【039】ゾーイ・トレースの母
――役目は終わった。
母親としてのということだろうか。
確かに、貴族として考えると、娘が他家に嫁入りするなどして家から出れば『役目を終えた』と考えられなくもないのだが。
違和感。
「それから、こうも言っていたらしい。『やっと解放される』と」
――違和感。
(『役目は終わった』、『解放される』……?)
貴族というのは、どうしても家族との縁が薄くなりがちなので、母親として娘にしてやれることはもうないという意思表示だったとも考えられるが。
しかし、それにしても。
「その様子があまりに疲れているようだったから、結局何も聞けずじまいだったみたいだけど。……でも、二人は母娘なのに似ていないなあって思っていたとか」
「え?」
嫌な流れだ。
ロズリーヌは、半ば無意識に声を上げた。
「実際、当時の社交界には『ゾーイ・トレースは母親の実の娘ではないのではないか』という噂が流れたこともあったようだし」
「実の娘ではない……いえ、でもそれって」
「うん。書類上は紛れもなく血のつながった母娘ということになっているから、もしそうだとしたらだいぶまずいよねえ」
今、この国には血縁を証明する術がない。
なので、貴族の義務となっている出生届を出す際に、偽りを書いて提出することも可能と言えば可能なのである。
(でも、その分、虚偽の申告は非常に重い罪になる……)
特に、血を偽ることは、貴族にとって禁忌も同然だ。家の簒奪に関わってくる場合もあるので。
「で、まあ、そのあたりも調べたんだけど。とある調査によると、ゾーイ・トレースの父親が、当時の婚約者――つまり、ゾーイ・トレースの母親とされている人物だけど――と結婚する前、一人の女性と長く関係を持っていたことがわかった」
「……なんかもう、聞きたくないわ」
ロズリーヌが口の中で呟く。
侍女長の母親の言葉と、その状況を結びつけるだけで、もう答えは出ているようなものではないか。
「その女性は踊り子だったらしくてね。ゾーイ・トレースの父親は、友人に『美人』で『気高く』『体の相性も良い』と自慢げに語っていたそうだよ」
「それで、その女性が妊娠を?」
今度はセレスタンが訊ねた。
リンは頷く。
「そういうこと。ただ、そのせいで二人の関係は悪化することになったらしい」
「……踊り子と貴族では、結婚するにも身分が違いすぎるものね」
「いや、二人は体の関係があったというだけで、ゾーイ・トレースの父親も踊り子と結婚するつもりはなかったんじゃないかなあ。たぶん、その女性のほうもパトロンぐらいにしか思っていなかったと思うよ。でも、妊娠してしまった。有り体に言えば『妊娠なんてしてしまったら、商売上がったりだ』というところかな。それで二人の関係はぎくしゃくし、別れることになった」
「けど、その女性は結局産んだ――産まざるを得なかった」
「この国をはじめ、堕胎を禁止している国はたくさんあるからね」
抜け道は探せばあるが、それだって妊娠に気付くのが遅ければ意味がない。
それが貴族女性なら。
妊娠の有無にかかわらず、月に一度来るべきものが来ないときはすぐに医者を呼ぶものだけれど。
「その時誕生したのが侍女長――ゾーイ・トレース?」
「うん」リンは肯定した。
そして、続ける。
「でさあ、ボク、最近までヴェリアにいたんだけど」
突然話が変わったように思えて、ロズリーヌは思わずセレスタンの顔を見た。セレスタンも同様に、ロズリーヌに視線を走らせる。
意図せず見つめ合う形になってしまって、ロズリーヌはなんとなく気恥ずかしさを感じながらも、再びリンに視線を戻した。
「なんと、ゾーイ・トレースそっくりな人に会ったんだよね」
「……え、侍女長に?」
「まあ、正直、君に聞くまでゾーイ・トレースのことはほとんど知らない状態だったからね。実際には、こちらに戻ってきてゾーイ・トレースの顔を確認しに行った時、『あれ、あの人に似ているなあ』と思った感じなんだけど」
「侍女長に会いに行った? いつ?」
一緒に王都入りしたはずだろうと言うセレスタンに、「昨日」とリンは簡潔に答えた。
セレスタンはなかなか王宮から出てこないし、ロズリーヌは夢の中。
時間だけはたっぷりあったということらしい。
その間に、侍女長の顔と情報を一致させに行ったのだとか。
さすがに随分昔に没落した家の顔ぶれまでは覚えていなかったと、リンが少し悔しそうにしている。
「その……侍女長にそっくりだという女性は、今、どうしていらっしゃるの?」
「ああ、うん。シュパン公爵の愛人業に励んでいたかなあ」
――え?
ロズリーヌは言葉を失った。
(シュパン公爵の……愛人ですって?)




