第2話 教えて、マキししょー先輩!
「それで、経験ホ~フなマキちゃんのところに来たってわけなのね♪」
マキがボクの肩に手を乗せて言う。
力強いし重い……。
そしてなんたるドヤ顔か。
メイメイが定期公演で使用する劇の脚本を書き上げたところで、ボクたちは先輩女優のマキにアドバイスを求めることにしたのだ。
マキにメッセを送ったところ、二つ返事で引き受けてくれたので、今はこうしてマキのマンションを訪れている。
事務所借り上げのマンションとのことで、エントランスにはコンシェルジュが常駐していた。入り口で来客票の記入を求められたし、セキュリティはバッチリで安心の住まいだね。
部屋は1LDK。ボクたちはまっすぐリビングに通された。
想像していた女優の家よりもだいぶコンパクトだけど、見えないところに収納スペースが多いのか、驚くほどすっきりしていた。おそらくお芝居の稽古用に使っているのだろう。10畳ほどのフローリングにはほとんど物がなかった。部屋の隅に大きな姿見、部屋の中央に小さな折り畳み式の丸テーブルと座布団があるだけ。
というわけで、ボクたちは丸テーブルを囲んで座っている。
「なんか飲む?」
マキが立ち上がり、キッチンへと向かう。
「あ、うん。ありがとう。マキと同じもので!」
「私もししょーと同じものでお願いします! お芝居がうまくなる飲み物で!」
メイメイも便乗して手を挙げる。
「お芝居がうまくなる飲み物か~。マキちゃんの爪の垢と髪の毛を煎じて~と」
マキが悪い魔女のような笑い声をあげながら、紅茶ポットにお湯を注いでいる。マジで入れそうでちょっと怖い。一応監視しておこう。
「わたしはホットのホワイトモカトールサイズでお願いします。エスプレッソ2ショット追加、ブレべミルクに変更で。ライトホットにしてください」
レイさん……。
マキのところに行くと伝えたら、どうしてもついてくると言って聞かなかったんだよね。おとなしくしててね、って言ったのに……。
「はい喜んで~! トールホットのホワイトモカエスプレッソ2ショットブレべミルク、ライトホット入りました~!」
マキが紅茶の蒸らし時間を計りながらレイの注文を繰り返す。
ここは居酒屋か。
「ところでさ~。そのお芝居なんだけど、定期公演ってやつの真ん中くらいの時間にやるんだよね?」
冷蔵庫を覗きながらマキが言う。
「そうだね。定期公演は3部構成になっていて、メインMCパートは2部だから真ん中くらいの予定だね」
「お芝居の前後はメイメイちゃんの歌なんだよね?」
「多少トークは入ると思うけど、まあ、前後は歌だね」
「にゃるほどにゃるほど……」
マキは小さくうなずくと、冷蔵庫からは何も取り出すことなく静かに扉を閉めた。
今の会話の中に何か重要なヒントでも隠されていたのだろうか。わからぬ……。
「もう1回シナリオ読むね。ちょっと時間ちょうだい」
キッチンで紅茶ポットを前にしたまま、マキがタブレットを開く。
事前に共有したメイメイ作のシナリオを熟読しだした。
劇のタイトルは『メイプルの冒険~出会い編~』。
そう、シオセンセのマンガを劇用の脚本に書き直してみたのがこれだ。
メイメイちゃんとメープルちゃんの出会いのシーンを描いた作品になっている。
メイメイちゃんは大きなお屋敷に住むお嬢様。
メープルちゃんは歌声に惹かれてお屋敷の敷地内に侵入した謎の人物の設定だ。
夜、メイメイちゃんが噴水の前に座り、1人歌の練習をしているところから始まる。
メープルちゃんはそれを物陰で息を潜めて聞き入っている。
「そこに誰かいるの⁉」
歌を中断してメイメイちゃんが振り返る。
「すみません! 怪しい者ではございません!」
メープルちゃんが物陰から転がり出る。
「ただあなたの歌声があまりにも美しかったので、少しでも近くで聞きたいと思ってしまった」
「あら、まあ……」
「いけないとは知りつつも、この柵を超えて……」
「かわいい侵入者さんですこと。今宵は満月。もう少しだけ歌いたい気分ですの。良かったら聞いていってくださいませんか」
