第41話 ナズナとチィタマの解釈
そのあとの展開はひどいものだった。
ボクとハルルの役についてはひと悶着あった。主にボクの中で、だけど。
正直ボクとしては、メイメイとMINAさんに合わせる顔がなかったのだけれど、それを察したマキに引きずられていって、半ば強制的に報告した。そんな感じだった。
ボクたちの配役を聞いたメイメイは、まるで自分のことのように喜んでくれた。「わたしが代わりにカエくんのマネージャーをします~」という申し出は丁重にお断りしたけれどね。
MINAさんはただ苦笑し、「これがこの業界よね」と無理やり自分を納得させている様子だった。なんかごめん……。
「早月さんと美奈さんのことはうちがみとくから、2人は役作りに専念してな」
シオにそう言われて、その日の午後、ハルルとボクは別室に半ば監禁された状態で台本読みをすることになった。あれ? 最初の話だと、ハルルは今日心を落ち着かせてって……。ハルルがやる気だからまあいいか……。
* * *
「ねえ、ハルル。ナズナの役つかめた?」
ハルルのほうを見ると、ハルルは台本ではなく原作のマンガを読んでいた。
「ん~そうね~。なんとなくはわかってきたような、わからないような」
「台本だけだとキャラの解釈が難しいよね。この作品ミステリー要素がすごくて、表に出てこない情報が必要そう。設定資料みたいなのにも目を通さないといけないのかな」
「そう思って原作を読んでみてるんだけど、けっこうたくさん、台本と違う箇所があって逆に混乱するわね」
「うーん。ボクも原作マンガのほうを読んでみようかな」
さっきシオが語っていた内容は、少なくとも台本を読んでも得られない情報だった。
ナズナの恋心やチィタマの心情、世界がチィタマを排除しようとする理由。それらの事情を何もわからないまま、もがき苦しむヒマリ。
マンガだとこのあたりが表現されているということなのかな。
* * *
「なるほどねー。シオの裏設定的な話を聞いてから読むと、たしかにナズナの表情が徐々に変化している様子がわかる。けど、これ初見で読者は理解できないでしょ……」
難しすぎるよ。
サラッと読んだら単なるパニックホラーだもん。
シオセンセの込めるメッセージが深すぎる……。
「それを言うならチィタマもそうよね。鏡の世界では人間の形をとってるけど、序盤では表情は乏しいし、受け答えもそっけないのに、時間を追うごとにだんだんと人間臭くなっていくのが見えるわ」
「たしかにねー。これをボクが演技するのかあ……」
難易度高すぎ。やっぱりこれ、ちゃんと訓練した役者がやるべき役なのでは⁉
一介の新人マネージャーには荷が重すぎる仕事なのでは……。
「だけど、チィタマはナズナほどはセリフも多くないし、途中つかまっている時間もあるわよ?」
「うーん。いや、もう逃げられる雰囲気でもないからがんばるけどさあ。モヤッとするよね。メイメイやMINAさんもきてるのに。そもそも猫の役ならサクにゃんを連れてくれば良かったんじゃ⁉」
ボクよりはうまく猫になりきれそう。
「最初からカエデちゃんにチィタマをやらせようと思ってたかはわからないわよね。ナズナの代役は決めてなかった、みたいなこと言ってたけど、最初からチィタマの役者はまだ未定だったわけでしょ。今日から本撮影なのに? そんなことあるかしら……」
「シオの悪だくみなのかなあ……。でももし最初からボクにあたりをつけていたとしても、エチュードの演技が気にいらなかったら声はかからなかっただろうね。洋子ちゃんの最終判断的には合格だったってことで、それを信じて全力を尽くすよ」
今さら考えても仕方ない。
そこにどんな思惑があったかはわからないけど、洋子ちゃんがボクにオファーを出した。
つまりボクはそれに応えて、目の前にある課題を最高のものにするしかやるべきことはないのだ。
* * *
