第3話 幼女な師匠
トントントン。
「仙川零です。入室許可をお願いします」
放課後、ボクとレイは、本社ビルの隣の学園ビルのさらに隣。大学病院のビルにきていた。
「入室を許可する」
扉の向こうから、気だるそうな女性の返事。同時にブザー音が鳴り、ドアのロックが外れる。
「ありがとうございます。失礼します。入ります」
レイがボクの手を引いてドアの前に立つと、自動でスライドして開いた。
「さあ、入りましょうか」
レイの手が汗でじんわりと湿っていた。
うわ、広い。
病院の先生の部屋といえば、診察室のイメージしかなかったので、想像と全然違った。
広い空間に巨大なデスク、革張りのソファー、巨大な壁掛けテレビ、大きなシャンデリアに天井でグルグル回るファン、冷蔵庫、キッチン、そして謎の観葉植物。研究室というより、芸能人のお宅訪問で見るような豪華なリビングに近いレイアウトだ。
「よく来たな。こっちへ」
デスクのほうから声がする。しかし何枚もある大きなモニターが邪魔をして、師匠さんと思しき人物は確認できない。
「はい、失礼します」
ずっと緊張気味のレイ。師匠さんのこと、そんなに怖いのかな。
ボクたちはゆっくりとデスクのほうへと歩いていく。ボクの手を握るレイの手にも力が入る。
「よくきたな、零。お~お~ちょっと見ない間に大人っぽくなって~。よしよしよし。なんだ~色付きリップなんて塗って色気づいてるな。どうしたどうした~、気になるやつでもできたか? 先生にもちゃんと紹介してくれよ? 仲人は絶対私がやるからな!」
モニターの向こうにしゃがんだレイが、わしゃわしゃされている?
あれ……? なんか聞いていた師匠さんのイメージと違うような……?
「師匠! 興奮しないでください! かえでくんも見てますから!」
「お、おう。そうか。うわさの楓くんを連れてきたか。すまないが楓くん、こっちへきてくれるか? そこだと顔が見えない」
師匠さんに促されるまま、ボクはモニターの内側にまわる。
「楓くん、はじめましてだね。天利麻里です。気軽に麻里ちゃんと呼んで良いぞ」
お、おおおおおおおおおおおおおお。
どこからどうみても白衣を着ている幼女だあああ。10歳くらいにしか見えないぞ。
子役? モデル? 整いすぎている!
色素が薄く絹糸のように細くまっすぐな長い髪をヘアバンドでとめていて、形の良いおでこがかわいい。パッチリとした二重に長いまつげ、小さな鼻に愛らしい唇。まるで天使のような――痛いっ。レイさんおしりをつねらないで。
「は、はじめまして! 七瀬楓です!」
「ふはははは。君が楓くんか。うんうん、話に聞いていた通りだな」
幼女に似つかわしくない豪快な笑い。でもそのギャップもまたかわいらしい。
レイがボクのことをどんなふうに話していたのか気になるけれど。
「師匠さんもレイから聞いていた通り、ホントにその、えっと」
「幼女みたい、か?」
イジワルそうな目でこっちを見てくる。
「え、あ、あの、はい。びっくりするほどかわいくて……って年上に失礼ですね、すみません」
「楓くんは素直でかわいいな。レイが気にかけるわけだ。良いんだ良いんだ。この格好は、私のただの趣味だからな。よっと」
麻里さんは笑いながら、デスクのチェアから飛び降りた。
背もボクたちよりもずっと低い! マジ幼女じゃん!
