第38話 エチュード~感想戦
「時間だな。そこまで。2人ともお疲れ」
洋子ちゃんが終了を宣言した。
「お疲れ様でした……」
ホント疲れた。
こんなことを毎日のようにやってるのか。役者ってすごいわ。
「カエデちゃんのズル……」
ハルルの頬は赤く、目には涙がにじんでいた。
「ズルとは人聞きの悪い……」
流れ的に、最後はああするしかなかったでしょ。
「それではテーマと達成条件を振り返って行こうか。一応勝負事だからな」
ボクたちの小競り合いを無視して、洋子ちゃんが場を仕切っていく。
「さあ、まずは春。テーマは『開始3分以内に、楓に好きだと伝えること』。そして、勝利条件は『恋人関係になること』だったな?」
「……はい」
ハルルが唸るように喉の奥から声を出して返事をする。
なるほどね。テーマは予想通り。でも、思っていたより厳しい勝利条件だったなあ。ボクの条件の対で、『幼馴染の状態を脱すること』かと思っていたのに。
「次に楓。テーマは『開始3分以内に、実は男であるとカミングアウトすること』。そして、勝利条件は『幼馴染の関係を維持すること』だったな?」
「はい、あってます」
ボクは小さくうなずいた。
「なによそれ……」
ハルルが小さな抗議の声を上げる。
さすがに予想できなかったかな?
確かに、ハルルのテーマと比べると若干変化球というか、自然な会話の中では生まれにくいテーマではあったね。
「まずは感想戦といこうか。それぞれやってみてどうだったかを聞かせてくれ。春はどう思った?」
「私は……とても楽しかったです。演じた役が等身大でイメージがしやすかったというのもありますが、何より楽しかった……。もしカエデちゃんが幼馴染だったら、きっとこうなんだろうなというのを想像しながら演じました」
「良いじゃないか~。演じることを楽しむ。役者としての基本だな。たとえ苦しい役を演じる場合でも、その役の人間ならどう考えるか、どう感じるか、どう行動するかを楽しみながら落とこんでいかないと、ただ苦しいだけになってしまうからな」
役になり切る。
自分とは違う人格を憑依させる。
違う人間になる。
ではその間、本来の自分はどこに行くんだろう。もし長くその役を演じ続けたとしたら、それは本来の自分と何が違うんだろう。
「半分は春自身。半分はプランとしての演技。それがとても良いバランスで混ざり合っていて、リアリティがあったな。とくに告白のシーンは気持ちがこもっていて非常に良かった。オハナから見せられた動画も良かった。春は恋をする女の子の心情をうまく表現できている」
洋子ちゃんはべた褒めだった。
でもボクもそう思う。
ハルルの演技は自然で、見ている人が感情移入できる。
今、この年齢だからこそできる演技。何にでもならなければいけない役者としては力不足と言われればその通りなのかもしれない。けれど、1つでも強みがあればそれで良いんじゃないかとも思う。
「私は自分が演技できているとかできていないとか、そういうことがよくわかっていません。こうしたいなって思った時、感情がうまくコントロールできないことがあって……でもなぜかそれをみんなが褒めてくれるので、正直よくわからないんです」
「なるほどな。演技というのは台本をきれいに読めることじゃない。脚本と演出の裏にある伝えたいテーマ、それを役者がどう解釈してどう伝えるかだ」
「どう解釈してどう伝えるか、ですか……」
ハルルは洋子ちゃんの言葉を噛みしめるように反芻した。
「伝え方には個性があって良い。私は役者の演技に細かい指導をしない。むしろ役者の解釈を尊重している。テーマの伝え方が私の想像を超えていると感じたら、脚本のほうをいじる」
そういうことだったのか。
急に脚本をいじるのに、そのあと神采配になるというマキの言葉を思い出す。
洋子ちゃんの中では監督が作品を作るための頂点の存在ではないんだ。
良いものは良い。
より良いものを作り上げるためのディレクションをしている。そんな感じだろうか。
「しかしあれだな。非常におしかったな。後半になるにつれて、楓にうまく丸め込まれて演技が空回りしていった。危なっかしくて見ている側は楽しかったがね」
洋子ちゃんは笑いながらハルルの背中を叩いた。
「ハルルのあれ、途中から演技じゃなくなってたよね……」
「だってあれは! カエデちゃんがいじわるするから!」
「してないよ……。ボクだって達成しないといけない条件をクリアしようと必死で……」
「それなら次は楓の感想を聞くとするか。やってみてどうだったんだ?」
洋子ちゃんがこちらに話を向けてきた。
ボクの番か。
「そうですねー。演技は難しい。それが感想ですかね」
「そうか。難しかったか。私にはそうは見えなかったがね」
洋子ちゃんがにやりと笑う。
「うまくできているように見えていたなら、それはハルルに引っ張られていたからでしょうね」
「もちろんそれはあるだろうよ。男だと告白するタイミングはなかなか難しかったみたいだしな」
「テーマが厳しすぎますよ……。なんですか、男だと告白するって……」
「ボクっ娘に対するちょっとしたサプライズだよ。でもまあ、なんとかうまくねじ込んだな。会話の流れ自体は自然だった」
「ちょっと強引だったかもしれないですけど、なんとか……」
「あれはずるいわ。ホントならあのまま私の勝ちだったでしょ?」
ハルルが悔しそうに言う。
「そりゃ、あのままボクがなにもしなかったらね。でも、これは勝負だから。ボクだってさすがに最後はがんばるよ」
「急にエッチなことばっかり言ってくるし……」
「それは……流れで」
「そんな流れありませんでしたっ!」
「だってしかたないじゃん……」
ハルルを揺さぶる方法は、そっち方面しか思いつかなくて。
「でもハルルだってそのあとは無茶苦茶だったじゃん」
「あの時は頭が真っ白だったの!」
「あれはもう演技じゃなくて、いつものハルルだったよ……。ひどいよ。ボクの端末覗き見たりして」
「そ、それは……だって……気になるし……」
ボクは鎌をかけてみた……のだけど、ハルルは否定しなかった。
やっぱりホントに見ているんだね……。
ボクのプライバシーっていったい……。
「そんなことより! なんで最後キスしてくれなかったの⁉」
「ちゃんとしたじゃん」
「してないっ!」
「したよ。ちゃんとおでこにチューって」
「あそこは唇同士でキスをして恋人エンドでしょ!」
「それだと幼馴染じゃなくなって、ボク負けちゃうし……」
「や~だ~。ちゃんとキスして~!」
「エチュードはもう終わりましたー。だからボクの勝ち――」
と、勝利宣言をしようとした瞬間、洋子ちゃんがボクの言葉を遮る。
「楓、残念だったな。この勝負は春の勝ちだ」
洋子ちゃんがボクの頭に手を置いた。
「え? なんでです? あのキスで幼馴染のままって解釈は伝わらなかったですか?」
「ああ、よく伝わった。きれいなエンディングだったよ。時間内にあそこまでよくまとめたな。見事な演出だった」
「じゃあなんで?」
それならボクの勝ちでしょう。
「3分15秒」
「え?」
「『男だとカミングアウトする』ほうのテーマの時間が過ぎていたんだ。本当に惜しかったな」
「マジかー。ギリギリ行けたと思ってたけど……そうかあ」
悔しい。
勝負に勝って試合に負けてしまった。
「私の勝ち……なの?」
ハルルがキョトンとしていた。
「ハルルおめでとう。負けたよ」
ボクは笑顔で握手を求めた。
「ぜんぜん、納得いかないっ!」
ハルルは差し出したボクの手のひらを叩いて、握手を拒否した。