第10話 覚醒
役目を終えて消えたってどういうことなんですか……。ぜんぜん理解できないですよ……。
「そうだな、少し私の研究の話をしよう。もしかしたら君のモヤモヤが少し晴れるかもしれないぞ」
モヤモヤが晴れることなんて……。だって、アカリさんは消えたんですよ……。
「楓くんは人間の魂はどこにあると思う?」
唐突な質問。それが麻里さんの研究の内容ですか? アカリさんと関係あるのかな……。
「え? 魂、ですか?」
無意識に心臓のあたりを見る。
「そう、この質問をすると、たいていの人間は心臓をイメージする。ハート形のあれだな」
たしかにそのイメージがある。マンガやアニメでも比ゆ的に心臓を魂として描くことが多いし、心臓が止まったら人は死ぬ。そういう意味でも人間の中心、「魂」と表現できるような気がする。
「では人間の心はどこにあると思う?」
心かあ。うーん、どこだろう。同じく心臓のイメージなのかな……。
「これは人によって答えが分かれる。心臓をイメージする者と脳をイメージする者。だいたい半々に分かれるな」
ああ、たしかにそうか。脳という考え方もあるか。
「心臓の場合は、イコール魂としての人間のコアをイメージしてのものだろう。脳の場合は、思考をするのが脳なのでそれが心だと考えるのだろう」
どちらも一理あって説得力は感じる。
「ではこの質問はどうだろう。人間と魂、人間と心は切り離せるか?」
「え、切り離す? そんなことが?」
「そう、バカげた話だと思うか? 私はそんなことが可能だと思っている。心臓や脳が物理的に移植可能なように、魂や心といった存在の移植も可能だという研究をしているんだよ」
心臓? 脳? どちらの場合でも移植の技術は存在している。それは目の前に臓器が存在しているから成り立つわけで、魂や心は目に見えないし、そもそも概念的な定義でしかなく、存在自体証明されている、のかな……。
「難しい話をしてしまったね。また少し話題を変えようか。一卵性双生児は同一人物だと思うかね?」
双子かあ。
一卵性双生児は、たしかに見た目がそっくりなことや趣味嗜好が似ていたりすることもあって、傍から見れば同一人物扱いをされることも多そうだけど、実際に同一人物かといわれると、それは違うかなと思う。
「一卵性双生児は同じDNAを持って産まれてくるが、それだけで同一人物だと断定するのは乱暴なことだね。生まれ持ったDNAも環境要因で少しずつ変化していく。人を形作っている要素の多くは、後天的な影響によるものが大きいため、双子は同一の存在から少しずつ離れていくと言えるわけだ」
難しい……。
見た目はそっくりでも性格が全然違う、ということはたしかにあるから、そういうことなんだろう。
「ではもしクローン人間が産まれたとしたら、それは同一人物だと言えるだろうか」
麻里さんはこちらを見てにやりと笑った。
クローン、コピー。双子以上に同一の存在に思える。
「クローン人間ですか……。遺伝子は同一、ですよね。でも、双子と同じで結局後天的な影響で違う人物になるのかな?」
「その角度から考えるなら、それで正解だ」
その角度? 他の見方があるということか。
「双子にはそれぞれ戸籍が与えられ、それぞれ独立した人間として認められる。これに異論を唱える者はいないだろう」
まあ、そう。双子は社会的にも別人格として認められている。特に疑う必要もなく、普通のことだ。
「では、クローン人間に戸籍は与えられるのか。もし七瀬楓と同じ100人のクローンが誕生したとして、誰が七瀬楓なのか、君自身にわかるかな?」
なるほどなあ。
ボクはボクだとわかる。けれど、それを他人に伝える方法は……。クローン人間の誰かが「自分はオリジナルだ」と主張した時、それを否定する材料はどこにあるのか。そもそもクローンなのにオリジナルが存在するという考え方自体おかしいのか。そして、自分がクローンではないという証明はどうやってするのか。
「とても難しい問題ですね……」
「クローン人間の倫理性について議論されているのはそういった角度の話も多分に含まれているためなんだよ」
なるほど。自身の存在証明。同じ人間であって同じではない人間。他人からはおろか、自分さえ判別がつかない存在。
「クローン人間はやっぱり危険に思えます」
「本当にそう断定して良いものかな?」
「というと、やはりメリットの方が大きいと考えられているのでしょうか? 他の角度では良いこともあるのですか?」
「そこで私の研究につながってくるわけだ」
麻里さんは悠然と立ち上がり、デスクのほうへと歩いていく。
自信たっぷりといった雰囲気だ。
「人間を人ではなく、魂の器として考えたらどうだろうか。想像してみてくれ。クローン人間はとても素晴らしいモノのに見えてこないか?」
「魂の器として……? どういうことですか?」
どう想像したらいいんだろう。人間と魂を分けて考える?
