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【007】牢の中(2)

「男爵夫人……あたしが?」


 震える声で、ダニエラが言う。

 はっきりと、納得していないことがわかる声色だった。


「王妃さまになるはずだったのに……?」


 もはや、()()が目的だったのだと隠す気もないようだ。いや、隠す気力がない、と言ったほうが正しいかもしれないが。

 ロズリーヌはそこで初めて眉根を寄せて、不快感を露わにした。


「あなたが王妃になれるかどうかはどうでもいいことだけど、あなたの存在が、あの人を王族の地位から引きずり下ろしたのは間違いないわ」

「……そんなつもり、なかった」

「ええ、そうでしょうね。王妃になりたくてあの人に近付いたあなたが、今、王妃どころか罪人同様の扱いを受けているんだもの」

「酷い……」

「酷い? なら、やってもいないことをでっち上げ、わたくしを陥れようとしたあなたはどうなの?」


 せめて、最後までエミール(あの人)を愛している振りをしてくれたなら、とロズリーヌは切なくなった。

 開き直るのでなく、形だけでも「エミールを愛していたから、奪ったのだ」と言ってくれたなら。


「そんなの……あんたに隙があるからいけないのよ。あたしは悪くない」


 隙、とロズリーヌが短く繰り返す。


「そもそも、あんたが彼に愛されてさえいれば、こんなことにはならなかった。……惨めな女。ええ、そうよ。惨めな女よ、あんた。ずーっと一緒にいて、一度も彼に愛されなかった! 突然現れた平民同然の女に奪われるって、どんな気持ち? 悲しかった? 悔しかったでしょ?」


 話すうち、自分の言葉に感情が(たかぶ)りだしたのだろう。ダニエラが、鉄格子に齧りつくようにして喚き散らす。

 がしゃんがしゃん、と激しく耳障りな音が鳴った。


「彼はね、あたしの言うことならなんだって聞いてくれた。()婚約者の女にはしなかったようなことだって、たくさんしてくれたわ!」


 どうあっても、自分の思うようには進まないと悟ったのか。ダニエラが、ロズリーヌに向けて嘲笑を浮かべる。


「……あら、肉体関係はなかった、と聞いているけれど?」


 ここまでしておいて――と驚きではあるが、エミールとダニエラの間に、()()()()()()()はまだ無かったらしい。

 そこは腐っても()()()()ということだろうか。

 王族たるもの、むやみやたらと子種を撒き散らすわけにはいかないのだ。

 歴史上、『好色』とされ、寝所で女を侍らせていたという王族もいるにはいるが、あまり多くはないし、いくら愚かと言われるエミールでも、そこまでする気にはなれなかったのだろう。


「だから何!?」


 ダニエラが吠えるように言った。

 ロズリーヌの言葉は、ダニエラをあからさまに侮辱するだけでなく、体の関係――それ以外は、ロズリーヌだってしてもらったことがある、という意味にほかならないからだ。


「エミールさまはね、あたしにたくさんプレゼントしてくれたし、デートにだって連れて行ってくれたんだから! あんたはそんなの、してもらったことないでしょ? ちょっとか弱い女の振りをしてみたら、彼、面白いぐらいにアプローチしてくるようになったわ。あんたに可愛げがないから、外に癒やしを求めたんでしょうね」


 そうね、とロズリーヌは同意する。

 事実だ。

 否定するつもりはなかった。

 幼い頃は、もっと無邪気に過ごしていたような気がするが、厳しい妃教育を受けるうち、いつの間にか感情を表に出すことが苦手になっていった。

 だが、仕方ない。

 王族の一員になる、あるいは、王族の誰かの隣に立つというのは、そういうことだ。無垢な少女のままではいられない。

 何かを成し遂げたいと思うなら、特に。


(だけど……それがいけなかったのかしら)


 いつの間にか、エミールのことが(おろそ)かになっていた。邪険にしていたわけではないけれど、焦っていたのは確かだ。


「エミールさまだって、あたしと結婚してくれるって言っていたのに……」


 それは、ほとんど独り言のようなものだったのだろう。しかし、誰にともなく呟かれたそれに、ロズリーヌはすかさず反応した。


「だから、結婚はできることになったでしょう?」

「でも、王妃さまにはなれなかった!」


 ああ、この人は――と、ロズリーヌは場違いにも感心してしまった。

 この人は、ロズリーヌとは違い、とても野心家なのだと。そして、身の丈に合った生活では到底満足できないのだと。


(……可哀想な人)


 引っ込みがつかなくなるところまで、誰にも王室の事情を教えてもらえなかったのだ。

 貴族であれば、たいていの人間が知っていることだというのに。


「――例えば、あの人が王族のままいられたとして。あなたと結婚しても、あの人が国王になることはないわ」


 渋々ながらも、ロズリーヌが口を開く。

 彼女が今後無知のまま生きていく分には構わない。ロズリーヌには関係がない。

 ただ、何も知らぬまま、ロズリーヌさえいなければと逆恨みでもされたら(たま)らないので、最低限の情報だけ伝えておくことにする。

 「嘘よ!」ダニエラが強く反論する様を見下ろして、ロズリーヌは静かに首を振った。


「いいえ、本当。だって、侯爵家出身であるわたくしが婚約者でもなお、あの人の未来は確定していなかったのですもの」


 「嘘よ」ダニエラはもう一度言った。今度は、先ほどよりも力のない声で。


「あの人が、側妃殿下の御子であることは知っているわね」

「……馬鹿にしてるの?」

「単なる確認よ。では、第二王子であるアーロン殿下と半年しか生まれが変わらないのは?」

「……だから何?」

「それを今から説明するのだから、そう喧嘩腰にならないでちょうだい」


 普段からこの調子だった。

 ロズリーヌが何を言っても、もはや条件反射としか思えない速度で食ってかかってくるか、自身を被害者に見立ててエミールに泣きつくかのどちらかなので、話にならなかったのだ。

