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世界のはじまりは指先から【連載中】  作者: 桜木彩


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41/51

【041】何があっても、ずっと

 ――風が吹く。

 穏やかなそれに合わせて、白金色の髪の毛が揺れる。


「ロズリーヌ」


 背後から掛けられた柔らかい声に、ロズリーヌは振り向いた。


「セレスタンさま」


 数日前、セレスタンは体調を崩したばかりだ。

 半ば反射的にセレスタンの顔色を窺うように視線を向けたロズリーヌだったが、どうやら具合は悪くなさそうだと安堵する。


「体調はどう? 無理はしていない?」


 まさに今、自分が考えていたことを訊かれた。

 ロズリーヌは頬を緩めながら小さく頷く。


「ええ、もう元気になったわ」

「……そっか。良かった」


 セレスタンが息を吐き出した。


「侍女長は――」


 嫌なことは早めに終わらせてしまおうと口を開くと、しっと口元に指が当てられる。


「侍女長はとりあえず泳がせているよ。ここ数日は、私には護衛、彼女には監視を密かにつけたうえで、互いにいつも通りの生活をしている。こちらが疑っていることを知ったら、どんな行動に出るかわからないからね。……でも、今はそのことは忘れてほしいな。せっかくの時間なんだから」


 セレスタンがあまりに美しく微笑むので、ロズリーヌは頬をうっすら染めた。

 そうなのだ。

 今日は単なる()()()

 デートと言っても、二人の今の立場上外出するわけにはいかないので、王宮の敷地内にある庭園を見て回る程度だが――実は、婚約者になって以降、そんなことすらできていない二人だった。

 王太子が、「二人は気持ち的に追い詰められているように見える。二人きりで散歩でもしてきたらどうだ」と提案してくれたのである。


「そう、そうね……。でも、驚いたわ。庭園の入口で待ち合わせなんて」

「殿下にそのほうがデートっぽいと言われてね」

「まあ。あの殿下がデートというものについてお詳しいとは思わないけれど?」

「ああ、それはそうか……」


 なにしろ、今の今まで婚約者が一人もいないどころか、浮いた話のひとつもない人なのだ。

 今思い出したと言わんばかりにセレスタンが納得するので、ロズリーヌは思わず笑ってしまった。


「こんな時じゃなきゃ、もっとできそうなことはいっぱいあったんだけど」

「仕方ないわ。こんな時だったんだもの。それとも、もっと他のことがしたかった?」

「え? あ、いや、私は良いんだよ、私はね。ただ、こんな庭園なんて、君はきっと見慣れているだろうと思って――」

「見慣れてなんかないわ」


 「え?」セレスタンが目を瞬かせる。

 ロズリーヌは苦笑した。


「実はね、敷地内にあっても、王子宮とお城以外の場所には足を運んだことがあまりないの」


 ロズリーヌ自身、今になって気付いたことだが。

 あの頃は、婚約者と妃教育、それに付随すること以外はどうでもいいと思っていたので、わざわざ庭園を散歩しようなどという考えすらなかったのだ。

 だから、歩いて行ける距離にあるというのに、この庭園にも一度も来たことがなかった。

 まあ、その程度の距離にあったとしても、未来の王子妃が一人で出歩くわけにはいかない。人員不足の中、護衛を手配したり予定を変更したりしなければならないことを考えると、散歩をするだけで大きな労力がかかったのである。


「初めて来る場所だから、案内してくれる?」


 そうして肩を竦めながら言うと、

「いいよ」

 セレスタンが頷いた。


 しかし、それから――。


「でも実は、私もここに来るのは初めてなんだ」


 冗談めかしたように笑うのだった。


「まあ!」


 つられるようにして、ロズリーヌも声を上げる。

 同時に、セレスタンが腕を差し出してきたので、そこにそっと手を添えた。





 それから二人は、ゆっくりと歩きながら他愛もない話をした。

 好きな食べ物の話だとか、最近、貴族令嬢の間で流行っている香水の話だとか、過去のちょっとした失敗談だとか、そういうなんでもない話を。

 ――ああ、好きだわ。

 ロズリーヌの胸の中に、じわじわと温かいものが広がっていく。


(わたくしが何を話しても、ちゃんと全部聞いてくれるのだもの)


 自分の言葉が届いているのだと、実感がある。


「どうかした?」


 無意識に、じっと見つめてしまっていたのだろう。

 セレスタンが小首を傾げた。


「好きだわって思って」


 思わず、頭の中にあったことをそのまま口に出してしまった。「しまった」と思うも、時すでに遅し。

 ――心の内を表に出してはならない。そんなふうに妃教育を受けた身としてはあり得ない失態である。


「あ、あの、ごめんなさい。口に出すつもりはなかったのだけど、つい、言いたくなってしまったみたいで……でも、自分でもほとんど無意識で」


 頬に熱が集まっていくのがわかる。

 珍しく焦ったロズリーヌが、自分でもよくわからない言い訳じみたことを口走っていると、「どうして?」とセレスタンが微笑んだ。


「うれしいよ」

「……え?」

「私は君が好きで、君も私のことを憎からず思ってくれている……のはだいたいわかっていたけど、でも、そうやって口にしてくれるのはとてもうれしい。――うん、うれしい」


 最後に、染み入るような声でもう一度言うので、ロズリーヌはぎゅっと胸の奥が締め付けられたようになってしまう。


「会えない間、ずっと君のことを考えていた」


 セレスタンが続けて言う。


「無理をしていないかとか、今日はデザートに何を食べただろうかとか。君からの手紙を受け取ったあとは、私がもっとしっかりしていたら擦れ違わずに済んだんじゃないかとか」

「そ、れは……わたくしもです」

「だから、今はもう全部言葉にすると決めた。重いかなと思って、多少は自重していたんだけど」


 まあ、確かに、セレスタンからの愛情を示す言葉で一番多いのは「消す?」なので、それはそうかもしれない。

 でも、ロズリーヌにはしっかり伝わっていた。

 たぶん、言葉が足りていなかったのはロズリーヌのほうだ。


「……気付いていなかったかもしれないけれど」


 囁くように、ロズリーヌが言う。


「わたくしって、意外と重いのよ」


 セレスタンは驚いたように目を丸くするが、ロズリーヌにはその自覚があった。()()()()()()だけで、自分はその辺にいる娘よりずっと重い感情を抱えているのだと。


「あなたのことは何をしても守りたいと思っているし、どんなに高い壁があっても絶対に結婚するつもりだし、生を終える時にはあなたに隣にいてほしいとも思っているもの」


 一息にロズリーヌが言い終えると、短い沈黙が訪れる。


「……はは」


 セレスタンが掠れた声で笑った。


(引かれたかしら……)


 全部言葉にするというセレスタンに対して、自分もそうだという決意を表明してみせたのだが、やはり言い過ぎだったかもしれない。

 もう少し時間をかけて伝えていくべきだったかと、一抹の不安が胸をよぎる。

 ――が。


(それ、どういう顔?)


 セレスタンは顔をくしゃくしゃにしていた。泣きそうな、けれどそうではないような。

 見たことのない不思議な表情だった。


「……君より長生きするのは、嫌だな……」


 セレスタンが、目を隠すように顔の上半分を右手で覆う。


「私とずっと一緒にいてくれるの? 何があっても?」


 そう問いかける声が震えていて。


「ええ、ずっとよ」


 ロズリーヌは、なんだか泣きたいような気持ちになったのだった。

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