第39話 定期公演#4 その8~テントウムシ襲来(終)
「かえでくん、大丈夫ですか? かえでくん?」
あ、レイ?
なんかちょっと記憶が……。えーと、さっきまで何の会話してたっけ?
おっと! いつの間にか『We’ll be the No.1 IDOL』が始まってるじゃん!
「師匠が≪初夏≫の楽曲すべての作詞作曲をされているという話です」
あ……。
さっき消したはずの記憶がよみがえってくる。
うわー! だからそんなこと知りたくなかったんだってば!
『シュークリームが膨らまないの』とか、「ふわふわ」のあたりとか、あの麻里さんが振り付きで……ダメだ、さすがにそれは想像できない……。うーん、あんなに純粋で美しい歌詞があの人から生まれることなんてあるの……。
「かえでくん、ずっとひどいです。師匠は乙女ですよ」
あれ? デジャヴ?
それさっきも聞いた気がするけど、やっぱり信じられなくて……。
あ、やば。テントウムシだ……。
ちょっとちょっとちょっと! テントウムシのドローンなんか足に持ってるじゃん!
小っちゃい注射器⁉
ボク、抹殺される⁉
「ウソですウソです! 麻里さんのこと尊敬してますから! 作詞作曲すごいなー。才能ありすぎて、まさか麻里さんが作っていたなんて気づきませんでしたよ!」
いや、来ないで!
許して!
レイ! 助けて!
「かえでくん……わたしは何度も警告しましたよ」
レイの紫紺色の瞳が悲しそうに沈む。
み、見放された⁉
あっ。
首筋に冷たい……極小の注射針を刺された感覚。
一気に体の力が抜けていく。
ああ、ボクの冒険もここで終わりなのか……。
せっかく≪初夏≫の人気が上がってきたというのに。
これからなのに。
もうおしまい?
レ……イ……。
* * *
意識が戻る。
ここはどこだ?
ライブ会場、じゃないな……。
やたらと天井の低い小さな部屋?
「かえでくん、気がつきましたか」
ドアップのレイの顔を見上げるかっこうだ。レイがさらに顔を近づけて、覗き込むようにしてボクのことを観察してくる。まつ毛同士がくっつきそう。
ん、体が拘束されているようでまったく動かせないな。
「大丈夫ですよ。ひと眠りしたらお腹すきましたか?」
いや、別にお腹は大丈夫だけど。
あれ……でもそう言われたらお腹がぐうぐう。
「すみません。わたしはまだ母乳が出ないようなので、こちらの粉ミルクでがまんしてください。あとで師匠に薬をもらってきてなんとかしますから」
母乳? 粉ミルク?
レイは何を言ってるのだろう。
「………まっ」
んー、声がうまく出ない。
体も動かないし……。
さっきテントウムシに注射された何かの薬の影響かな。
まあいっか。
レイがいれば別に何も問題はないよね。
「そのままですと飲みにくいでしょうから、一度抱っこ紐はずしますね」
レイにお尻の辺りを支えて持ち上げられる感覚。
抱っこ紐……?
「これで大丈夫ですね。ミルクの温度も平気です。さあ召し上がれ」
体の拘束が緩くなった瞬間、哺乳瓶のゴムを口に咥えさせられる。
うん……試しに吸ってみる。
味気のない薄いお湯だ。これが粉ミルク? ぜんぜんミルクじゃないじゃん。まっず。
ぺっ。
「ああ。おいしくなかったですか? ですが規定量をちゃんと入れてお湯で割りました……何か違うのでしょうか」
「何やってるんだ、零。世話をしたいというから任せたのに、なっちゃいないな」
麻里さんの声が近づいてくる。
「赤ん坊なんてのはな、本能のままに生きるものなんだよ。お腹は減っていてもこれは飲みたくない。ちょっと首の角度が気に入らない。部屋が暑い、寒い。汗かいて気持ち悪い。いろいろあるんだ」
「どうしたらよいのでしょうか」
「気にさせるな。集中させてやればいい」
「集中ですか」
「貸してみろ」
ボクの体は、レイの柔らかな胸の感触から引きはがされると、今度は麻里さんの腕の中へとすっぽりと収まる。
白衣のひんやりとした感覚、布擦れ音が心地良い。
って、もうさすがにわかりましたよ。
ボクは今赤ちゃんになってますね?
