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【006】牢の中(1)

 ロズリーヌは、檻の中にいるダニエラをじっと見つめる。

 髪の毛は乱れ、頬は黒ずみ、唇は乾ききって所々が痛々しく切れていた。

 ――(あわ)れだ。

 何もかもを手に入れられると確信していた女は、今、すべてを失っている。


「……最悪」


 ダニエラが吐き捨てるように言う。

 そして、皮肉げに笑みを浮かべた。


「そんな性格だから、エミールさまに捨てられたんじゃないの?」


 数年前のロズリーヌなら、なるほど確かに傷付いたかもしれない言葉だ。だが、今のロズリーヌには、それを正面から受け止めないだけの余裕があった。


「ええ、そうかも」


 穏やかに微笑むロズリーヌに、ダニエラは片眉をピクリと持ち上げる。

 不愉快そうなその様子を見て、ロズリーヌは満足そうに笑みを深めた。

 自分を公衆の面前で陥れようとしたのだ。貴族学院の中では、さらに不快な思いをさせられている。

 せいぜい、自分との対話で、これ以上ないというほどに気分を害してくれればいい、と思って。


「でも、あなたこそ、()()()の前では猫を被っていたでしょう。化けの皮が剥がれて捨てられないよう、今後はより一層注意することね」


 未来を感じさせるような言葉に、ダニエラの瞳に光が(とも)る。


「……あたしにそんな口を利いて、いいと思ってるの?」


 「あら、どういう意味かしら」ロズリーヌがわざとらしく小首を傾げる。

 ダニエラは鼻で嗤った。


「あたしは未来の王妃よ? エミールさまと結婚したら、あんたなんてさっさと始末してあげるんだから」


 なんとも物騒な話である。

 ロズリーヌは(たま)らず、おかしそうに肩を揺らした。


「……なに?」


 いつか、誰かから聞いた言葉を思い出す。

 ――無知は罪であると。

 実際、無知が故にダニエラは罪を犯し、今、地下牢(ここ)にいる。


(知らないことは仕方がないかもしれない。でも、わたくしや、あるいは彼女のような立場にいる人間が、知ろうともしないのは罪そのものだわ)


 軽やかに笑うロズリーヌに、馬鹿にされたと思ったのだろう。

 ダニエラは、暗がりの中から()めつけるようにロズリーヌを凝視していた。そして、再び「だから、なんだって言ってんのよ……」と投げかける。

 今度は答えをくれてやることにした。


「いえ、ごめんなさいね。……この期に及んで、王子妃になれるとまだ思い込んでいるあなたが面白くて、憐れで」


 さらりと本音が零れ落ちたのは――当然わざとだが――ご愛嬌である。

 は、と吐息のような何かが、ダニエラの口から漏れた。それから、ずず、と体を引きずるようにして、鉄格子に近付いてくる。

 ()えたにおいが、鼻を突いた。


「そもそも――」


 しかし、ロズリーヌは表情を変えず、淡々と告げる。


「あの人があなたを選んだ時点で、国王になる道は閉ざされているというのに」


 一部男性から『小動物のよう』と言われる大きな瞳が、ぎょろりと動いた。

 「そんなわけない」乾ききった唇から、か細い声が零れ落ちる。本心から反論しているというよりは、信じたくないという気持ちを感じさせる声だった。


「あら、わたくし、嘘は()かないわ」


 ――あなたと違って。

 心の内を隠す気はないというように、ロズリーヌが皮肉を込めて言う。

 ロズリーヌ自身、ダニエラの嘘と、それを肯定する人々によって散々苦しめられてきたからだ。


「まあ、信じるも信じないもあなたの勝手だし、わたくしとしてはどちらでも良いのだけど」


 ひとつ間を置いて、ロズリーヌはいよいよ本題に入ることにした。

 自分を陥れた人間の落ちぶれた姿が見られたので、ある程度は満足した。

 いつも見下していた女に、檻の外から眺められるというのは、いったいどんな気分だろう。


「今から、決定したあなたの処遇について話すわね」


 無論、独断で告げるわけではない。国王に直談判し、許可を得たうえでの行いだ。

 「最後に嫌がらせがしたいので」と言い放ったロズリーヌに、国王はおかしそうに声を上げて笑っていた。いかに腹を立てていたとしても、地下牢まで罪人に会いに行く令嬢はなかなかいない。


