第17話 ゾンビが徘徊する中で
「ウタちゃんが使い物にならへんから、しばらくうちが話そか」
ひどい言われよう……でもないね。ウタさんの心は完全にどこかへ逝ってしまわれたようだ。
目が虚ろ。ゾンビみたいにふらふら歩きまわっている。
血に酔ってるってこと? ボクの血ってやばい何かが入っているの?
「これ、ほっといて良いの? 吸血鬼じゃなくてゾンビになってない?」
ゾンビも襲ってくるやつですよね? 今度は血を吸われるだけじゃなくて、かじられたりするのは嫌だよ?
「そのうち正気に戻るはずやで。しばらくほっとき」
シオが半笑いで言う。
まあ、時間が経ったら元に戻るっていうならいいけど……。
「それよりどこまで話したんやったっけ?」
「あー、えっと、ウタがボクとアカリさんのAIの基礎部分を教育してー、そのあとはアカリさんはウタが担当して、ボクのことは麻里さんが担当したって辺り?」
でも担当って何だろうね。
教育的な? 学校の先生みたいな? ぜんぜん記憶ないけど。
「はいはい。基礎のAI部分ちゅ~のは、思考の仕方というか、思考のプロセスみたいなもんと、倫理的な教育のあたりのこっちゃな」
「朝起きたら挨拶、の話だっけか。そこは聞いたね」
まるで赤ちゃんが親から教わるように。人間としての基礎の教育を受けた、と。
「そかそか。それでうちもウタちゃんと一緒に灯さんの担当やったから、そっちの話をしよな」
そう言うとシオは立ち上がり、ペットボトルの水と薬のカプセルを渡してくる。
「こっちも飲んどき。体に負担かかってるで」
はい。≪たんぱく質バンザイ≫ですね。いただきます。
素直にサプリメントのカプセルを受け取って、水とともに飲みこんだ。
「よしよし。じゃあ続きな。灯さんには過去の記憶っちゅ~のは基本的には存在しない。思考部分以外も含めて完全に作られた人工生命体やからな。人としての自我を保てるように、カエちんのデジタル化された記憶の一部を加工してインストールしたんや」
「ボクの記憶の一部を?」
「せや。おそらく麻里さんからクローン人間、みたいな紹介のされ方をしたんやない?」
「んー、クローン人間の話はちょこっとしてたけど、アカリさんのことは『実験体』って言ってたかな。アカリさんにインストールされた記憶の元がボクだってことも今初めて知ったよ」
違和感というか、親和性というか、アカリさんとは何か、うまく言葉では表現できない何かがあるとは思っていた。
たまにボクにだけアカリさんの声が聞こえたり、ボクのことを気にかけているようなそんなそぶりがあったり。
「同じ記憶を共有していたから、何か特別なつながりがあったのかなあ」
「普通に考えると同じ記憶の一部を共有してるだけやから、そんなオカルト的なことはありえへんのやけど、人間ちゅ~のは不思議やんな。まだまだわかってないことが多すぎる」
オカルト、かあ。
実際はどうだったんだろうね。何度も2人だけで会話したような気がしていたのは、すべて気のせいだったのか。それとも記憶を共有しているがゆえの何か特別なつながりだったのか。
「双子……みたいなものだったのかな。記憶を共有したり、お互いの間でテレパシーみたいなものが使えたり」
そうだったらいいなって今だからこそ思う。
失ってしまった片割れが、今もボクの中で生きている。そんなふうに思いたいんだ。
「カエちんの元の肉体は、何らかの事情で失われてしもうてな。うちらのレイヤーだとその理由は聞かされてへんから、ほんまに答えられへんくて申し訳ないんやけど。それと脳も完全な状態ではなかったらしいから、思考をつかさどる部分なんかをAIで補う必要があったんやと聞いてる」
タイプリープした時に完全な状態で過去に戻ることができなかった、ということだろうか。それとも別の理由があるのか。その辺りの事情は麻里さんなら知っているのかもしれないな。
「カエちんの記憶のサルベージとAIとのリンクがなかなか進まなかったらしくてな。それなら記憶を持たない実験体を先に投入して様子を見ようっちゅ~話が上がったわけやけど」
「それがアカリさんなんだね」
「せや。ウタちゃんがバリバリ進めていたから、AIの調教はうまくいっていたんや。だからそのまま灯さんの話が進んだわけやな」
シオがウタのほうをちらりと見やる。
相変わらずゾンビのようにソファーの周りをグルグル徘徊していた。
これが優秀なエンジニアねぇ。
血に酔って発情してるゾンビ吸血鬼にしか見えない……。
普段もだけど、いつにも増してエロ過ぎるんだよ……。フェロモンがあふれ出てるっていうか、漂ってきてるような気がするよ。いや、実際匂いを感じるわ。
「実際、灯さんの調整はすぐに終わって、早月さんのサポート役として実践投入されたんやで。体のほうはウタちゃんの趣味入りまくりで、あやうく10歳のカエちんみたいな状態になるところやったんやけど、麻里さんが『早月さんには姉のような存在が必要だ』って言いだしてやな、なんとかあの見た目になったっちゅ~顛末や」
シオがその時のことを思い出したのか、お腹を抱えて笑い出す。その笑い声にウタがピクリと反応したが、また徘徊を再開した。
「姉のような、ね。まあたしかに、見た目はお姉さんみたいだったけど、言動や行動は幼いというか、無邪気というか、そんな感じだったよね」
「そこはバックボーンというか10数年の記憶や経験があらへんから、仕方のない部分やったかな。いや、そういう事実を受けての振り返りと反省点やな。人としての厚みは記憶にあるっちゅ~ことがわかった、みたいな」
「なるほどねー。そしてその間にボクの記憶のインストールが終わった、と?」
オーディションの直前も直前にボクはメイメイと再会したんだ。
「せやな。どういう形でカエちんが現場に下ろされるかは全然聞かされてへんかったんや。まさか、うちらが受けていたマネージャー選考に交じってくるとは思ってなかったから、ほんまびっくりしたで」
麻里さんはとことんサプライズが好きな人だなあ。
「それにしてはみんな自然にボクを受け入れてたよね」
「カエちんの素性を知っとるんは、うちとウタちゃんだけやで。他の誰もこのプロジェクトにはかかわってへんからな」
「そっか。医療用のロボット研究チームのみんなには非公開な情報なんだね」
「知っても意味がない、とは言わへんけど、知らんほうがええ。大手を振って発表できるような研究やないしな」
倫理とか。
まあ、明らかに人体実験だし、クローン技術を使って人工生命体を生み出しちゃってるし、おおっぴらになったらわりと世間から叩かれるかもね。
「ここまで聞いて、カエちんはどう思った? ショックやったか?」
シオが真剣な表情になり、ボクのことを見つめてきた。慎重にボクの反応を監視するような視線を感じ、どこか居心地の悪さを感じてしまう。
「うーん、そうだなあ」
ボクが100%純粋な人間ではないのはわかった。
でも――。