さてはあのテントウムシに薬を盛られたんですね……。
「ほれ、飲め」
再び哺乳瓶の乳首を口に咥えさせられる。
いやですよ。それ味なくておいしくないし。
ぺっ。
「大丈夫大丈夫。飲んでたらおいしくなるからな」
やさしくお腹をポンポンされる。
う……気持ちいいけどさー。
と、麻里さんがボクの耳元に口を寄せてきて小声で話しかけてきた。
「まあ、いつまでも飲まない気なら、私にも考えがある。そうだな……零を改造するしかないな。楓が哺乳瓶からミルクを飲めないって言うなら、みんなの前で零の母乳飲ませるしかなくなるな」
さすがにそれはちょっと……。
もういろいろ全部アウトな気がします。
しかたない、ここはおとなしく従っておくか。
ごきゅごきゅごきゅ。げぷー。
んー、まずい。もう1杯。
「さすが師匠です。かえでくんがおとなしく完飲しました」
「赤ん坊の扱いは慣れているからな」
ただの脅迫じゃんか。
「オムツは……なんだまだ何も出てないな。ガマンしてるのか?」
ガマンとは?
いや、赤ちゃんになったとて、さすがに1人でトイレに行きたいんですけど。オムツにおしっこなんてしませんよ⁉
「師匠。オムツ替えはわたしが」
「そうか。じゃあ任せるよ」
再びレイのもとへ受け渡される。
うんうん、やっぱりレイは柔らかくて温かくて……やさしい匂い。落ち着きますね。
「……いたずらするなよ?」
「善処します」
いや、レイさん、善処じゃ困るんですよ。絶対やめてね?
しかしなんだ。
この姿だとレイと念話できないのかな。
おーい、レイ? レーイ?
ダメだ、ぜんぜんレイの声が聞こえない……。
思考は普通な気がするのに、考えていることがうまく声に出せないし、心の中で呼びかけてもレイが反応する気配がないな。
仕方ない。
ウター? ウタさん緊急通信どうぞ!
こっちもダメか……。
困ったな。
誰ともコミュニケーションが取れない。
かなしい……。
「おぎゃおぎゃおぎゃあ」
「あらあら、かえでくんが泣いてしまいました。どうしたのでしょう」
「どれ、見せてみろ。赤ん坊はな。お腹空いたか、オムツ気持ち悪いか、眠いか、暑い寒い、その辺りに不満がある時に泣くんだよ」
いや、別に今は泣いたわけでは。
「ミルク飲んだからお腹はいっぱいなはずだ。オムツも濡れていない。気温は25度。湿度も50%。環境は問題ないな。とすると眠いのか」
「さっきまで寝ていましたよ」
「赤ん坊はお腹いっぱいになったら寝るんだ。ショートスリーパーだからな」
「そうなんですね。子守歌を歌います」
いや、眠いわけじゃないんだよ。
ちょっと声を出しただけで……。あれ、なんだか眠く……。
「ここは任せたぞ。私は定期公演の後片づけをしてくる。お前たちはほかのメンバーとは別便で帰れ。調整はこっちでやっておく」
「ありがとうございます、師匠」
いつの間にか定期公演#4終わっちゃってたのか。
最後の新曲『たとえ報われなくても僕は君を愛してる』を聞きたかったなあ。
ああ、そういえば今回の定期公演は無事終わったなあ。
このドームは安全なんだ……。さすが麻里さん……。
「ねんねん ころりよ おころりよ。わたしの愛しい お姫様」
第七章 定期公演 ~ Monthly Party 2024 ~ #4編 ~完~
第八章 定期公演 ~ Monthly Party 2024 ~ #5編 へ続く
ここまでお読みいただきありがとうございました。
定期公演#4は新ドームのお披露目もありつつ、無事プログラムを終了することができました。
ボンバー仮面V3の介入があったのかどうかについては公演中は語られていませんが、公演の進行を妨げるような事態にはならなかったようです。
おそらくここまで読み進められた方は、さすがにこれで敵が沈黙するわけはないという予想をされることでしょう。
次の章で定期公演#5での戦いはどうなっていくのでしょうか。
また、途中で発表された≪Believe in AstroloGy≫×≪The Beginning of Summer≫一夜限りのスペシャルコラボレーションライブについての詳細も気になるところです。
この後もどうぞよろしくお願いいたします。




