第17話 花さん帰っちゃうんですか? 一緒に泊まらないんですか?
というわけで、その子のアイディアを採用し、ボクとレイは定期公演#5が始まる前日の夜に『仮称:セキュリティ対策万全で安心安全ドーム』にやってきたのだった。
「え、花さん帰っちゃうんですか? 一緒に泊まらないんですか?」
花さんが運転手として、ボクとレイをレンタカーで送ってきてくれたわけだけど。ボクたちを置いてそのまま本社に戻るって……。
「仕事が山積みなのよ。こっちの準備はあなたたちに任せるわ。お願いね」
「もちろんそれは当然やりますけど、もうけっこう遅い時間ですよ? これから運転して帰るのって平気なんですか?」
今から数時間も車を走らせて本社に戻ったら、確実に深夜になっちゃいますけど。
「大丈夫よ。栄養ドリンクもあるし」
そんな目の下に濃い隈を作った顔で大丈夫って言われてもなあ。
「事故ったらまずいし、さすがに今日は泊まりましょうよ……」
「そのつもりで来ていないから着替えもないし……」
「宿泊施設が完備されているので、寝具や着替え、下着などもそろっています」
レイが待ってましたとばかりに施設のカタログを見せてくる。これはスタッフ向けのマニュアルではないね。とても豪華な装丁だし、あきらかに商業用だ。一般客を想定した施設のカタログってことなのかな。
「へぇー。これはすごい。なーんだ、食事とか飲み物とか買い込んでこなくても良かったんだね。大きな温泉施設まである!」
無人ですべての施設のメンテナンスが回っているらしい。地下に作られた巨大なシェルターだ。何々? 将来的には自給自足の環境を実現するために、地下農場の建設中?
「そう、なのね……」
花さんは立派過ぎる施設のカタログを見てもまだ迷っている様子だ。そんなに重要な仕事を残してきたのかな。
「今日中に仕上げないといけない仕事があるんですか? ここだとできない系の?」
「いえ、そういうわけではないわ……。一応明日の定期公演が終わった後でも問題はないのだけれど……」
どうも歯切れが悪い。
「じゃあ泊まりましょうよ。今日は早めに休んで明日に備えないと。体調が悪くて困るのは演者だけじゃなくてスタッフのほうもですからね」
「でも……」
何を迷っているのかな。
どうも何かを隠しているようで、さっきから花さんの目が泳いでいるように見えるのだけれど。
「お探しのものはこちらですか?」
レイが足元のボストンバックから大きな何かを取り出してきた。
「何?……枕?」
「ああっ! これ! 私、枕が変わると眠れなくて……」
花さんは、派手めなピンクのストライプ柄のリボンがついた枕を受け取り、顔をうずめるように頬擦りする。なるほど、お気に入りの枕なんですね。でもそんなに顔を擦ったらお化粧つきますよ?
「枕が変わるとって……。花さんにそんな一面があったとは……」
何があってもびくともしない、神経が鋼鉄でできているのかと思っていたのに、枕が変わったら眠れないなんてちょっと人間っぽいところもあるんだなあ。その一面を出していけば、いよいよ彼氏の1人や2人はできちゃうんじゃないでしょうか。
「睡眠は大切なのよ」
「いや、その隈のある顔で言われても説得力がないんですが……」
「これは……そういうメイクよ」
「絶対違うでしょ。ボクたちに振れる仕事があったら言ってくださいよ。花さんに倒れられたら困るんで」
まあ、社員にしかできない仕事とかがあるんだろうけど、一応まだ手伝えることもあるかもしれないし。
「ありがとう。1つお願いしたいことがあったわ。あとでメールしておくから目を通しておいてちょうだい」
と、ボクではなくレイのほうを見て言う。
「はい。承知いたしました」
ああ、そう。ボクはお呼びではないですね。どうせ事務仕事はレイがやったら1億倍速くて2兆倍正確ですもんね。……くそぅ、ボクはAIのはずなのにな。AIって演算処理は最強なんじゃないの? なんで計算とか苦手なの……。体動かすほうが得意なAIってなんだよ……。
(かえでくんは存在しているだけで尊いので問題ありません)
いや、それは大問題だよ……。
マネージャーとしての仕事をしたい……。もっと有能なマネージャーに……。
(カリスママネージャーとしてのかえでくんに期待しています)
カリスマ?
