【043】休暇中の衝撃
不安だったわけではない。
いや、やはり少しは不安だったのかもしれない。
だから。
――ずっと一緒にいてくれるかと訊いてみた。
「ええ、ずっとよ」
彼女はそう言っていた。
「……ロズリーヌが連れ去られたとは、どういうことですか?」
なのになぜ、こんなことになっているのか。
「こちらの落ち度だ。すまない」
非公式の場という扱いなのか、王太子の執務室を訪れたセレスタンに、アーロンは頭を下げた。
セレスタンは、仕事のため長期に不在をしていたということ、そして先日体調を崩したことを理由に、現在休暇を取得中である。
普段なら、無理をしてでも出仕するだろうが、今は他にやらなくてはいけないこと――例えば、侍女長のことだとか――が他にあるので、その指示を受け入れていた。
そんな中でもたらされた一報。
それは、王宮で保護されているはずの婚約者が連れ去られたというものだった。
「申し訳ございません……!」
ソファから立ち上がったかと思うと、跪き、床に額を打ちつける勢いで頭を下げるのは、ロズリーヌの専属侍女であるリンダだ。
頭には包帯が巻かれている。彼女自身、怪我を負っているらしい。
「リンダ、その怪我は?」
「あ、いえ、これは……」
「ロズリーヌ嬢が連れ去られる際、抵抗して頭を殴られたようだ。そこで気絶し、彼女も先ほど目を覚ましたばかりだよ」
「……殴られた……」
「リンダ嬢。つらいかもしれないが、もう一度その時のことを話してもらえるだろうか」
アーロンに促されたリンダが頷き、口を開く。
「あの時、ドロテさまがお嬢さまに話したいことがあると、二名の騎士さまが呼びにいらして。謹慎しているドロテさまにお城の中を歩かせるわけにはいかないということで、仕方なしに私たちのほうから行くことにしました。……今考えると、まず殿下方にご相談すべきだったと思います」
「いや、それについては、相手が騎士だったのだから仕方ない部分はあるだろうな」
城に常駐する一騎士が独断で動くなど、あまり考えられないことだ。騎士と会話をするたびにいちいち疑っていては、切りがない。
「ただ、ドロテ・ランバルドをはじめ、謹慎中の留学生たちには、ロズリーヌ嬢が城で保護されていることを伝えていない。シュパン卿を除いてだが」
「……ええ。私が扉をお開けして、お嬢さまが外に出た瞬間――お嬢さまが倒れて行くのが見えました。次の瞬間には、呼びにいらした騎士さまが部屋に踏み込んできて。もう一名の騎士さまがお嬢さまを肩に担ぐのが見えたので、抵抗しようとしたら……この有様です」
そう言いながら、リンダが青白い顔で、頭に巻かれた包帯に指を触れさせる。
「扉の外に、ロズリーヌ嬢につけていた本物の騎士が倒れていた。彼らによると、騎士の格好をした二人が、留学生のもとまでロズリーヌ嬢を案内するからと言ってきたそうだ。それを不審に思い、上に確認しようとしたところを襲われたと」
アーロンが付け足すように言った。つまり、今の言い草からして、その騎士二名は偽物だったということなのだろう。
「それで、ロズリーヌの居場所はわかっているんですか」
沸々と煮えたぎる怒りを無理矢理抑え込み、セレスタンが訊ねる。
声がいつもより低くなってしまった自覚はあったが、こればかりはどうしようもない。
「……いや」
アーロンは首を振った。
「陛下にも話は通してある。だが、ロズリーヌ嬢の立場を考えれば、あまり大っぴらに動くわけにもいかず……」
そう言葉にしながらも、できることが限られるというこの状況。アーロンは歯がゆそうな表情を浮かべ、苛立ち交じりに息を漏らす。
男たちに連れ去られたなどという噂が立てば、貴族令嬢としての生命は終わりだ。普通は。
「でも、ロズリーヌは男たちに連れ去られたのでしょう。その時に姿を見られているのでは」
「ああ、さり気なく聞き込みをした結果、男たちがどこかのご令嬢を担いでいる姿を目撃した人間はいたようだな。ただ、人気がない時間とルートを狙ったのか、騒ぎにはなっていなかった」
