第1話 強化合宿につき、居残りを言い渡される
定期公演#6が無事終了し、会場の撤収作業中。
花さんに呼び出しを受けたのは、ボクとハルルの2人だ。相変わらずボクの頭の上には花子が乗っかっているけどね。
「あなたたち2人は、ここに居残りになります」
ボクとハルルは思わず一瞬だけ顔を見合わせて、すぐにお互いに視線を外す。
めっちゃ気まずい……。
定期公演が終わってから話そう。
まだそのタイミングは訪れていないのだ。
「特別講師もあとで合流することになっているから、しっかり学ばせてもらって、自分のものにするのよ」
花さんが、ボクとハルルの肩を叩いて笑う。
特別講師? いったい何の話ですか?
「がぅ?」
頭の上に乗っている子グマの花子がボクの顔を覗き込んでくる。
うん、ボクたち居残りだってさ。何をするんだろうね?
「詳細なスケジュールは後でメッセで送るわね。今日この後はオフで、明日の朝から強化合宿だから、そのつもりで体を休めなさい」
「花さん。それはその……何の合宿ですか?」
ハルルも見当がついていない様子だった。
わかっていないのはボクだけじゃなかったみたい。
「あら、ごめんなさい。言い忘れていたわね。アニメのアフレコに初参加するあなたたちのために、上層部の計らいで特別強化合宿の予定が組まれたのよ」
ああ、朝西のアニメの!
そうだ。ボクたちはアニメで声をあてるんでしたね!
「舞台や映画の演技とはまた一味違うから、発声練習から演技指導まで、一通りのカリキュラムをこなしてから収録に臨んでもらうわよ」
「なるほど! わかりました! がんばります!」
「ありがとうございます! がんばります!」
そういうことなら納得です。
声優養成講座的な合宿ね。ちゃんと講師の人も来てくれるんだ。
出演するからには、見てくれた人に棒読み声優とか言われたくないし、がんばらないとなあ。
「かえでくん」
「あ、レイ。どうしたの?」
レイが心配そうに見つめてくる。
「わたしも残ったほうが良いでしょうか」
「あー、うん。でも、合宿だし……」
「かえでくんのお世話をする人がいないと困るのではないでしょうか」
それはとても困る、けど……。
「零、ダメよ。そんなに楓を甘やかさないの! 宿泊費用は2人分しか予算通してないから、あなたは本社に戻りなさい」
花さんからの無情な宣告。
でも予算がないなら仕方ないか……。
「カエデちゃんのお世話は私がし~~~~っかりとしておくから安心して任せてちょうだい!……ケホケホ」
ハルルが、ドンッと自身の薄い胸を叩き、軽くむせていた。
だけど今ハルルと2人きりはとても気まずい……。
「あ、花子はどうしよう。レイと一緒に戻る?」
「がぅがぅ……」
ボクの頭にしがみついて離れようとしない。
ずいぶん懐かれたものだね。かわいいやつめ♡
「どうやらかえでくんと離れたくない様子ですね……。いいですか、はなこさん。かえでくんに手を出したら許しませんよ。わかっていますね……?」
レイさんの目が光って……圧力が怖い。
「が、がぅ!」
コクコクコクコクコクコク。
何度も何度も首を縦に振って、服従をアピールする。
恐怖でお尻震えてるじゃんか……。
「ではかえでくんのお世話ははなこさんに任せます。あらゆる毒牙から、かえでくんを守る任務を与えます」
「がぅ!」
花子はどうやら命令を受領した様子だ。
お世話をするのはボクのほうな気がするんだけどな?
「というわけですから、はるさん。かえでくんのお世話はけっこうです」
「がぅ!」
あー、そういうこと?
ハルルに対するけん制だったのね。
「まあいいわ。こんなちっちゃいクマなんて……サクラにもらった薬で……」
ハルルの口から独り言が漏れ聞こえてくる。
物騒な……聞かなかったことにしよう……。
「レイ。たぶんまあ、こっちは心配しなくても平気だよ。食事も全部用意されているし、温泉もあるし、なんなら本社ビルより快適かもよ?」
「かえでくん……信じていますからね」
だから何を……。
そんなガチトーンで心配されるようなことは何もありませんって。
「う、うん……。あー、そうだ。レイはさ、先に帰って花子が住めるようにいろいろ準備をしておいてくれないかな。ボクたちの寮部屋に住むわけだし、寝床とか、環境整備が必要だよね」
野生のクマが暮らせる環境っていうのがどんなものなのか、あまりよくわかっていないけれど、それを調べるところからってことになるのかな。
「そちらはおまかせください。わたしとかえでくんの娘が快適に過ごせるように新居を整えておきます」
レイさん言い方に気をつけてー。
変に煽るとさ……ほら、見てよ?
怒りを抑えるために柱を掴んで……そのままちぎり取ろうとしている人がいるから……。ドーム偽装用の洋館が崩れちゃう……。
「ま、まあ……合宿中の世話はボクのほうでやるから、そっちは頼むね」
「わかりました。無事なお帰りをお待ちしています」
「がぅがぅ!」
元気に返事をする花子。
お前はこの後、この住み慣れた山を離れて都会に引っ越さなきゃいけないってちゃんとわかってるのかな。まあ、まずはお試し……慣らし保育的なものだけどね。厳しそうだったらすぐ戻ってこれるようにはしないと。
うーん、車の免許がほしいなあ。
18歳の誕生日がきたらすぐ取ろうかな。