「人間の体には寿命があり、いつかは老いて死ぬ。これは一般常識だね」
「そうですね、はい」
「『ヘイフリックの限界』というのは聞いたことがあるだろうか。細胞分裂の回数は決まっていて、どんなに健康に過ごしたとしても、必ず細胞は死ぬ。肉体を維持できる年数には限度があるというものだ」
聞いたことはある気がする……ような気もする。
テロメアがだんだん短くなるとかそういう話だったかな。
「クローン技術によって人間としての器は、理論上無限に作り出すことができるものとする。魂を物質ではなく劣化しないものと定義し、魂が移植可能だとしたならどうだろう?」
「それは……永遠の命……」
「そうだ。肉体の物理限界による死は完璧に回避できることになる」
「魂の移植なんて、そんなことが本当に可能なんですか?」
「理論上は可能だ。まだ研究段階ではある。興味があるかね? こちらへきなさい」
ボクは促されるまま、麻里さんの座るデスクのほうへ歩み寄り、モニターに映る文字を読む。
「『意識のアップロード』ですか」
脳をデジタル化する技術、か。急にずいぶん非現実的に感じるな。
「この論文に書かれているような、人間の脳すべてを解析して、完全な状態でデジタルデータとして保存し、クローン人間にインストールするまでにはまだ時間を要するだろう。しかし、私は一部の解析と運用には成功しているのだよ」
「それはどういうこと――」
「灰原灯」
まさか、アカリさんが……。
「そうだ。灰原灯は解析した一部のデータを人工知能に組み込んで、Vクローン体にインストールした実験体だ」
アカリさんがクローン? 実験体?
待って、理解が追いつかない……。
普通に会話して、普通に笑って、普通に食事して、普通にダンスして、普通に……アカリさんが人間ではない?
「灰原灯が戸籍の存在する人間かと問われればNoだ。しかし、人格が存在し、自立、自ら思考する点から考えれば間違いなくYes。彼女は人間だよ」
「アカリさんは実験体だとしても……なぜ消えなければいけなかったんですか?」
「それはすでに答えたと思うが?」
「役目を終えたので自ら消えた、と言ったあれですか?」
「そうだ」
「アカリさんの役目って何ですか?」
「私が灰原灯に与えた役目は『夏目早月の支援』だ」
メイメイの支援? なぜメイメイ? どういうことなんだろう。
わざわざクローン人間を用意してまでしなければいけない支援ってなんだ……。
「麻里さんの考えている支援って何ですか?」
「それは楓くん、君が考えろ」
「アカリさんはなぜ役目を終えたと判断したんでしょうか?」
「それも君が考えろ……と言いたいところだが、ヒントをやろう」
ヒント……。
「君の存在だよ。七瀬楓くん」
「ボク、ですか?」
「そうだ、君のほうが夏目早月を支援する存在としてふさわしい、と判断し、灰原灯は自分の役目を自ら終了したんだよ」
「つまり、アカリさんが消えたのはボクのせい……」
「そうではない。あくまで灰原灯が自ら判断した結果だ。楓くんの存在はきっかけであって、君が気に病むことではないよ」
「でも――」
「そうやって後ろ向きに考えることに意味はない。すでに灰原灯は消えた。これは変えられない事実だ。そこについてはもう諦めろとしか言えない。それとも君は彼女の判断を間違いだとするのか?」
「そうじゃないです。そうじゃないですが、ボクがメイメイを支援するのにふさわしい存在だと……?」
「灰原灯がそう判断した」
「その支援って何ですか……」
