第27話 お風呂場にて
お風呂場。
いつものようにレイに髪の毛を洗ってもらっている最中、ふと気になったことを口に出してみた。
「ねえ、レイ。もしかして、レイには未来が見えていたりするの?」
レイの手が一瞬だけ止まる。
それから何事もなかったのように、ボクの頭皮マッサージを再開した。
「急にどうしたんですか?」
「あーそこそこ。耳の後ろから襟足のところ気持ちいい……」
レイの細い指が生え際を刺激する。
「ここ好きですね。あとは首の後ろのこのあたりですね」
あふぅ。
気持ちいぃよぉ。
レイによる頭部のマッサージも終わり、ゆっくりとぬるめのお湯でシャンプーが流されていく。
ボクもずいぶん髪が伸びたなあ。
気づけばもう肩口近くまで伸びてきてる。
「髪って切ったほうが良いと思う?」
「そうですね。かえでくんの髪もかなり伸びましたね」
フェイスタオルを頭にかけられて、水気をとっていく。
「レイもだいぶ伸びたよね」
レイのほうを振り返る。
出会った頃は今のボクくらいの長さだったのに、肩を超えて背中辺りまで伸びてきていた。
「レイって、あんまり結んだりしないよね」
「自分のことはあまりよくわからなくて」
レイはボクの頭にタオルを押しつける手を止めて、自分の毛先をいじり始めた。
「レイの髪って細くて絹糸みたいだなあ。長く伸ばしてもすっごいきれいだと思う」
「そう、ですか。このまま伸ばしたほうが良いでしょうか」
「そうだねー。それもステキかも。あ、もしかして前髪だけ定期的に切ってる?」
目を隠すほどの長すぎる前髪がトレードマークではあるけれど、実はずっと長さが変わっていない。
「前髪は自分で見えるので、たまに切ったりしています」
「せっかくだったらもう少し短く切ったほうがいいのに」
「これ以上ですか?」
レイが前髪を持ち上げる。
「ほら、その目。せっかくきれいな瞳が隠れてるのはもったいないと思うんだよね。前髪を作るなら眉上まで切れとは言わないから、せめて目は常に見えるようにしない?」
「そうですか……。とてもはずかしいです」
レイは前髪を戻して下を向いてしまう。
「でもさ、今の学校は女子高だし、前とは違うんじゃない? レイのことを悪く言う人がいたらボクがパンチしてあげるし」
「そうですか……。そんなに前髪を切ったほうが良いでしょうか」
「絶対切ったほうが良いね。他の人のことはまあ、良いとしても、ボクは毎日レイのその紫紺色の瞳を見たいな」
その瞳を見つめているとなぜだか落ち着くんだ。たまに光の加減なのか怪しく光るのもそう悪くない。
「わかりました。かえでくんがそこまで言うなら思い切って切ろうと思います」
レイが立ち上がる。
「おお、やったー!」
「その代わり、かえでくんには髪の毛を伸ばしてもらいます」
「う、うん? まあどうしようかなって迷ってたくらいだし、別に伸ばすのも良いかな」
「そして、毎日ヘアアレンジをさせてください」
「ヘアアレンジというと? 今も毎日整えてもらっている気がするけど」
毎朝、櫛で溶かしてきれいにしてもらっている。
今と何も変わらないんじゃ?
