第19話 頭では理解していても……
応接室を出ると、ドアの前にはレイが待っていた。
「さあ、帰りましょうか」
笑顔で差し出されたその手をぼんやりと眺める。
ああ、この手があるからなんだな……。
ボクはその手をそっと取った。
「ありがとう」
「なんのことでしょうか」
レイはとぼけた表情を見せた後、前を向いて歩き出した。レイに手を引かれ、ボクもつられて歩きだす。
迷っていてもいじけていても、いつもこうして引っ張ってくれるこの手があるからボクは倒れずにいられるんだなあ。
「ありがとうね」
「さて、今日の晩ご飯は何にしましょうか」
レイは前を向いたまま歩き続ける。
ボクのお礼の言葉なんて、まるで聞こえていないかのようにいつも通りに。
「いつもありがとうね」
レイがいつもそばにいてくれるからボクは立っていられる。
ボクは純粋な人間ではありませんでした。
AIや人工的に生み出されたクローン体で補われていました。
きっとそれらの補助がなかったら、今こうしてここに存在していられないのでしょう。
そのことを頭では理解したし、こうしてここに立っていられることにとても大きな感謝をしている。
だけどね。
頭で理解できたからって、なにも感じないわけないじゃないんだよ。
『お前は人間じゃない』
急にさ、そんなことを言われて、何も思わないわけないじゃない……。
人間じゃないって何さ?
脳はコンピューターになっていて、AIで思考してるって何さ?
体はクローン技術で作られてるって何さ?
記憶はデジタルで一部しかないって意味わからないよ。ああ、たしかにね。昔のことを思い出そうとしても靄がかかったように判然としないことが多いよ。
そうだ。ボクは何もかも不完全な実験体だ。
だとしたら、ボクはいったいいつまで生きていられるのだろう。
シオの言っていた他のAIたちのように暴走して死ぬのかな。
アカリさんのようにフッと消えていなくなるのかな。
それともなんらかの機能不全を起こして、眠るように死ぬのかな……。ああ、やっぱり苦しみながら死ぬのかなあ。
いやだ。
死にたくないよ……。
ボクはメイメイの、≪初夏≫のみんなの活躍を見ていたいのに。
ボクの願いはそれだけなのに。
死にたくない……。
ねぇ、神様。
もし本当にこの世界に神様がいるのだとしたら、もう少しだけボクに時間をください。
みんなと一緒にいられる時間をください。
あと2年、いや3年……きっと彼女たちはアイドル界のトップに立ちます。
だからその時まで。
願わくは、その少し先の未来まで――。
どうか彼女たちと同じ夢を見させてください。
どうかどうかお願いします。
「かえでくんにはわたしがついています。神様に連れていかせたりはしません」
「ありがとうね」
「たとえ神様が、かえでくんの運命をそのようにお決めになったのだとしても、決してわたしはそれを許しません」
レイの手に力がこもる。
驚くほど力強く。
そして温かい。
でも柔らかくてやさしくて……安心する。
本当にありがとう。
レイがいてくれるからボクはここにいられる。ボクの魂が安定しているのはレイが一緒にいてくれるからなんだと思う。
これからもずっと一緒にいてほしい。
本当にありがとう。
「やっと見つけた! こんなところにいたのね!」
背中から大声を浴びせられて、体が一瞬硬直する。
「楓、零、ちょっと一緒に来てちょうだい!」
ボクとレイは同時に振り返る。
「なにごとなの、都。急に大声出して……びっくりしたじゃない」
見れば都は肩で大きく息をしていた。
どうやらここまで走ってきたようだった。
「それが……大変なのよ。急いで……一緒に来てちょうだい! こっちよこっち!」
都はそれだけ言うと、手招きしながら走り出してしまった。
だから何が大変なのさ。ちゃんと理由を言ってからにしなさいよ。まったく。
ボクとレイは顔を見合わせる。でも、このままここで突っ立っていても仕方ないか。
首を小さく振ってから、都の後を追いかけるように走り出した。
まったくもう。
ボクには悩む時間すらもらえないのね。
ま、でもそれも悪くない、か……。
1秒でも長く、1つでも多く。彼女たちのために何かできる喜びを噛みしめるほかないのだから。