何する人なの、それ?
(≪初夏≫のみなさんに色目を使って思い通りに操る仕事です)
言い方-! 悪意があるでしょ! ボクはそんなことしてませんけど⁉
(ではわたしに色目を使ってください)
それはもうマネージャーの仕事関係ないじゃん。
(わたしはかえでくんのそばにいられるだけで満足です)
そう言ってくれるのはとてもうれしいんだけどね……。ボクだって、もうちょっとくらいは事務仕事とかで活躍できるようにはなりたいんだよ。
(それではこちらの本を読んで勉強するのはどうでしょうか。わたしも最初の頃、読んで参考にしていました)
本か。体系だった学習は大事だよね。言われてみればちゃんとマネージャーという仕事について調べたことがなかったかも。≪初夏≫のマネージャーは仕事内容が特殊だから、それだけ覚えたらいいと思っていたけれど、そんなことはないよね。基本がわかって初めて応用ができるはずなんだし。
『サルでもわかる! 正しいマネージャー業~入門編(マンガ版):三井栞 著』
なんだ、シオセンセのマンガじゃん……。
サルでもわかるシリーズにマネージャー入門書もあったのか……。まあ、あとで目を通してみよう。
「それでは宿泊施設のほうに向かいましょう」
レイの案内で、ドーム内を移動していく。
この地下施設は、ドーム――いわゆるコンサート会場部分を中心にして、周辺に宿泊施設や商業施設が点在している造りになっているらしい。
しっかし、この地下施設ってどれくらいの広さがあるんだろう……。そもそも地理的な場所もあいまいだし、地下何メートルなのかもわからないし、無人で完全自動メンテナンスになっているし、なんだかちょっと怖いな……。
服屋っぽいお店に立ち寄り、下着やパジャマなど花さんの日用品を準備する。
「はなさんが今着ているスーツは、ここでクリーニングに出してしまいましょう」
「そうね。クリーニングできると助かるわ。先にお風呂に入って着替えてきてからまたここに立ち寄ることにします」
「それでは食事の前に温泉施設に向かいましょう」
たしかに、体をきれいにしてからパジャマには着替えたいですよね。
あれ? と、いうことは? このまま3人で温泉に入る流れ……? 花さんと初めての……いいんですか?
「こちらが温泉施設です。近くに源泉があり、そこから直接引いているそうです。なんでもこの施設を開発するために試掘をしている際に発見されたらしく、近隣の地域にも無料提供されているそうです」
「へぇー。それはすごい。わりと大規模に土地を買い上げて好き勝手建築やら掘削やらをしたのかと思ったら、地元にちゃんと還元もしているんだね」
近隣住民から反対運動とか起こったら嫌だし、そういう根回し的なのは助かる。といっても、見渡す限り山なんだよねえ。こんな山奥に人なんて住んでるの?
「泉質はアルカリ性単純温泉に分類されています。刺激が少なく、ゆっくりと浸かればお肌すべすべになること間違いなしです。もちろんほかに宿泊客はいませんから、貸し切り状態ですし、気兼ねなく堪能していただけると思います。飲用の許可も出ています。ぜひ、はなさんからお先にどうぞ。わたしとかえでくんはその間に少し仕事を片づけてきます」
「お肌すべすべになる温泉、楽しみだわ。零、ありがとう。お先に悪いわね」
はなさんはうれしそうに暖簾をくぐり、女湯に消えていった。
ですよね……。
はなさんと一緒にお肌すべすべ温泉に……痛いっ! お尻をつねらないでください! わかりましたって、ちゃんと仕事しますから!




