第23話 レイがしたズル
「師匠に出会うまで、わたしはただの観察者で、外側から見ると人の形はしているものの、中身が人間だったかと言われると怪しかったかもしれませんね」
人間は基本的に利己的な生き物で自分を中心に物事に興味を持ち、思考・行動する生き物のはずだ。
何にでも興味を持つが、何にも特別な興味を持たない。利己的ではなく、かといって利他的でもないというのは確かに異質かもしれない。
「師匠にまず訓練されたのは、自分という個を強く意識することでした」
「個って何なんだろうね。意識しようとするとすごくむずかしい……」
「何かを考えたり行動したりするときに、まず自分がどうしたいかを意識しなさいという話で――」
なるほどね、要するに、自分がどう思うか。
目の前にたくさんの野菜や果物が並んでいるとする。その中から何を選ぶか。甘くて好きだからイチゴを食べる。苦くて嫌いだからピーマンは残す。みたいなことか。
「自分が中心にいないとどうなるんだろう?」
「そうですね。これはイチゴという植物の種子で、野菜に分類されるけれど糖度が高いため果物と同様に扱われる、とかですかね?」
「なんだか図鑑みたいだね」
「わたしという図鑑の中に1つずつ収納していく、みたいな意味ではあっていると思います」
「それを何に使うか、が特にないってところが自分が中心にいないということかな」
「個を意識して、行動原理を自分中心に。そして次に衝動によって行動する訓練をしました。何かを行動するにあたって、あえて深く観察しないこと。自分の概念をあえて広げないこと。できるだけ小さく、そこから見える範囲で物事を判断すること。得られる情報が少ないため、判断を間違い、悔しいという感情も学びました」
とくに幼少期、人は失敗から多くのことを学ぶ。
「火に触れると熱いし、やけどするから触っちゃだめだよ」と口で言われても、火に触れたことのない子供にはそれを理解できない。弱い火で熱さを体感してみて、初めてこれは危険なものだと体で理解する。その体験がないままでいると、いつか本当にやけどする危険が高くなるという話か。
「そのあと、利他的であることを学ぶ訓練をしたんです」
レイは少し伏し目がちに言った。
あまり良い体験ではなかったことが伺える。
「とても難しいよね。考えなしに人のために何かをすると、ありもしない裏を読まれて偽善者ってね」
「そうなんですよぅ。その人のことを思って手助けをしても、最後にはみんな言うんです。『何が目的なんだ、お金か? 余計なことをするな』って……」
「人のために何かをする時は、それを自分がやったということがわからないようにするほうがいいって言うもんね」
匿名で寄付したり、覆面をつけて世界を救ったりね。
「名乗るほどの者ではございません。失礼」人生で一度は言ってみたいセリフランキングに入るやつー。
「失敗して落ち込んでいるわたしに、師匠は占いを教えてくれたんです」
なぜ占いなんだろう。気がまぎれるから?
「占われたい人は、何かに不安があるか、現在満たされていない状態なんです。だから、それを解消するための手助けをすると、とっても感謝されるんですよ」
レイは目を閉じ、何かに思いを巡らしながら微笑んでいた。
そうか、占いは利他的な側面があるのか。
例えば無償なら、困っている人を助けても、占った側に見返りはないように見える。
なるほどね。
「来る日も来る日も街頭に立ち、魔女の格好をしてたくさんの人を占いました。占いに来る人を観察し、問題を解消するための手助けをする。初めて人とかかわるのが楽しいと感じました」
「それはレイの持つ観察の力を使わずに?」
「それは師匠に禁止されていたので、目で見える情報、耳で聞く情報だけで占うようにしていましたよ」
「それはすごい。占い師に向いていたのかな?」
「どうでしょうね。知らない人の問題を解消することには向いていたのかもしれません。でも、あいかわらず学校生活はつらい日々の連続でした……」
学校ね。
閉じたコミュニティの中で形成される独特な人間関係。
レイのような少し変わった行動をする子は、まったくの空気扱いか、いじめのターゲットになるか。
「学校では当たり障りなく、静かに生活するように心がけていたのですが、その……男子に告白されることが……何度かありまして、その度に同性の方たちに嫌われて……、といった状態を繰り返してしまいまして……」
レイはおとなしくてかわいい。そして……胸が大きい。
地味系女子はなんだか行けそうな気がすると思われがちなので、ワンチャン告白されやすい(当社調べ)
そしてそれを断り続けていると、「調子に乗っている」と女子の間でターゲットにされやすい。つらい。
「レイはかわいいからなあ」
「うれしいです……でも学校にはかえでくんのような人はいなくて、みんなわたしの胸ばかり見てきて……心を見なくても何を考えているかまるわかりで、だから男子はキライです……」
正面切って見る勇気はないけれど、まあ、ちらちら見ちゃうよね……。
「負の感情が怖くて、最近しばらく学校に行けてなかったんです」
「つらかったね……」
「はい……。そんな時に師匠がこの話を、アイドルのマネージャーの話を持ってこられました」
どういうことなんだろう。
不登校なことと何か関係があるのかな。
「まず、女性だけの固定されたコミュニティであること。アイドルのマネジメントを通して、固定化した特定の誰かと深くかかわって人間関係を形成していけること。そしてアイドルの推し活を理解することで、知らない他人ではない、知人、友人、仲間に対する利己的、利他的な行動を学ぶことができるということでした」
あー、なるほどね。
アイドルの推し活は利己的であり利他的であると言えるかもしれない。
精神科医の見方はおもしろいな。
「そこでかえでくんに出逢ったんですよぅ」
「そこで出逢いましたね」
「かえでくんの行動は一次的な観察では理解不能で、だけど惹きつけられるものがありました」
「ごめんね、変なやつで……」
「そんな中、同じ部屋で暮らすことが決まって、わたしはズルをしてしまいました」
「ズルってなに?」
「言いたくないです……言ったら嫌われてしまうかもしれない……」
言ったら嫌われるズルってなんだろう。
あれだ、ハニートラップだ!!