「……他の騎士たちは何を?」
「見つけたら止めただろうが……ちょうど、あの辺りの騎士が交代する時間だったそうだ。奴らは、相当下調べをしてきている」
だが、目撃者が一人でもいたのなら、噂になるのも時間の問題だとも言える。その人物が、その令嬢の姿からもしかしたらでロズリーヌの名前を出さないとも限らないのだ。
ただのもしかしたらが予想だにしない醜聞につながる。それが貴族社会だということを、セレスタンはよく知っていた。
そういった醜聞から逃れるためには――そんな理由がなくともだが―― 一刻も早く、ロズリーヌを取り戻さなければならない。
「ちなみに、ドロテ・ランバルドはロズリーヌ嬢を呼び出してはいないと言っていた」
「そうでしょうね」
思い出したように言ったアーロンに、セレスタンは頷く。
それはそうだ。
実際に呼び出していたのなら、こんなふうに連れ去られるわけはないのだから。
「……少し、行く場所ができました」
「は? いや、どこに」
「侍女長に話を聞きに」
「侍女長って、お前のところの?」
侍女長の話は、リンを交えた話し合いの時にすでにしてある。ルフィナたちに関わる可能性があるとなれば、黙っておくことはできなかった。
場合によっては、国を巻き込む事態に発展する恐れがあるからだ。
エジェオやルフィナに直接問い質しても良かったが、それはまだ実行していない。余計なことをして、妙な真似をされたら困るので。
だが、もうそうも言っていられない。
「やあ、呼んだ?」
その時、思わぬ人物が部屋に入ってきた。
「呼んで……リン殿?」
「あれ、呼ばれたと思ったんだけどなあ。違った?」
「リン殿……」
ノックもせず入室してきたリンは、相変わらずに胡散臭い笑みを浮かべている。思わず窘めようとすると、アーロンが「いい」と言った。
どうやら、扉の前に控えている騎士が職務を怠ったわけでなく、アーロンはリンが訪ねてきたら通すようにと伝えていたらしい。
「ゾーイ・トレースのところに行くんでしょ。ボクも行くよ」
「待て待て。その前に、なぜその……侍女長のところに」
アーロンが呻くように言う。
「ここにいても私にできることはありませんし、殿下や陛下からしてももはや手詰まりなのでしょう。現時点で、ロズリーヌを排除したがっている人間の心当たりは留学生たち――特にドロテ・ランバルドとルフィナ・トノーニのみです。殿下もお気付きかと思いますが」
ルフィナ・トノーニが、もしかしたら自分を恨んでいるかもしれないこと。
――すべてはあの事件があったからだ。
あの時のことは、アーロンも忘れてはいないだろう。なにしろ、セレスタンが帰国を決意した最大の理由になった出来事なのだから。
「……ああ、その線も含め、調べている」
言いづらそうにしながらも、アーロンは同意した。
「だとしたら、本人は絶対に認めないでしょうね。まあ、それがドロテ・ランバルドだったとしても同じですが。なので、ヴェリアと無関係ではなさそうな侍女長にまずは尋問しに行きます。彼女は伯爵家で雇用している人間なので」
比較的、好きにできる。
我ながら嫌な考えだなと自覚しつつ、すでにセレスタンの足は扉のほうへと向いていた。
ヴェリアと婚約者の誘拐自体が無関係だった場合、本当に手詰まりだと激しい焦燥感を覚えながら。
「わ、私も。私も行きます!」
リンダが背後で立ち上がる気配がする。
そこに、「君はやめておきなさい」と引き留めるアーロンの声がした。
怪我をしたばかりなのだ。当然だろう。頭の傷を甘く見てはいけない。
「で、ゾーイ・トレースが本当に関わっていたらどうするの?」
廊下に出たセレスタンの隣に並んだリンが、意地悪く問いかけてくる。
おそらくそれは「自制心を保てるのか」という意味の質問なのだろうが――今のセレスタンには答えられなかった。




