃ」
本知識だと、猫はたしか体温調節が苦手だったはず。そして汗をほとんどかかないと、聞いたことがある。人間は汗をかいたりして体温を下げることが出来るが、猫は大変なのだな。
多少は労わってやろう。
ラピスとクロは滝壺へと向かうと、クロはそのまま水へダイブし、ラピスも服を収納して滝壺へ潜る。
水の中はヒンヤリと冷たく、火照った体をゆっくりと冷ましていってくれた。水底までたどり着くと、先に潜っていたクロが奥の方で手招きしていた。そちらへ向かうと、クロが指す先には小さな祠があった。
はて。猫は水が苦手なイメージだったが、クロは泳げるタイプの猫だったんだな。
とはさておき、なぜこんな場所に祠が?
祠の中央部には、猫のような石像が祀られていた。
そしてクロは自分の方を指差して?誇らしげな顔をする。いや、お前がドヤってもな……
祠の裏を覗き込むと、割れた丸い鏡があった。
もともと猫の石像の手元にあった鏡であろう。水流に流されて割れてしまったのだろうか。もしくは誰かがイタズラしたのか。はたまた天災などで割れてしまった……?
ラピスは特に意識する事なく何となく割れた鏡を神力でくっつけ、何となく元あったであろう場所に戻してやった。
クロは感心したようにうんうんと頷いている。
いや、別に正義感からとかそんなんじゃないから。
ただ、何となくそうした方がいい気がしただけだから。
祠の奥はまだ続いているようで、太陽の光が漏れ出ていた。どこかへ繋がっているんだろうけど。
このまま探索してもいいが……そろそろ酸素切れそう。
水面に上がるか……
ラピスとクロは水面を指差し、戻るぞと合図する。
水を掻き分け、上へとのぼっていく。
水面から顔を出し、肺に新鮮な空気を吸い込む。
びしょ濡れになった長い髪を絞っていると、
「………天女………?」
まるで意識していなかった明後日の方向から声が聞こえた。
声のした方を振り返ると、そこには1人の若い男が固まって座り込んでいた。
男は黒髪黒目の短髪。この国ではかなりみる多い見た目だ。
男はキモノという服装で、片足を水に浸けている。その周囲の水には男の血が溶け出し、赤黒く水面を染めていた。
顔色も悪い。真っ青だ。
どうやら足に細い棒状の何か……あれは女神の家の書庫にあった書物に載っていた〝矢〟というものだろう。それが深く、男の足に深く刺さっていた。その矢が原因で怪我をしているらしい。
ラピスは少し考える素振りを見せたが、女神の代行者という肩書きで来ている以上、見捨てられないだろう。それにこんな状況なら、女神は絶対に人助けをする。いつかの自分が救われた時のように。
ラピスは男の足が触れられる距離まで近付き、じっと観察する。すると溶け出ている血の一部に強い刺激を与える不純物……矢に毒が塗り込まれていたと断定した。
足は黒く変色し始めている。
このまま放置すれば、壊死して足を切り落とすことになるだろう。その前に毒が体内を周り、男が死ぬ可能性だって十分ある。
ラピスは水に浸かったままの男の足を見て、神力で矢を分解し、傷に触れる。
「いっっ………」
男は脂汗を浮かべ、苦しそうな声をあげる。
顔色もどんどん悪くなってきている。思ったより重篤な状態かもしれない。急いだ方がよさそうだな。
「男ならば我慢しろ」
ラピスは淡々と傷から溢れ出る毒を神力で浄化し、毒が入ってしまった体内へと力を張り巡らせる。これで毒は完全に体内から消えたはず。
「……天女、様……?」
誰が天女だ。
その両方についている目は節穴か。節穴なんだろう。節穴だな。(確定)
目ん玉ほじくって漂白剤で洗ってこいや。
「……私は天女などではない。……〝今は〟奇しくも貴様と同じ男だ」
「……え、女、じゃない?その、見た目で……?」
