第20話「向上心って、おいしいの?」
──早朝、パン屋の前。
フランデルは開店準備をしながら、少し不思議な違和感を覚えていた。 最近、子どもたちの間で“歌”が流行っていることにも、何か通じる気配だった。
「……なんか、今日はやけにザワザワしてんな」
ざわざわとした空気。その理由はすぐにわかった。
「ねえねえ、フランデルさん! これ見てよ!」
元気な声で走ってきたのは、村の少女・ミルだった。 手には紙と、子どもらしいカラフルなクレヨンの絵。
「これ、将来の夢の絵なんだって!」
「へえ……なに描いたの?」
「“空飛ぶパン屋さん”!」
「ほう、それは高度な技術が……」
「あと、ロルクくんと結婚して、パンを二人で焼くの!」
「はいストップ!」
後ろからロルクが顔を真っ赤にして現れる。
「それ俺、初耳だから!」
*
村の子どもたちは、フランデルの店の前で“将来の夢”を描くようになっていた。 きっかけは、フランデルがぽつりと語った一言だった。
「夢ってさ、“今ないけど、あったらワクワクする”ってやつだよ」
その言葉に子どもたちは目を輝かせ、紙を広げ、色を塗り始めた。
「お空でお料理したい!」 「水に潜れる家がほしい!」 「お兄ちゃんの病気が治ったらいいな……」
最初は“絵のお遊び”だったはずなのに、村の大人たちも立ち止まるようになった。
「……あんな夢、いつから見なくなったんだろうね」
誰かのそのつぶやきに、フランデルはパンを焼きながら答えた。
「向上心って、頑張るってことじゃなくてさ……“ちょっと面白くしてみようかな”って感じのやつだよ」
*
その日、子どもたちが描いた夢の絵のひとつが、ふと風に乗って宙へ舞い上がった。 その絵には、空に響く歌を歌う少女が描かれていた。
ふわり、と空に浮かぶ一枚の紙。
それはまるで、自分の意思で飛んでいくかのように、静かに高く、ゆっくりと。
──その瞬間。 空気が一変した。
パンの香ばしい匂いに混じって、胸の奥がふるえるような気配が走る。
空が、きらりと震えた。 まるで、世界そのものが“それ”に反応したかのように。
浮かぶ絵の紙がやわらかに光を帯び、白昼の空に虹のような波紋がひろがっていく。
ロルクが呆然とつぶやいた。 「……あれ、魔法……? え、マジで……?」
その中心に、ゆっくりと言葉が浮かび上がる。
《共鳴:ヴィスベルク》 ──それは、以前エルフの森で目にした“感情と音の共鳴”が、初めて形を持った瞬間だった。
誰かの“こうなったらいいな”が、 確かに、世界に届いた瞬間だった。
*
その夜、パン屋のカウンターの片隅に、小さな貼り紙が貼られた。
《将来って、楽しそう。──ミル》
フランデルはそれを見て、小さく呟いた。 「……その言葉、ちょっと借りるね」
*
次回予告:「神界からの最終通告。」
天界でついに、世界リセット案が正式に議論される。 “やり直す”ことの意味と重さ。人々の意志は、神の決定に届くのか──?