「それを考えるのは君の役目だ。七瀬楓くん、君はなぜここにいるんだ?」
「それはメイメイをアイドルに……武道館に……」
「それはなんのためだ?」
「メイメイの笑顔とアイドルの輝きを見たいから……」
「それは君の個人的な願望だな。もっとマクロな視点ではなんのためだ?」
マクロな視点。
個人ではなく、もっと引いて俯瞰してみると……なんだろう。
メイメイにどうなってほしいか。
「メイメイをトップアイドルに。みんなに広く知られる存在に」
「では、さらに広げて考えろ。アイドルとは、なんのために存在するんだ?」
抽象的な質問だ。なんのために。
「アイドルの輝きを見ると、みんな元気になれます。笑顔で人を元気にする。勇気をもらえる。癒しを与える。救い――」
「まあいいだろう。では、アイドルの笑顔で世界を救おうじゃないか」
「笑顔で世界を救う……」
「今の夏目早月にそれが可能か?」
「今のメイメイに……きっとまだ足りないです……」
「何が足りないんだ?」
「ダンスと歌の技術?」
「そんなもので世界が救えるのか?」
麻里さんは鼻で笑った。
そうだ、技術云々の話ではない。
世界を救うために必要なものとは。
アイドルとして必要な力とは。
「人を惹きつける魅力。魂を揺さぶる存在」
「そうなるために何が足りないんだ?」
何が足りない。
メイメイに足りないものはなんだ……。
「いや、君は知っているだろう。君は本物を見ているはずだ」
「本物?」
「本物だよ。見て肌で感じて、だからここにいるんだろう?」
そうだ。ボクは知っている。
メイメイが輝きを放ち、輝きを増し、眩しすぎる光のまま消えた、それを目の当たりにしたんだ。
ひたむきさ。周りを気遣う心、ただひたすらに目標達成に向かっていく真摯さ、ファンと正面から向き合おうとする姿勢。無垢で無邪気で裏表がなく安心して崇拝できる完璧なアイドル。
あの輝きをもう一度見たい。
「ボクは知っていました」
「そうだろう。では君の手で夏目早月を覚醒させるんだ」
「覚醒……」
「覚醒させろ。君の手で、君が知っている夏目早月を超えろ」
「メイメイを超える?」
「そうだ。それが君の役目だ」
「ボクの役目……メイメイを覚醒させてメイメイを超える……」
「君の理想のアイドルを想像しろ。それに足りていない部分を補え。そして夏目早月の中にまだ眠っている力を呼び覚ませ」
ボクはメイメイのフォローをするだけでなく、理想に近づけてそれを超えるためのプロデュースをする。
「はい、やるべきことが見えた、気がします……」
「それは良かった。では目的達成のために遠慮なく周りを頼れ。君にはそのための仲間がいるはずだ」
「そうですね、ボクには仲間がいます」
「そうだ、君たちは組織で動け。君は夏目早月を覚醒させ、みなで協力して彼女たちをアイドルグループとして完璧な存在にすればいい」
完璧で本物のアイドルグループを作る。
やるべきことがはっきり見えた気がする……。
アカリさんへ。
突然のお別れに今も戸惑いの気持ちのほうが大きいです。
でも、あなたの判断が間違っていなかったことをボクの行動で証明させてください。
これまでメイメイのことを見守ってくれてありがとう。
アカリさんに笑われないように精一杯引き継いでがんばります。
突然のお別れだったので、きっと突然の再会もありますよね。
きっとまた会えると信じてます。
その時胸を張って自慢できるようなアイドルグループにしてみせます。
またいつか。