…………何言ってんだこの人間。
つか、女でもないし、男でもねぇよ。
こいつに言ったって、どうしようもないけどな。
「減らず口を叩く余裕があるなら、多少痛くても我慢出来るな?ほれ、足をあげろ」
思いっきり足裏を押し上げる。
うめきながらも男が足を水から引き上げると、刺さっていた矢は丸ごと消えていることに男は驚いた。さっき男に見えないように、ラピスがこっそり分解したからね。
まだ男の足からは血はダバダバと溢れているが。あ、このままじゃ失血でどのみちこの男、死ぬな。
失血性ショックとはこの男のように、大量出血で身体の中の血液が急激に失われた事で血液の循環が悪くなって血圧が極端に低下した状態をいう。
人間は全体の血の3分の1以上を失えば死んでしまう。
更に短時間に大出血したときは、およそ5分の1以上の血液が出てしまうと、死ぬこともあるのだそう。
男はまさに今死にかけていた。
ラピスは近くに置いていた布を細く破くと、男の目に触れないように神力を布へ込めた。
その布で足をこれでもかというくらいグルグル巻きにする。
直接人体へ神力を込めて治せば、一番効果はあるだろうが。力のことは極力隠して、温存して、ですよね?女神。
「こんな、ことで血が止まる、わけ……って、あれ?止ま……った?」
男はそれだけ言うと安堵したのか、その場で気を失って倒れてしまった。
おい、こちらに倒れ込むな男。
………死にかけているので顔は真っ青。側から見たら死人のようだった。
…まだ死んでないよね?
……
………
………脈は浅いが、まだ生きている。
ラピスは日陰になっている岩場へと男を揺らさないようにそっと運び、寝かせた。
筋肉が増えているからか、男が血を失っているからか、男はものすんごく軽かった。
さーーーて、血が足りないのはどうしようか。
流石に血を流しすぎたようだし、このままだとマーーージでこいつ死ぬな。。。
さてどうしたものかと思考を巡らせていると、横からクロが話しかけてきた。
「ラピス〜〜、神界から持ってきた荷の中に増血剤が入っていたにゃんよ?」
クロはバングルを指して言った。
「クロお前どこにいたんだよ、ったく……で、造血剤ね。確かにあったかもしれん」
あの大量の荷物の中に……あった。液体状の増血剤。
その名の通り、今ある血を増やすことが出来る神具の一つだ。これ一本で失った血の大半を取り戻せるだろう。
「……そいつ意識ないけど、飲ませられんにゃか?増血剤は直接飲まないと効果無いにゃんよ?」
「あぁ……そうだったな」
増血剤を取り出し蓋を開け、男の口を開けさせ流し込む。だが男は咳き込み、ごほっと吐き出してしまう。
ヒューヒューと呼吸も浅くなり始めている。脈も浅く………こんな状態じゃ、起きていたとしてもどのみち飲み込めないしほんとに死にかけている。死神が近くまできちゃってますよ。
………となれば男を救う手段は、一つしかないではないか。
………このまま見殺しにするのも、目覚めが悪いしな。
あぁ、本当に今日はついていない。
ラピスは仕方なく自身の口に含み、男の上体を起こして口移しで無理矢理増血剤を流し込む。また吐き出そうとするので、しっかりと口を塞いで飲み干させる。
口から直接、回復に効果のある神力もいっしょに男の肺へと送る。たぶん?これで山場は脱しただろう。
……おい、変な声出すな。……私にそんな趣味はない。
ラピスは汚いものをゴシゴシと磨くように、自身の口元を腕で擦った。
服は着ていなかったので袖ではない。
……何で私が見ず知らずの男のために、こんなことまでせにゃならんのだ。
出血大サービスだよ。※血を流したのコイツだけど
まぁ、しかし、人命救助………だとラピスは仕方なく割り切る事にした。
あとはどうなろうと、知らん。
