第40話 ヒマリとナズナとチィタマ
「春に正式にオファーをしたい。どうだ?」
電話を切り終わるやいなや、洋子ちゃんがハルルに話しかけた。
「キャストの1人が体調を崩して休業してしまってな、その代役を探していたんだ。おたくの事務所側のOKももらえたからな」
「え、え?」
唐突なオファー。
ハルルが言葉を理解できず、フリーズする。
「えっと、代役というのは……」
氷漬けになったハルルの代わりに、ボクが話をつないで見る。
「ああ、すまんすまん。先走ってしまったな。春には夕焼ナズナ役をお願いしたいんだ」
「……えっ⁉ 夕焼ナズナ⁉ マジですか⁉」
あまりの衝撃に、ボクは思わず大声を出してしまった。
夕焼ナズナ。
主人公の朝日ヒマリが、鏡の世界の中で出会う少女だ。
謎が多く、ミステリアスな雰囲気を持っている。ヒマリとチィタマが元居た世界に帰るために、ナズナと協力関係を築いて行動を共にすることになる。
「それって準主役では⁉」
「まあそうなるな。キャスト順としてはヒマリ、チィタマ、ナズナと3番目だな。ああ、ティザーサイト上で全キャストを発表する前で助かったわ。あとからキャスト変更は、いろいろと憶測を生んでしまってマイナス面が強いんだわ」
洋子ちゃんが笑う。
「えっと、私がナズナを……どうしよう」
ハルルはなぜかマキの手を握り、助けを求めていた。
完全に思考回路がショートしてわけがわからなくなっているようだ。
「わたしは良いと思うな。ハルちゃんのビジュアル、声、役の作り方、好きよ♡」
マキはオロオロするハルルの手をやさしく握り返していた。
さすが役者の先輩。やさしい。
「うちとしては春さんのマネージャーという立場もあるわけやし、自分の作品に無理に役をねじ込むんはあれやな~と思っとったわけやけど。監督が決めたんならしゃ~ないな。監督が決めたんやから、原作者のうちとしては何も言うことはあらへん! うん、そや! 春さんおめでとう!」
シオは自身の複雑な立場を表明しつつも、ハルルの準主役抜擢を喜んでいるようだった。
「ナズナ……すごいなあ。もしかして、エチュードからずっと、洋子ちゃんの手のひらの上で踊らされてたの……」
この映像があれば新人抜擢をしても周りを納得させられる。
まさかそういうシナリオだったのか。
「楓、それは考えすぎだ。正直な話、見たこともない新人にそこまでの思い入れはなかったよ。まあ、オハナから見せられた動画は頭の片隅にはあったがね」
まあそう言われたらそうだよね。
ただの新人。
事務所のコネで取ってきたエキストラの仕事だったはずだ。
「だが、偶然得たチャンスをモノにした。春が実力で勝ち取ったんだ。素直に喜びなさい」
「えっと、ありがとうございます! 私、死ぬ気でがんばります!」
ハルルはおでこを膝にぶつけるんじゃないかというほどの勢いで頭を下げた。
あ、おでこさすってる。ぶつけてたわ。
「春にはあとで台本を渡す。ちと分厚いが読んでおいてくれ。今日の撮影で出番は来ないから一旦は心を落ち着けて、軽く台本に目を通す時間に使ってくれよな」
洋子ちゃんは頭を下げ続けるハルルの体を起こし、半ば強制的に握手交わした。
「ハルル良かったねえ。準主役。もうホントに女優さんだねえ」
準主役。
改めて言葉にするとちょっと泣けてくる。
ハルルの演技をみんなに見てもらえるだなあ。
「ある意味ナズナは物語の裏の主役やからな。重要やで」
シオがまじめな顔で言う。
「というと?」
「ちゃんとうちのマンガも読んでほしいんやけど、軽く説明しとくわ」
そう言ってシオが鏡の世界でのシナリオ、ヒマリとナズナのキャラクターについて説明してくれた。