「趣味、ですか?」
「楓くん、目で見えているものが必ずしも真実とは限らないのだよ」
意味深に笑いながら、麻里さんが壁にかかっている巨大なテレビの電源を入れた。
「これを見たまえ。有名なだまし絵だ」
電源を入れてから数秒後、だんだんとテレビ画面が明るくなり、ぼんやりと何かが映し出されていく。
2本の水平線だ。それぞれA・Bと名前が付けられている。
「どちらが長く見えるか、という有名な錯視図形だな」
内向きの矢印がついた線Aと外向きの矢印がついた線B。どう見ても長さの違うように見える線だが、実際測ると同じ長さ、人間の目は不正確、というやつだ。
「つまり私がどんなに愛らしい幼女に見えていたとしても、実際には100歳を超える老女ということもありうるという話だ」
「師匠、話が飛躍しすぎです。かえでくんが困っています」
レイが後ろからボクの頭を撫でながら言う。
うん、まあ、そこまで困っているわけじゃないけど、何が言いたいのかはあまりピンときていないね。
「おい、楓くんだけ撫でるのはずるいぞ! 私のことも撫でろ!」
「いやですよぅ。師匠は撫で方の注文が多いからめんどうです」
「む。おいおい、楓くんからも何とか言ってくれないか!」
え、なんとかって何。
ええ……。
「じゃあ、かわりにボクが撫でましょうか、なんて……」
「おお、うまく撫でられたら弟子にしてやろう」
麻里さんがうれしそうに頭を突き出してくる。
冗談だったのに、いいのかな、これ。
おそるおそる手を伸ばし、麻里さんの頭を撫でようとした瞬間、レイに手首を握られて撫でるのを阻止されてしまった。
「かえでくん、ダメです。かじられますよ」
「私は猛獣かなにかか! がお~」
「猛獣のほうがはるかにマシです。師匠、冗談はもう良いので、そろそろお願いしておいた話をしたいのですが」
「うむ、まあ良いだろう。しかし相変わらず零はせっかちで困るな」
がおーのポーズから一転、麻里さんはデスクチェアに飛び乗って座りなおした。
「灰原灯の話だったな」
「はい、そうです。あかりさんは師匠が連れてこられたんですよね。どこから、何のために連れてこられたんですか?」
アカリさんは麻里さんが連れてきた。やはり研究者でも学園の生徒でもなかった。
「灯はたしかに私が連れてきた。提携している海外の病院関係者の伝手を使ってな。メキシコの脳外の知り合いの子でな」
麻里さんはあごを撫でながら、頭上でゆっくり回るシーリングファンを見つめていた。
「わざわざメキシコから、アイドルのオーディションを受けさせるために日本へ?」
「ああ、特別かわいかったのでな。灯なら売れると思って呼び寄せたんだよ」
「師匠はアイドルのプロデューサーではないですよね? 本当の目的を言ってください」
「そんなことはないぞ! ほら、このゲームを見てくれ! めちゃくちゃやりこんでいるし、毎日プロデューサーさんプロデューサーさんと慕われているんだぞ!」
麻里さんがスマホの画面を見せてくる。ソシャゲをやりこむタイプの人なんですね。
「師匠、そういうのはいらないです」
画面も見ずにピシャリと切り捨てるレイ。麻里さんにはあたりが強いなあ。
「うむ。まあ、うん、実験だよ」
「どっちのですか? 脳? それとも」
「それはまだ秘密だ。話は以上だ」
会話はここまで、というように麻里さんは口を噤んだ。
実験。
脳の研究者であり、精神科の医者でもあることは聞いている。
つまり、脳の実験ではないとすると、精神のほうの何か、なのか?
「そうですか。わかりました。いずれまた、話せる時が来たらお願いします」
「そうだな。その時にまた話そう」
特にこじれることもなく、会話が終わる。おそらく2人の中での不文律。
「かえでくん、そういうことなので、また改めて」
「うん、わかった」
何もわからないけれど、ここはレイに任せよう。
お辞儀をしてドアのほうへと体の向きを変えた、その時だった。
「ところで楓くん。君はどうだ? 今、楽しくやれているか?」
ふいに投げかけられる抽象的な質問。
麻里さんのほうに向きなおる。と、鋭い眼光がボクを貫いていた。
「はい、楽しい……と思います」
「それは良かった。心はいくら乱してもいい。しかし、目的だけは見失うな」
心? 目的? 何のことだろう。
「君には大いに期待している。早月、零、他も頼む。私は君の味方だ。動きやすいようにできるだけ取り計らおう」
「はい。ありがとうございます……?」
「わからないことは零に聞け。また近いうちに会おう。以上だ」
麻里さんはボクから視線を外し、モニターのほうへと体の向きを変えた。
「それでは師匠、失礼します」
「おう、またな」と、麻里さんはモニターから目を離すことなく短く答えた。
ボクたちは一礼してから麻里さんの研究室を後にする。
「アカリさんのこと、わかったようなわからなかったような」
研究室を出て、少し速足で歩いていくレイの背中に独り言を投げかける。
「でもわかったこともあります」
レイは立ち止まり、くるりとこちらに向き直った。
「あかりさんは師匠の実験のために連れてこられた。詳細はわかりませんが、わたしと同じ、たぶん心のほうの研究のために」
心の研究。
サクにゃんたちの脳の研究とは違う研究。
レイの自己と他者の境界や個の確立。人間関係の形成やらマネージャー業は何の研究になるんだろう。
「ただなんとなく連れてこられたわけではなく、目的があって連れてこられたんです。それがはっきりと聞けただけでも収穫は大きかったです」
目的。
麻里さんは「目的だけは見失うな」と言った。
ボクの目的とはなんだ。
メイメイを再び武道館へ。そしてその先の未来を目指すこと。
「師匠はあかりさんのことはまだ話せないと言いました。連れてこられた目的も、消えてしまったわけも、今わたしたちが知るべきではないということです」
「いずれ、か……」
「わたしたちにできることをしながらその時を待ちましょう」
「そうだね。そろそろ夕ご飯の時間だから帰ろうか」
たしかに、麻里さんは得体が知れなかったな。
かわいい幼女の皮をかぶった何かだ。レイの言う通りなら中身は――。
でも、ボクの味方だと言った。その言葉を信じて良いのかはまだわからないけれど、今はまだ何も判断できる材料がない。




