表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/24

第8話「酒場にて、歌えぬバード。」

「……歌えって言われても、無理だ」


カウンターの端で、ぼそりとつぶやいたのは、薄汚れた旅装の男だった。肩まで伸びた金髪が脂で固まり、背中のリュートには蜘蛛の巣が張っていた。


「酒場でバードが黙ってたら、ただの旅人にしか見えねえな」


店主が笑いながら言うが、男は眉ひとつ動かさなかった。


「バードなのに、語らないんですか?」


ロルクが興味半分で声をかける。フランデルは、というとすでに勝手にカウンターの中に入って酒を物色していた。


「おい店主、この酒ちょっと古くない? 醸造技術に信用がないなー。あ、でも香りは嫌いじゃない」


「勝手に飲むな!!」


喧騒の中、バードの男は空のコップを見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。


「歌っても、誰も聴かない」


静寂。


その一言だけで、酒場の空気がじんわりと変わる。


「……それ、どこで?」


誰かが静かに問いかける。


男は視線を上げないまま、低く答えた。 「西の開拓村。三日前。村が、焼かれた」


誰も言葉を継がなかった。


フランデルだけが、酒を片手に一歩前に出る。


「じゃあ、今ここで歌ってよ。私がちゃんと聴いてあげるってば」


男は一瞬だけフランデルを見た。 目は濁っていたが、その奥に、何かがかすかに動いた。


「……チューニング、合ってないけど」


リュートを手に取り、弦をはじく。音はくぐもっていたが、旋律は確かだった。


彼が口にしたのは、語りだった。旋律に言葉を乗せる──それがこの世界の“歌”。語るだけの詩。


最初の詩は、子守唄のような優しい調べだった。 そして二つ目の語りは、酒場のあちこちにいた男たちの瞳を赤くするほど、誰かを思い出させる何かを運んできた。


いつもの“語り”と何かが違った。


誰も言葉を挟まなかった。誰も口を開けなかった。 けど、誰かが息を呑んだ音がした。


それは“語り”じゃなかった。旋律が感情を引き出し、言葉の意味以上に胸を突いた。


空気が、揺れていた。


ロルクは思った。「これは、魔法じゃない。ただの音。でも──胸が、揺れる」


その横で、フランデルがぼそっと言った。 「この世界には“歌う”って文化、まだ“なかった”んだってさ。今ので、できたな。」


静かに、演奏が終わる。


酒場の隅で、ひとりの男がぽつりとつぶやく。 「……これ、音じゃねぇ。魔法かよ……」


「ちがうよ」


フランデルが振り返らずに答えた。 「これは“心が動いた”音なんだよ」


フランデルが小さく拍手をする。 「……ね? 歌えたじゃん」


男は無言でコップを差し出した。 店主が無言で酒を注いだ。


誰も笑わなかったけれど、誰も黙ってはいなかった。


その夜、酒場には確かに“歌”があった。 それは誰かの喉から出たものじゃなくて、誰かの胸の中で生まれて、響いた。


誰も“歌”なんて知らなかった。でも今、誰かが泣きそうになってた。 たぶん、それが──はじまりだった。


次回予告:「発明ドワーフと爆発の日々。」


穴の奥から響く爆発音。火花、煙、そして飛び交う工具。誰も求めていないのに、彼は未来を作ろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