第9話 シオと楓と
「さて、新作のネタの話を聞こか」
シオはラウンジの席に着くなりそう切り出した。
いや、まずはそのかっこう何?
鉛筆舐め舐め特ダネ探ししている雑誌記者みたいな出で立ち……。サングラスしてるとこの良い感じの薄暗い店内だと何も見えないでしょ。
怪しい記者が指を鳴らして店員さんを呼ぶ。
「例のモノを頼む。こちらのお嬢さんにも。グラスで」
迷惑だから席にあるボタンを押せよ!
「かしこまりました」
「ウェイトレスさん、この人のことは気にしないでください。あの、ボクは普通のコップで、はい」
シオさんや、カクテルグラスにオレンジジュース入れて出してもらうのやめてくれる? めっちゃ恥ずかしいから。
「だからシオとラウンジ来るの嫌なんだよねー。周りの人からめっちゃ見られるし。いや、もう普通にこのビルで働いてる人であんまり知らない人もいないからね……」
夜に食堂やラウンジを利用する人は限られている。
ここに住んでいる寮生か、清掃や調理など変則シフトで遅くまで働いている人に偏ってくる。日中ビルで働く人たちはもうちょっと早めに帰宅しちゃうからね。
そんな中、奇行に走る人がいるとね、目立つわけですよ! 村社会ですからね!
食堂に入り浸るメイメイとか!
突然歌いだすナギチとか!
足にバネつけたままジャンプして移動するサクにゃんとか!
常識人のボクが言われもない好奇の目に晒されるなんて……。関係者だと思われたくないの……。
「大丈夫やで。カエちんが一番変わってんで」
「ええ、ええ、そうでしょうよ。天才たちから見れば凡人のボクのほうが逆に変わって見えるってね」
多勢に無勢、数は正義。才能を持った人たちの集まりに一般人が紛れ込むとつらいっすわー。
「まあええわ。で、良いネタがあるっちゅ~話はどうなったんや?」
あ、そういうことにして呼び出したんだっけ。
「ごめんごめん、あれ勘違いだったわ」
手を合わせて頭を下げる。
だましてごめんね!
「なんや~。急いできたのに損したわ~」
シオはサングラスを取り、グラスの水を一気に飲み干した。
「ごめんてー。仕事、忙しかった? 2分で来れたってことはこっちのビルにいたのかな?」
病院のほうのビルじゃなくて事務所の仕事の時間だったのかな。
「せやで。新曲のデモ音源をチェックしてん」
「おー、新曲! 定期公演に向けて必要だもんね。ちなみにどんな曲?」
めっちゃ気になる。
まあすぐに配布されるとは思うけど、ちょっとでも早く知りたい!
「せやな~。バランスは悪くない」
グラスの中の氷をガリガリとかじりながら言う。
「バランス? セトリ的な意味で?」
「せや。難易度の高いダンスミュージックがA面。あとはスローバラードとワルツや」
なるほど。3曲か。
「へぇ。定期公演はその3曲をプラスした6曲で行くのかな?」
「さあ、そこまではまだ聞いてへんけど。あとはユニット曲も挟んでいくんちゃう?」
「まあそうだよね。実際、新曲をマスターするにも2カ月で3曲くらいが限界だよね」
メイメイはそれ以外にMCコーナーの準備もあるし。
「フォーメーションも変わるし、戸惑いはあると思うで」
「なんか変わるんだ? またダブルセンターの曲とか?」
「いや、曲調によってフォーメーションをいじるって話や」
「それならいつものことかー。既存曲のフォーメーションをいじるのかと思っちゃったよ」
「さすがにな……それはメンバーが変わったりし~ひん限りは……」
シオが言葉を濁す。
アイドルグループにはよくある話。だけど、自分事としては決して考えたくない話だ。
そんなことは絶対ない。ずっとみんなで一緒に高みへ上るんだから。
「あ、そうそう。ついでにちょっと聞いておきたいことがあって」
本題に入る。
「なんや? お、ちょうど飲み物きたで。これ飲む間くらいは付き合おか。付き合う言うても交際するって意味ちゃうで? 各所から恨まれたくないやんな」
シオは周りをちらちら伺った後で、ニシシといやらしい笑みを浮かべる。
おっさんかいな……。
「はいはい。それで聞いておきたいことって言うのは、ウタのことなんだけどー」
「ウタちゃん?」
「最近どうなのかなーって。元気なさそうに見えるっていうか……」
もしかして、マネージャーやめたいとか、シオにも言ってたりしますかね……とはさすがに聞けない。
「ん~あ~、せやな~。ん~、難しい問題やな~」
シオがカクテルグラスに入ったオレンジジュースを一気飲みする。
あれ、思ってた反応と違う。
「じゃあ、飲み終わったんでこれでドロンするで。ほな」
「いやいやいや、ほな、じゃないでしょ。今明らかに慌てて飲み干したし、気になる感じで逃げるのやめてくれない?」
ダメだよ?
「しゃ~ないな……。ウタちゃんは、正直調子を崩しとる。それも精神的にや」
テーブルに肘をついて、ため息交じりにそう切り出した。
「そっかあ。精神的にかあ」
予想の範囲内ではあるけれど、良くない方向に予想が当たった感じだね。マネージャーをやめたいっていうのはだいぶ深刻な話のようだ……。
「麻里さんと衝突しててな……。仕事の話やから、詳しくは言えんのやけど……」
なるほど。そっちの関係で。
あれ? でもそれならなぜ?
「んー、だとするとなんで、こっちの、アイドルの仕事のほうを、その……」
「やめようとしてるか、か?」
「うん」
やっぱりシオは知ってたのね。
「麻里さんと衝突してるのは、たしかに仕事の話なんやけど……」
「なんやけど?」
なんだろう、とても言いにくそうにしている。
「あ~、まあ、ええか。こっちの仕事にも関係あるちゅ~か。ウタちゃんが直談判して、けんもほろろに追い返されたっちゅ~か」
回りくどすぎてぜんぜんわからない。
何か意見の食い違いがあって、ウタが一方的にやられている、という感じなのかな。
「もうちょっと話してくれない? さすがにわからないよ」
「カエちんもまるっきり無関係っちゅ~わけちゃうからな……。言いづらい話なんや……」
麻里さんとウタの間の話なのに、ボクに関係ある話?
うーん? ますますわからない。
「わっかんないんだけど、ボクに何かできることはあるの?」
「せやな……。遅かれ早かれクリアしないといかんともしがたい問題ではあるんやけど……。わかった。うちが一肌脱ぐ時やな」
シオが勢いよく立ち上がる。
「ここでかわしても、また問題が先送りになるだけや。乗り越える時が来たんやと思う。ちょっと電話かける。ここで待っててくれへんか」
ボクの返事を聞かずに、シオがラウンジの外へと出ていった。
一肌脱ぐ。
シオの口癖だ。
だけど、いつもは必ずふざけて着ている服を脱ごうとするパフォーマンス付きのはずだ。
それが今はなかった。
本当に何か重要な問題が目の前にある。そういうことなんだろう。
「おし。待たせたな。いこか」
シオが戻るなり伝票を手に取った。
「いくってどこへ?」
「ウタちゃんのとこや」
ウタと話すということか。
「うちがついてるさかい、心配しなさんなや。今は2人きりで話させるわけにはいかへんしな」
何が話されるのだろう。
まったく見当もつかない……。