第18話 定期公演#6 その0~定刻直前、舞台袖の控室にて
定期公演#6。
開始直前の控室。
今まさに≪初夏≫の5人がステージに向かって控室を出て行ったところ……なんだけど。
「みんな微妙な顔をしながらステージに上がっていったね……」
レイさん、かわいそうだから許してあげて?
「かえでくんのお願いでも聞けないことはあります。わたしはとても怒っています」
朝からずっとレイが目を合わせてくれない。
困ったなあ。
ずっとこんな空気で……しかも本番直前の≪初夏≫のみんなにも気を遣わせてしまって……。これで公演のパフォーマンスに支障をきたしたりしたら、ボクたちマネージャー失格ですよ。
「なんやチビ~。お前やらかしたんか? こないなもんつけられて反省させられて~。ちっちゃいのにかわいそうにな~。うりうり~」
シオがしゃがみ込んで花子をいじっていく。
本番直前の控室にシオがいる理由――定期公演#6のお当番はサクにゃんとシオということで、今日ばっかりはコントロールルームを離れて舞台脇の控室でスタンバイ中ってわけ。今日の舞台演出と総指揮は都が代行する手筈になっている。
「ねえ、レイ。花子は動物だし、まだ小さいし、正座なんてさせたらかわいそうだって……」
「はなこさんはすべて理解してやっているんです。わたしにはわかります。許しませんよ」
レイさんが本気で怒っていらっしゃる……。
「でも、花子をお風呂に入れようって言ったのはボクだし。なんかちょっと汚れていて臭かったからさ」
大して深く考えていなかった行動だったのに、なんでこんなことに……。
「それでも許せません。かえでくんとお風呂に入っていいのはわたしだけです。まさか飼いグマに寝取られるなんて……」
いや、寝てないですし。お風呂に一緒に入っただけですし。それと……そもそも論ですけど、ボクは零さん以外とお風呂に入っちゃダメなんでしょうか……。あ、すみません。そんな涙目で睨まないでくださいよ。わかりましたってば。なるべくほかの人とは入りませんって……。でも花子は動物だから許してあげて……。
「あ……もしかして、花子が最初ちょっと温泉行くのを嫌がったのって、お湯かけられるのが嫌だったんじゃなくて、勝手にボクとお風呂に入ったらレイに怒られるからってこと?」
正座して『反省中』のボードを首から下げた花子が、怯えたように小刻みに頷く。どんな教育なの……。まだ子グマなのにかわいそう。
「チビ~。お前おもろいやっちゃな~。どこからどう見てもただのクマなのに、ずいぶん賢いやんな? 興味あるわ~。うちのとこで一緒にくるか?」
プルプル。
花子が小さく首を横に振る。
「なんや振られてしもたわ~。レイちゃんと一緒がええのんか?」
コクコク。
「そうなんか~。でも、カエちんのことも好きなんや?」
コクコクコクコク。
「二股やん! 子どものくせにええ根性しとるな~。せや。いっそのことマンガの主役にしてしまおか」
シオが……シオセンセがまたよからぬことを考えていらっしゃる。
子グマが主役。
しかも絶対悪い方向にエロ要素を入れてくるに決まってる……。
「レイ、動物虐待してると、シオセンセにマンガにされるよ」
「虐待ではありません。教育です」
うーん。
今日のレイは頑なだ。
「ボクは寝取られてないから……。花子も、もうそんな重たいボードははずしてこっちにおいで」
首にかかった反省ボードを外してやってから、花子を抱き上げる。そんなに泣かないの。大丈夫だからさ。ボクがちゃんと一緒に謝ってあげるし。いや、そもそもボクが悪いんだから、ボクが謝るからさ。
「かえでくんははなこさんを選ぶんですか……」
「レイ、そうじゃないって。花子は動物だし、まだ子どもだから。しつけは大事だけど、行き過ぎたらかわいそうだよ。泣いちゃってるじゃん」
抱っこしている花子の背中をポンポンと叩いてやる。するとより一層強く抱きついてきた。
「はなこさん……。わかりました。今回だけは許します。でも、今後一切かえでくんと2人きりでお風呂は許しませんからね」
コクコクコクコク。
ボクに抱っこされたまま花子が何度も強く頷いた。
そんなに震えて……。レイだってわかってくれるよ。大丈夫だって。
しかしお前はちっちゃいのに頭が良いし、とってもかわいいな。ちゃんとシャンプーしたから良い匂いがするし、毛並みもつやつやさらさらだ。
「あのさ、花子って寮に連れて帰ったら怒られるのかな? こんなに人間と接触してたら、もう野生には帰れないでしょ。母グマが迎えに来る気配もないし……」
「そうですね。でもやはりクマですから、定期的に自然の中で走り回る必要もあるとは思います」
そうだなあ。うーん、クマだもんなあ。
やっぱり都会で暮らすのは無理かあ。
「トレーニングルームのランニングマシーンで走ったらええやんか」
と、シオの提案。
「それは自然の中で走るのとはだいぶ違うのでは?」
「そないなもんか~? プロジェクションマッピングでこの山を再現したら、シミュレーションゴルフと一緒やんな?」
「スクリーンに投影されたゴルフのコースにボールを打つやつ? VRみたいなものかな。いや、さすがにそれを動物に強いるのはちょっとなあ」
人間だからそれでもギリギリ割り切れるだろうけど、動物はリアルに走ってなんぼでしょ。
「そこまで言うんなら、うちの研究室で抱えている野草農園を貸したるわ。勝手に野草かじったりせえへんよな? ちょ~っとだけこの山とは違うのも堪忍したってや」
花子はそんなことしないよね?
コクコク。
「まあ、花子はお気に入りの木の実とかしか食べないから、野草は大丈夫じゃないかな? 誰かに見られずに走れる自然な空間があるなら大丈夫そうかなあ。あとは麻里さんに許可を取ればいけるかな」
『許可する』
テントウムシのドローンいたんかーい!
いたんなら最初から会話に参加してくださいよ。そもそも花子を保護したのは麻里さんでしょ。レイに世話を丸投げにするから、なーんか超かしこくて妙に大人びた子グマに成長しちゃってるじゃないですか。でも人懐っこくてめっちゃかわいいですけど!
『零、楓。お前たちの子どもだと思って、責任をもって世話しろよ。エサや必要な道具、場所の提供はする』
まあ、麻里さんがバックアップしてくれるなら安心ですね。
ん、レイさん?
急に頬を赤らめてどうしましたか?
あ、子どもってそういう意味じゃないですよ? 育ての親的なあれですからね。ダメだ、意識がどっか行っちゃった……。
「良かったな、花子。正式にお前は今日からうちの子だ!」
花子がボクの体をよじ登って頭の上にまで登ってくる。
お、なんだなんだ?
「お、チビ。やる気やんな? ほれ、ペンライト持たしたるわ」
花子は、シオから渡されたペンライトを受け取ると、モニターに映る観客たちをじっと見つめている。映し出されているのは、AI観客たちが公演前にペンライトチェックをしている様子だ。
と、花子が見よう見まねでペンライトに電源を入れる。爪で器用にスイッチをいじって青い光を灯すと、激しく上下に振り始めた。細いペンライトをうまく爪に引っかけて持っている! なんて器用なんだ……。
「おっと、時間だ。もう定期公演#6スタートするぞ!」
フッと会場が暗転し、爆音でOvertureが流れ始める。
花子、音の大きさは平気かな? おー、動じないどころか楽しそうにペンライトを……お前、将来大物になるな……。
よっしゃいくぞー!