「ねえ、カエデちゃん。私、とんでもないことに気づいたかも……」
相変わらずマンガを読み続けているハルルが、とあるコマを指さしてボクに見せてきた。
「ここ、違和感がすごいわ」
「どれどれ?」
鏡の世界編、わりと終盤。
ヒマリとナズナ2人だけの会話のシーンだ。
チィタマがいない。どうやら曲がり角の先にある病院施設の様子を先行して探りに行っているらしい。
ナズナ:『あの猫、私苦手よ! いつもにらんでくるし』
ヒマリ:『みんなに追いかけまわされて……おびえているのよ』
ナズナ:『何? 私より猫の肩を持つの?』
ヒマリ:『猫、猫って……大切な友だちよ』
ナズナ:『でも猫じゃないの……ニャーニャー鳴いてばっかりでうるさいし』
ヒマリ:『あ、チィタマ! 病院の様子どうだった?』
「ここよ。……もしかして、ナズナにはチィタマが猫にしか見えていないんじゃないの?」
「なるほど? たしかにそう見える、かも……。『ニャーニャー鳴いてばっかりでうるさいし』か。言葉も通じてない可能性がある?」
「そうかも……もしかして、人間の姿に見えているのはヒマリだけなのかも……」
ハルルが深く思案するように目を閉じた。
もしこの仮説が正しいなら、チィタマに対する解釈がだいぶ変わってくることになる。
マンガを読む読者、そして映画を見る視聴者は、主人公のヒマリの目を通して世界を見ているわけだから、チィタマが人間の姿に見えているが、それが単なる心象風景の可能性もあるわけか。
それを前提に物語の序盤を振り返ってみよう。
鏡の世界でヒマリが目を覚ますシーン。ヒマリの前に人間の姿のチィタマが登場するシーン。ヒマリとナズナが出会うシーン。
なるほど、そういうことか。
「ナズナとチィタマが直接会話しているシーンは一度も出てこないんだ。3人でいるからなんとなく会話が成立しているように見えるけど、よく見るとヒマリとナズナ、ヒマリとチィタマの間でしか会話が成立していないよ」
台本のほうも確認してみる。
同じだった。
ナズナとチィタマは会話していない。ヒマリにしか人間に見えていないという解釈で物語が進行されているようだった。
「シオリさんの作品って緻密よね。尊敬しちゃうわ」
ハルルが感嘆の声を上げる。
「いっつもふざけてばっかりいるけど、シオはやっぱりすごいよ。≪初夏≫の指揮者というか、脳みそというか。シオが描いているシナリオの上で動いているんだなーって感じることが多いからね」
「私は助かることばっかりよ。グループはまとめないといけないけど、迷うことばかりだし。ほしい時にほしい支えをしてもらえるのは、シオリさんだけではなくて、カエデちゃんも、ミャコさんも、レイさんウタさんもみんな気が利くから助かってるのよ」
ハルルの感謝の声。
気を使ってマネージャーみんなの名前を出してくれているけれど、取りまとめをしている都、裏で操っているのはシオ。それ以外のメンバーは、その2人の指示で動いているようなものだからね。
そういう役割分担なのだから、それで合っているのだろうし、ここまではうまくいっていると思う。
でも本当にそれでいいのか。それはいつも付きまとう疑念だ。
グループ全体の成功のことばかり考えていて、メイメイ個人のことがおろそかになっていないか。それが不安なのだ。
チィタマの役だって、うまく立ち回れていたら、メイメイにオファーが来るようにもできたのかもしれない。
ボクがチィタマ役をやって、うまく成功まで導いたとしたら。
それは≪初夏≫の話題作りとしては成功だろうし、意味のあることだとは思う。
でも役名もないエキストラのメイメイには何かメリットがあるのかな?
経験はつめる?
でも、ナズナ役をつかんだハルルには大きくおいていかれることになるのは間違いない。
目の前のやらなければいけないこととやりたいことが違っていて正直焦る。