「いいえ、結んだり、ヘアピンやリボンをつけたりするのは、かえでくんが嫌がると思ってずっとガマンしていたんですよぅ」
「あー、そういうことかあ。……まあ、でもそうね。せっかく髪も伸びてきたし、そういうのにチャレンジしてみるのも悪くないかもね」
レイがしてくれるなら、変にはならないだろうし。それも悪くないかな。
「良いんですか?」
「良いよ。それでレイがうれしいならボクもうれしい」
「ありがとうございます」
レイはボクの頭からタオルを取り払うと、髪にトリートメントを馴染ませ始めた。
「レイもちゃんと前髪切るんだよ」
「はい。このあとハサミを持ってきますね」
トリートメントを馴染ませるレイの手が心なしか弾んでいた。
そんなにうれしいんだ。
髪の毛も体も洗い終わり、レイの前髪もきれいに整ったところで湯船につかる。
いっぱいのお湯につかるのは気持ちいいねえ。今日の入浴剤はミルク系でしっとりとろみがあって気持ちいいなあ。
ふと顔を上げて、正面のレイを見る。
「ふふ。レイの顔がよく見える」
いつもは前髪をかき上げないと見えない瞳が2つ、しっかりと見えていた。
「変、でしょうか……?」
「ううん。かわいい顔が見れてうれしいなって」
「そんなに見つめないでください。はずかしいですよぅ」
レイが顔を手で隠して下を向いてしまう。
「あー隠さないでよー。せっかくの顔をもっとよく見せてー」
ボクは立ち上がって、レイの手をとろうとする。
「うわっ」
立ち上がった勢いで足元がすべり、バランスを崩す。
「あっ」
レイが支えようとしてくれるのも間に合わず、ボクはそのまま頭から湯舟に突っ込んでしまった。
「うー、びしょびしょ。失敗した……」
せっかく洗ってからタオルドライしてもらったのに、ひどい目にあった。
「大丈夫ですか⁉ ケガは! どこも痛くないですか⁉」
レイが取り乱し、ボクの頭をぐしゃぐしゃに触りながら、ケガがないか確認しだす。
「ちょーちょっと、レイ! そんな触ったらくすぐったいから、落ち着いて!」
「でも大切なかえでくんの体に傷が残ったら!」
そう言いながら、チェックの手が頭から下へと移っていく。
「いや、ホントちょっと頭にお湯をかぶっただけだから! あはっ」
脇とか胸とかもう、くすぐらないで!
変な声出ちゃう!
「良かったですよぅ。なんともなってないみたいです」
レイが心底安心した、といったように深いため息をついたかと思ったら、いきなりボクの頭を抱きしめてきた。
「レイ! 胸が! 息!」
く、くるしい。
レイの胸に顔が沈み込んで……窒息する……。
「でも……かえでくんはこういうのが好きなんですよね」
頭の上から妙に平坦な声が聞こえてくる。
見上げようとするも、がっちり頭を押さえつけられているのでそれは叶わない。
「レイ⁉」
「うみ先輩の胸ばかり見ないで、わたしのことも見てくださいよぅ」
レイさん?
急にどうしたんですか?
「うみ先輩も、なぎささんも、はるさんも、さくらさんも、そしてさつきさんも……みんなステキだから」
「レイ。みんなのことはそういうんじゃないから……」
ボクはマネージャーとしてみんなのことを。
「わかってるんです。頭ではわかっているんです。でも、わたしにはかえでくんしかいないから」
「レイ。大丈夫だから」
「かえでくんがいなくなったら……」
「ボクはいなくならない。レイの気持ちもわかってるつもり。でも、やっぱりもう少しだけ時間をちょうだい」
もったいぶっているとかではなくて、ボクが自分自身のことを理解できていないから。自分が何者なのか、どこからきて、どうしていきたいのか、それを考えようとすると、なんだか靄がかかったようにわからなくなるんだ。
「レイのことは好きだ。でも、レイが想ってくれる気持ちに応えられるかはもう少しだけ待ってほしい」
何かがわかりかけている気がする。
重要な何か。
きっかけがあれば……忘れている何か、大切なことがわかる気がするんだ。
「1人であせってしまってすみません……」
レイがボクの頭を解放し、ゆっくりと体を離していく。
「ボクのほうこそごめんね。自分のことがわからないなんて情けないことを言って待たせてしまって」
「良いんですよぅ。情けなくなくなったら、かえでくんではないですから」
「えっ⁉」
どういうこと⁉
かっこいいからボクのことが好きなのでは⁉
「ほうっておけないからですよぅ」
レイが自分で言っておいて照れて顔を赤らめる。
超複雑なんですけどっ!
なんかぜんぜんうれしくないんですけどっ!