第16話 秋月美月・伝説のパフォーマンス
「活動3年目のある日。≪BiAG≫にとってターニングポイントとなった、ある出来事の話をしよう」
麻里さんがボクのほうを見て一度小さく頷く。それから視線を外してゆっくりと研究室の中を歩き出した。
メイメイのお母さんたちのターニングポイントか……。
とても気になるね。
「それはいつもの小さなライブハウスではなく、JICの予選に参加した時のことだ」
「ジェイアイシーって何ですか?」
「十数年前には『ジャパンアイドルセレブレーション』通称JICという日本のアイドルたちがこぞって参加する夏の祭典があったんだ」
「おお、そんなイベントが! 今のTIFみたいなものかな?」
「日本とついているが、今のTIFほど規模は大きくなかったよ。だがそうだな、規模以外のコンセプトなどは似たようなものかもしれないな」
ふむふむ。
つまり活動3年目に≪BiAG≫が大きめのイベントにエントリーしたわけですね。
「東日本エリアの初日、10組中10番目の登場だった」
「トリだ! 良い順番!」
テンションの上がったボクの言葉に麻里さんが反応して立ち止まる。
「そうだな。くじ運に恵まれたと言えるかもしれないな。客も温まり、非常に良い雰囲気の中、満を持して≪BiAG≫は登場した」
とても良い話……のようなのに、麻里さんの顔色は優れない。
なぜだろうか。
「≪BiAG≫がステージで1曲目を披露。そして2曲目のサビ前。テンションが最高潮に達したその時、事件は起こった」
「事件、ですか……?」
「ああ。1人の観客が警備員の手をかいくぐり、ステージに上がったんだ」
「テンション上がっちゃった系ですか。迷惑なお客さんだなあ」
そういう輩には、ボクたちも十分に気をつけないといけないね。有人ライブをやるのなら、常に頭に入れておかないといけないことだ。
「いや、違う」
「違う?」
「その人物は、至って冷静だった。冷静に誰にも警戒されることなくステージに上がり、それまで隠し持っていた刃渡り20センチを超えるサバイバルナイフを手にしたんだ」
「なん、と……」
「明確な殺意があった。その人物はセンターに立つ秋月美月を狙って、まっすぐに走り寄ってきた」
なんということだ。
「とっさのことで秋月美月は反応が遅れてしまった。走り寄る男に秋月美月が刺されるその瞬間を、誰しもが眺めることしかできなかった……」
誰もが止められない。
まさか、そんなことが。メイメイのお母さんが刺される⁉
「まるでスローモーションのように男が近づいてくる。しかし、動くことができずにいる秋月美月。最後の防衛本能で反射的に目をつぶる。『ああ、ここで自分は刺されて死ぬのだ』と」
臨場感たっぷりに語る麻里さん。
まるで今、まさに現場を見てきたかのように。
「しかし、なぜかその時は訪れることがなかった」
「どう、なったんですか?」
「男がサバイバルナイフを突き刺したのは、秋月美月ではない、別の人物だった」
「別? まさかほかのメンバーが?」
「いや、メンバーではない。刺されたのは当時の≪BiAG≫のマネージャーだった男だ……」
マネージャー!
って、マネージャーが刺された⁉
「いったい何が起こったのか、その時は誰にも理解することができなかった」
「誰もが秋月さんが刺されたと思った。でも、実際に刺されたのはその場にいなかったはずのマネージャーさんだった、と?」
「そうだ。誰もが動けずにいたあの瞬間、ステージ脇にいたマネージャーの彼だけは違っていた……」
ああ、そうか。
飛び出していって身代わりになったのか……。
「脇腹に深々とナイフが刺さったまま、何事もなかったかのように秋月美月の肩を叩き、彼は言ったんだ。『何をしているんだ? もう曲が始まっているぞ。これはキミたちのステージだ。さあ観客が待っているぞ』と」
その光景を想像し、鳥肌が立った……。
マネージャーは、秋月さんを守ろうとしたわけではない。いや、もちろん守ろうとしたのだろうけれど、ホントに守りたかったのは彼女たちがつかんだチャンスなんだ。大きな舞台でのパフォーマンスの機会を守りたかったんだ……。
「秋月美月が持つマイクに乗ったマネージャーの声を、そこにいたすべての観客が耳にした。すぐに秋月美月たちは我に返り、パフォーマンスを再開した。マネージャーは立ち尽くす犯人の手首をつかむと、何事もなかったかのように、ステージ脇へと静かに立ち去った」
「そんな……実は大した傷じゃなかった、とか?」
「いいや、間違いなく重傷だったよ。パフォーマンスを再開した秋月美月の肩には、べっとりと血糊が、その頬には返り血が飛び散っていたんだからな……」
マジか……。
「何事もなく再開されたので、観客は演出の1つと勘違いしたんだろうな。一瞬の静寂の後、特に混乱も起きず、大きな盛り上がりを見せたよ。いや、違うな……。盛り上がったのは秋月美月のパフォーマンスのせいだろう」
「パフォーマンスのせい?」
「ああ、パフォーマンスだ。普段のライブでは観客のために行うそのパフォーマンス、それをあの時だけは、ステージを去ったマネージャーのことだけを想って、マネージャーのためだけに行ったんだ」
自分たちのステージを守ってくれてありがとう。
パフォーマンスをする機会を与えてくれてありがとう。
もしかしたらそんな気持ちだろうか。
「鬼気迫る歌、そしてダンスに、観客たちは手拍子すらも忘れ、ただ見入った」
「2曲目途中からのパフォーマンスを終え、1拍置いた後に鳴り響いた割れんばかりの歓声。あの光景は決して忘れられるものではない」
「伝説のパフォーマンス、か……」
観客たちの目にはどんなふうに映ったんだろうか。
ああ、その場に居合わせたかった。特別なパフォーマンスを目にしたかった。