私は出来得る最大の応急処置をした。あとはこの男の生命力がどこまで持つか。こいつ次第だろう。
男は体温もだいぶ低く、冷え切ってしまっているようなので、持ち物の中から適当な毛布を取り出し、男へかけてやる。
ちなみに猫柄のめっちゃ可愛いやつだ。……これはちょっとした意趣返しだ。
「さ〜て。そろそろ行くか、クロ。あ、水で口濯いでいこ。ちょっと待ってて」
何事もなかったかのように、口を濯いで服を着直すと歩き出す。
「……ラピス……おみゃえ……ま、いいにゃん。男が目を覚まして面倒くなる前に立ち去るにゃん」
クロは、コレってやり逃げって言わないかにゃん?なんてブツブツと呟きながら、山を歩き始めた。
どうか男が獣に襲われて肉塊になりませんようにと、縁起でもないことを考えながら。
◇◇◇◇◇
人里へとたどり着いた頃には夕方になっていた。
今日はどこかで宿を取って休む事に決め、門番の人に紹介されたおススメの宿へと向かった。クロはというと、途中で疲労の限界を迎え動けなくなり、現在ラピスの影に潜って休んでいる。
なんて便利な力だろう。
ズルい。
宿は門から徒歩5分ほどの距離にあった。
看板には〝止まり木の宿〟と書かれていて、木で彫ったであろう鳥があしらわれていた。
宿は木造平屋で部屋数は6部屋。今日は私が宿泊することによって5部屋埋まったらしい。なかなか繁盛しているようだ。
女将さんが実質1人で運営しているようだが、孫が時々手伝いに来てくれるんだとか。
宿の台帳へ記載すると、前払いで銀貨を1枚女将さんに手渡す。
宿を案内してくださるそうなので、それに倣って後を付いて行く。どうやら土間と呼ばれる家の入口で、履き物を脱ぐのがこの国の文化らしい。私はバングルへ履き物を収納した。
真ん中の共用スペースには大きな囲炉裏があり、天井の梁から吊るされたフックのようなものに鍋を掛けて調理する道具らしい。
宿の裏手には井戸があり、水汲みに使うそうだ。
「ところで、らぴすさん、本日はお夕食はどうなさいますか?」
「今晩はいいので、明日の朝食を頼みたいのだが………可能だろうか」
「はいはい、出来ますよ?食べられないものはありますか?」
何でもいいと女将に伝え、今日は早々に部屋へ篭らせてもらうことにする。歩き疲れてもう限界だ……夕食を抜いても身体を休めて睡眠を優先したい程には疲れている。
クロは一向に影から出て来る気配がない。……あいつ、自分だけ寝たな……?
女将に一番奥の角部屋へ案内してもらい、布団とやらを敷いてもらった。
至れり尽くせりである。
部屋は石畳などではなく、畳と呼ばれる板のようなものが敷いてある。触った感じが温かみがあって良い香りがする。
まるで干し草のような香りだ。
そして完全に日が沈みかけてきた頃、部屋が暗くなってきたので、先程女将さんから使い方を説明してもらった〝アンドン〟という四角い箱状の照明器具に、ロウソクを入れて火を灯した。
コレが照明器具らしい。
木の枠に〝ワシ〟と呼ばれる丈夫な紙を張ったもので、吹く風に強いのが特徴なんだそうだ。
ラピスは暗くなったので横になるかとキモノを収納し、宿で貸してくれたユカタという服に着替えようとユカタに手を伸ばした。その時、
ラピスの身体から、白い湯気のようなものが出始め……
ボフンッ!
という音
そして
自身の身体に起きた変化……
目線が低くなり、胸には先ほどまではなかった柔らかな膨らみ。あるものが増えた一方、男であった時にあるものは無くなっていた。
え?
待て、嘘だろ……
一気に眠気覚めたわ!!!
鏡をバングルから取り出し、自分の姿を見て確信を得る。
いや、もう、分かってたけどさ。。。改めてみると、思い知らされる。
私、ラピスは………女になっていた。