「かえでくん、それは違います。それはかえでくんの感情の動きがステキで、たくさん動かしてみたくてあんなことを――」
レイの頬が赤く……そんなに照れるなら、なんであんなに体を張ったのさ……。
「わたしは、師匠の言いつけをやぶって、かえでくんの周りまで自分を広げてしまったんです……」
ボクの周りまで自分を広げる……とは?
「ずっとかえでくんのことを見ていました」
「ずっと……。ずっと?」
「はい、ずっと……」
あー、自分を広げる、そういうことね?
おはようからおやすみまでずっとレイはボクのそばにいたのね。
あんな時もこんな時も……って、うわあああああああ!
「本当にごめんなさい。でも、かえでくんのことが知りたくて」
「全部……見た……の?」
「はい……」
「あれも? もしかしてあの時のあれやあの時のあれなんかも?」
「はい、毎日さつきさんを隠し撮りしているのも、それを毎晩2時間ほど眺めてニヤニヤしているのも」
うわあああああああ!
見ないでえええええええええ!
「朝起きて最初にするのが、自分の胸を揉むことなのも……」
うわあああああああああああああああ!
ゆるしてゆるしてゆるしてもうころして……。
「わたしが体を密着させると、そっとわたしの匂いを嗅いだり、胸をちらちら見たり、男の子の感情が現れたり引っ込んだりを繰り返すことも」
うわああああああああああああああああああああああ!
あ、あ、あ?
「その、男の子の感情が現れるってどういうこと?」
「本当に最初の最初に出逢ったばかりの頃、体は女の子、精神は男の子でしたよね。ああ、そういう人なのかなと思っていたら、急速に精神のほうが変化していって、半日も経たずに女の子のそれになって落ち着きました。それがかえでくんに興味を持ったきっかけです」
レイが言っているのは……ボクの精神……心。レイはボクが何者か認識しているということなのか……。
「ちなみにレイにはボクのことはどう見えているの?」
「ちいさくってかわいくってなでなですりすりしたいですよぅ」
へっへっへって言いながら、ゾンビみたいな迫り方してこないで……。
「そうじゃなくて! ボクの精神というか心というか存在のほう?」
「そっちですか。今は自然ですよ。とってもかわいいマネージャーさんです」
頭をなでなでするんじゃない!
「最初の日からしばらくは、器と中身がちぐはぐでしたね。揺り戻したり、安定したり、ずっと変容していました。何の事情でそういう状態になったのかはわかりませんでしたが、激しく混乱しながらも、少しずつ馴染んでいく姿はとっても興味深かったですよぅ」
ボクはこの体に、馴染んでいっていたのか。
確かに違和感はすぐに消えたかもしれない。むしろ前よりも、思い通りに動く体が心地良いかもしれない。
複雑な気持ちだ。
「でも……たまにこうやって男の子の感情を揺さぶって起こしてあげないと、かえでくんがかえでくんではなくなってしまう気がして……」
だからって前後から2人で抱きついて感情を揺さぶろうとするのはやめて……。
その匂い、マジでくらくらするから……。
「では! 夜も遅いですし! このままお風呂へゴーですよぅ」
「あ、こら、2人で抱えるんじゃない! そういうのは禁止! 師匠さんに言いつけるよ! 待って! まだちょっと覚悟が!」
「大丈夫ですよぅ。かえでくんがすべてを受け入れてくれても、わたしは興味を失ったりしませんよぅ」
「ちょっ、そんなことまで覗くのは反則……」
もうダメ……降参ですぅ……。
ボクは何かを失って、何かを手に入れました。
とても……すごくてすごかったです。