メイメイちゃんが立ち上がり、歌いだす。
(暗転)
「ありがとうございます。こんな怪しいボクを通報せずに、美しい歌まで聞かせてくださって」
「こちらこそ歌を聞いてくださってありがとうございます。私はいつも1人。誰に聞かせるわけでもなく、夜な夜な寝室を抜け出しては小鳥たちと歌っていただけ。今夜はとても刺激的な夜でした」
「それではボクはこれで」
メープルちゃんが立ち上がり一礼する。柵のほうへと歩き出す。
「待ってください! 歌の感想を。人に聞かせたのは初めてですの。良かったところと悪かったところをぜひ、感想をお聞かせ願いたいです」
メープルちゃんは足を止め、振り返る。
「そうですね。あなたの声質、とても良いです。非常に良い。持って生まれた才能です。あなたの声帯は歌うためにあると言ってもいい。脳に響いてくる心地よさ、1/fの揺らぎを感じます。ずっと聞いていたい。録音して毎日寝る前に聞きたい……ボクは今どうして録音機材を持っていないんだ! ああクソッ!」
メープルちゃんが膝を叩いて悔しがる。
舞台上を転がって悔しがる。
「あ、えっと……ありがとうございます。そんなに評価してくださってうれしいです」
「ですが、才能に頼りすぎだ。ボイストレーニングがまるで足りていない。音域が狭い。低音はほとんど出ていないし、高音もブレブレです。才能はあるのにもったいない!」
メープルちゃんが立ち上がり、メイメイちゃんに詰め寄る。
「私……そんなにダメですか……」
メイメイちゃんが泣きそうな顔で尋ねる。
「いいえ、むしろポテンシャルの塊です。こんな大きなお屋敷のご令嬢なのですから、良いボイストレーナーを雇うと良いでしょう。それとどんな歌を歌っていくかをプロデュースする者、今後の売り出し方について戦略を立てるマネージメントをする者がいると良いでしょう。そうすれば、あなたが世界の歌姫となるのも夢ではない」
「えっと、えっと?」
「ステキな歌をありがとうございました。それでは失礼します」
メープルちゃんは早口でアドバイスを言い残すと、足早に立ち去ろうとする。
「お待ちになって!」
「なんでしょう? お望みの通り、感想は述べましたが」
「私はただここで夜な夜な歌っていればそれで満足でした。ですが、あなたの話を聞いて、少し欲が出てきてしまいました」
「欲、ですか?」
「はい。私はもっと歌がうまくなりたい。そしてたくさんの人に聞いてほしいと思ってしまったのです」
「それはとても良いことだと思います。あなたの才能をもってすれば、多くの人に感動を与えることができるはずだ」
「でもそれは……私1人ではできそうにもないです……」
「ですからボイストレーナーとプロデューサーとマネージャーを――」
「あなた! 私はあなたが良いです!」
「はい?」
「私のマネージャーさんになってください!」
メイメイちゃんがメープルちゃんに向かって手を差し出す。
「それはできません。あなたとボクでは身分が違いすぎます」
「いいえ、私はあなたがいいのです」
メイメイちゃんが目を輝かせて頼み込んでくる。
あごに手を当てて思案するメープルちゃん。
少しの沈黙の後、遠慮がちにメイメイちゃんの手を取る。
「わかりました。お引き受けしましょう」
「ありがとうございます。私のマネージャーさん」
「ボクがマネージャーになったからには、ビシバシいきます。24時間スケジュールを管理します。一緒に世界を目指しましょう」
「え、ちょっと? 世界⁉ えっと……」
戸惑うメイメイちゃん。
笑顔全開のメープルちゃん。
「さあ、まずは睡眠です。こんな時間に起きていてはいけない。毎日20時には就寝してもらいます」
「え⁉ それだと晩餐会に出られな、キャッ」
メープルちゃんがメイメイちゃんをお姫様抱っこし、城に向かって歩き出す。
「早く寝室へ。子守歌を歌ってあげましょう」
「子守歌! 私初めてです~」
(暗転)
「さあ、早くお眠りなさい。未来の世界の歌姫!」
Fin.