 だが、今、彼女を(まも)る者はいない。

 それだけで、ロズリーヌは心にゆとりが持てた。


「国王陛下と王妃殿下の間には、長いこと御子がいらっしゃらなかったの。それで、お二人がご結婚なさってから数年後、今の側妃殿下が迎えられたわけだけれど……()()なことに、側妃殿下の妊娠中に王妃殿下もご懐妊あそばされたわ」

「……不運?」

「ええ。当時、未亡人含め、陛下の側妃として相応しい女性がなかなか見つからなかったのですって。それで、少し歳の離れた子爵家のご令嬢を召し上げることになったと」


 その功績で、現在は伯爵位に陞爵(しょうしゃく)されているが。


「側妃殿下は、無事に王子殿下をお産みになったものの、同じように王子殿下をお産みになった王妃殿下は、もともと同盟国の王族の出――つまり、王女殿下ね。後ろ盾に差がありすぎた。それで、あの人とアーロン殿下、どちらを()()()()()()()()べきか、相当揉めたそうよ」

「どちらをって、そんなの、先に生まれたほうに決まって……」

「たった半年違いだもの。同盟国との関係を(かんが)みて、アーロン殿下を第一王子にすべきだという意見が出ても、不思議ではないでしょうね」


 例えば、王妃が産んだのが王女だったなら、何も問題はなかったのだ。

 だが、そうはならなかった。


「まあ、詳しいことは割愛(かつあい)するけれど、知っての通り、第一王子に据えられたのはあの人だった。でも、アーロン殿下に比べると、やっぱり後ろ盾は弱い。形ばかりはと、幼い頃にわたくしとの婚約が調(ととの)えられたけれど、将来的にどちらが立太子するかはかなり微妙なところだったのよ」


 微妙どころか、アーロンのほうが優位だったとさえ言える。

 今代の国王は実力主義者ではあるものの、周囲の声を完全に排除できるわけもない。

 国の立場を考えるならば、アーロンを立太子させるべきだという声は、ロズリーヌたちが幼い頃から上がっていた。


「だというのに、当の本人(あの人)が連れてきたのが貴族のルールを守るつもりすらない男爵令嬢(あなた)なんですもの。どれだけ頑張っても、それだけで王太子への道は閉ざされることになるわ」


 ロズリーヌの話を聞いている間、珍しく口を噤んでいたダニエラが「そんな」と呟く。

 ロズリーヌは、苦笑にも似た笑みを零した。


「まあ、あなたにはそもそも『頑張る』という考えはなかったようだから、今の()()は、妥当な状況と言えるのではないかしら」

「そんなのって、ない……」

「ないもなにも、あなたが今さら何を言ったところで、この状況が引っくり返るわけでもなし。首が飛ばなかっただけ良かったと思うべきね。あの人のおかげで大きく減刑されたのだから、感謝したほうがいいわ」


 「……感謝?」ダニエラが眉を(ひそ)めた。


「何に感謝しろって言うのよ。あたしはすべてを失ったのに……」

「語弊があるわ。あなたの気持ちがそうというだけで、実際にあなたが失ったものはほとんどない。手に入ると思ったものが、手に入らなかった。それだけのことでしょう」

「……違う。あんたが……あんたがあたしから全部奪っていったのよ!」


 何がなんでも()()()ということを認めたくないのか。

 ダニエラが、再び鉄格子に縋りつく。

 無様(ぶざま)ね、とロズリーヌは思ったし、実際に口に出してそう言った。

 もう一方的に我慢する必要はないのだ、と思えば、ロズリーヌの口は随分と軽くなっていた。

 普段、硬い表情で耐えるロズリーヌしか知らないダニエラは、一瞬呆けた表情を浮かべたあと、自身に向けられた言葉の意味を理解し、金属が擦れるような音で叫んだ。


「お前が! お前のせいで!」


 結局、逆恨みでもされたら堪らないというロズリーヌの思惑は、まったく意味のないものになったようである。まあ、ロズリーヌが煽っているというのもあるが。

 なにより、このダニエラという人間は他責思考なのだ。


「いいえ」


 けれど、もはやロズリーヌを阻むものはない。否定すべきところはきっちり否定しておく。


「あなたがすべてをおかしくしたの。恨むなら、自分自身を恨むべきね。――あなたはもう少し賢くやるべきだった」


 この程度の浅はかな知恵しか回らないのであれば、王太子妃、そしてゆくゆくは王妃になれたとして。きっと何者にもなれなかっただろう。

 地下牢でやりたいことはやり終えたと、ロズリーヌは(きびす)を返した。


「ああ、それと」


 しかし、二、三歩進んだところで、振り返る。


「先ほど、『一度もあの人に愛されたことがない』と言っていたけれど」


 口元に、微苦笑を(たた)えて。


「――わたくしだって、昔はあの人と仲が良かったのよ」


 あなたは信じないかもしれないけれどね、と言った声には、ほんの僅かばかりの切なさが滲み出ていた。

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