「なるほど。ナズナはヒマリに恋心を……」
「そうや。ナズナはヒマリに出会った時、過去の記憶を失っているんや。そやけど、素性の知れない自分にやさしくしてくれるヒマリにだんだんと惹かれていくんやな。それと同時に記憶も少しずつ戻っていく」
自分が何者でなんのためにこの世界に存在しているのか。
「ナズナは思い出す。自分がヒマリとチィタマを殺すために、鏡の世界から生み出された自浄作用的な存在だということを。そうせんと、鏡の世界が崩壊してしまうからな……」
ヒマリは世界に迷い込んだ異物だ。本来そこにいてはいけない存在。
ヒマリが生きたまま鏡の世界を脱すると、世界の理が崩壊し、世界そのものが消滅してしまうという。
「ナズナは、本来与えられている自分自身の使命と、ヒマリと過ごす間に大きくなっていく恋心との狭間で引き裂かれそうになってしまう……」
世界か、異物か。
どちらかが消滅する運命にあるというのに、どちらもナズナは失いたくないと思ってしまう。
「まあ、それもこれも全部、子猫のチィタマのせいなんやけどな」
子猫のチィタマ。
外側から世界の観察を司る存在。神とも死神とも呼ばれる存在。
ヒマリがいた元の世界では子猫の姿で、鏡の世界では人間の姿を取っている。
ヒマリに命を助けられたことで、ヒマリと魂がつながってしまった状態となる。
「チィタマは無数にある世界を1つずつ観察して回るために存在しているんや」
ここでいう『世界の観察』とは、ただ見守るという単純な話ではなく、世界が存在するに足るかを見極めるという意味だ。
チィタマは世界を見守り続ける。
その世界の存在が不要だと判断した場合、チィタマは世界を去る。
チィタマが去った世界は、『世界が存在し続ける』という理を失い、ゆっくりと消滅することになる。
「チィタマが現れると、どの世界もまるで意思を持ったかのようにチィタマを排除しにかかるんやな。世界自身が自分の消滅を免れるために、それはもう、あらゆる手を尽くしてチィタマを殺しにくるわけや」
世界に存在する自然、動物、人すべてがチィタマの敵になることもあるのだ。
理不尽すぎる。誰も信用なんてできない……。
「チィタマはずっと孤独だったんや。ただ世界の外から楽しそうな世界を観察するだけの存在。なのに世界から敵視される。でもヒマリに助けられて、偶然魂がつながったことで『観察者』としては不完全な存在になりながらも、チィタマは初めて仲間を得て、楽しいという感情を覚えることになるんや」
「なるほどね。すごく深い話なんだね……。チィタマ……孤独でかわいそう……」
少し涙ぐんでいると、洋子ちゃんが突然ボクの両肩をつかむ。
さっきハルルに引っかかれたから、そこ痛いんですけど。
「そうか、楓はチィタマの気持ち理解してくれるか……。まあ、チィタマはこの物語で非常に重要な要素なわけだ。な、楓」
「ええ、はい。そうですね?」
なぜボクに確認を?
重要なのはよくわかったけれども。
「そういうわけだから、よろしくな、チィタマ」
「はあ……」
えっと……何が?
「先生。ようやく決まりましたな」
「せやな。これですべてのピースはそろった。ああ、勝ったな!」
なぜか洋子ちゃんとシオががっちりと握手を交わしながら大笑いしていた。
「チィタマ?」
「せやで。カエちん。チィタマ役、頼んだで」
おいおい、シオセンセ。ここにきて究極に笑えない冗談はやめておくれよ……。
「ちゃんとオハナにOKもらってるから、よろしく頼むな」
ああ……ああ⁉
さっきの電話あああああああ!
あのNGなしって、ハルルじゃなくてボクのおおおおおおお!
花さん何してくれてんのよおおおおおおおおおおおおおおおおお⁉