「王室から除名されたエミール元第一王子殿下と婚姻を結び、男爵家に戻ること――以上」


 「え……」ダニエラが、呆然とそう零す。

 ロズリーヌは頷いた。


「ええ、思ったより軽いでしょう? でも……」

「なによ、それ」

「え?」

「なん、で、エミールさまが王室から除名って」


 力なく垂れ下がっていた腕が、鉄格子に伸びてくる。

 カシャン、と錆びた音が響いた。


「……『なんで』? 逆に、あなたはあの人がそのままでいられると思っていたの?」

「だって、彼は王子さまで」

「王子でも国王でも、過去に問題を起こして、その座から追われた人物はいくらでもいるでしょうに」

「でも! たかが婚約破棄ぐらいで!」


 ここに至って、ようやく事の重大さを理解し始めたのか。

 遅すぎるわ、とロズリーヌは嘆息する。


「だから、わたくしは学院の中でも言っていたわよね。この婚約は陛下がお決めになったものだから、殿下と関わりたいのであれば、適切な距離を保つべきだと。あなたは、わたくしに虐められたと言って殿下に泣きつくばかりだったけれど」


 あの時、しっかり話を頭に留め置いてくれたなら、ここまで酷いことにはならなかったのだ。

 これほどまでに『自業自得』といえる事態を、ロズリーヌは見たことがなかった。きっとこれからもないだろう。


「ただの貴族の婚約であれば、大事(おおごと)にはなったでしょうけど、それでもあなたとお相手の男性が多額の慰謝料を払う程度のことで終わる話だわ。でも、残念ながら、これは普通の婚約ではなく、国王陛下が直々にわたくしを指名し、お決めになったもの。つまり、この婚約に意義を唱えるということは、陛下の判断が誤りだったと言っているようなものだわ」

「そんなつもり……!」

「そんなつもりがあったかないかは、関係ないの。例えば、人を(あや)めてしまったとき、『そんなつもりではなかった』と言っても、罪が無かったことにはならないでしょう? 殺意が無かったことを証明できれば、処罰は軽くなるかもしれないけれど」


 ダニエラが、ぐ、と下唇を噛む。


「今回の件も同じ。あなたがどのようなつもりだったのだとしても、陛下がお決めになった婚約を駄目にしてしまった。それも故意的に故意に」


 薄い唇にじわりと血が滲むのを無感動に眺めながら、ロズリーヌは続けた。


「もちろん、あの人だって責任の追及は(まぬが)れない。王室からの除名は、ある意味当然の帰結と言えるわ」

「当然だなんて、酷い」


 先ほどまでに比べると、勢いこそ落ちているものの、やはり言い返さずにはいられないらしいダニエラに、ロズリーヌはさらに言葉を重ねる。


「本来、あなたには処刑、またはそれに準ずる刑が下される予定だったのよ」


 ――時間が止まった。

 というのは、ただの気のせいだが。

 そう錯覚してしまうほど、ダニエラはしばしの間、硬直していた。瞬きひとつせず。

 やがて、唇を戦慄(わなな)かせながら、吐息交じりの声を漏らす。


「しょ、けい……?」


 ただの男爵令嬢としてまっとうに生きるだけなら、一生関わりのなかった言葉だろう。

 だが、それを今、突き付けられている。

 実際にそうなることはないと知っていても、()()()()()()()()()()()()()というのは、彼女にとっては相当に衝撃的なことであるに違いない。


「それほどまでに、あなたがしでかしたことは重いということ」

「あ……」

「でも、ほかでもないあの人が、あなたの減刑を願ったの。その結果が、あの人との婚姻。まあ、保護者としてあなたを十分に監督していなかったいうことで、マルチェナ男爵には当主の座を退いてもらうことになるけれど。あの人が男爵の肩書きを引き継ぐことも決定しているから――おめでとう、あなたはもうすぐ男爵夫人よ」


 随分と寛大な処遇だと思う。

 処されていたかもしれないことを考えれば、今後一生、エミールには頭が上がらず、命が長らえたことに感謝しながら生きていいぐらいだ。

 それでも、ダニエラはそうならないだろうと、ロズリーヌにはわかっていた。

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