【038】リンからの情報
「侍女長? 本題というのは……」
セレスタンの表情が戸惑っている。
まったく、とロズリーヌは呆れを滲ませてリンを見た。
(リンったら……)
自分から声を掛けたのだから、セレスタンのことは――そしてロズリーヌとの婚約についても――最初から知っていたのだろうが、ロズリーヌに会いに来た理由は明かしていなかったらしい。
「実は、あなたに出した手紙が届いていないかもというのは、この前の手紙に書いたとおも……あ、ユーフェミアの名で出した手紙は届いたかしら?」
そういえば、とロズリーヌは思い直す。
友人の協力を得て手紙を出したのが最後だったと。昨日は目覚めたばかりで、その件について確認するのを失念していた。
「ああ、うん、そうだった」
セレスタンが頷く。
「手紙は受け取ったよ。……返事を書く前に、仕事を放り出してきてしまったけど」
「まあ、仕事を放り出して?」
「いや、ほら、誰かの介入があってそうなったなら、一刻も早く解決しないとまずいことになるかもしれないと思って」
やけに言い訳がましく早口で言うものだから、ロズリーヌは思わず小さく笑った。別に責めているわけではないのだけど。
放り出したといっても、責任感の強いセレスタンのことだ。放り出してもいい程度まで、仕事は終わっていたのだろう。
しかし、セレスタンの言うことも事実だった。
セレスタンは自身も爵位を持つ貴族家の当主だが、それ以前に、公爵家の人間であり、王太子の側近候補でもある。
そんなセレスタンの送った手紙が誰かに奪われたとなると、今は婚約者のもののみで済んでいるが、今後どうなるかはわからない。
その人物は、婚約者の手紙より重要な何かに手を付ける可能性さえあるのだ。今回のことで、できると思わせてしまっただろうから。
「ええ、その通りだわ」
正直なところ、言いづらい。
侍女長を疑いの目で見ていたこと。
だが、言うしかないのだとロズリーヌは口元に力を入れて、言葉を続けた。
「……わたくし、手紙の紛失については侍女長の仕業だと思っているの」
沈黙が落ちる。
「あの、仕業というか、関係しているというか」
今度はロズリーヌのほうが言い訳がましくなってしまった。
エミールと婚約していた時は、誰にどう思われてもいいと考えていたのに、セレスタン相手だと少しも嫌われたくないと思ってしまう。不思議だ。
ロズリーヌが視線を伏せていると、
「うん、それで?」
セレスタンが柔らかく訊き返した。
弾かれるように、ロズリーヌが顔を上げる。
話の内容からして、仕方のないことかもしれないが、セレスタンは小難しげな表情を浮かべていた。
しかし、不安に揺れるロズリーヌを安心させるように、ベッドの上に置かれた繊細そうな手を力強く握り締める。
「でも、ただ『挙動が怪しい』というだけで、一方的に騒ぎ立てるわけにはいかないでしょう?」
「その、挙動が怪しいというのは?」
「……彼女、セレスタンさまが遠くにいらっしゃること、知らなかったのよ」
「うん? それは……」
「まず、わたくしがあなたの不在を知ったのは、ホルム侯爵に聞いたから。彼女はあなたから日々、業務連絡の手紙が送られてきていると言ったのに、あなたの不在については、一切わたくしに伝えなかった。それってちょっと不自然よね」
婚約者の今を伝えてやりたくないぐらい、ロズリーヌが嫌われているという可能性もなくはないが。だとしても、王宮を訪ねればすぐにわかってしまうことだ。あえて隠す意味はない。
「それで、あの日――ホルム侯爵にお会いした日だけど――お城から戻ったわたくしに、『旦那さまに会えたのか』と彼女は訊いた」
「なるほど、そこで気がついたんだね。私の不在を君に教えなかったのではなく、そもそもそれを知らないんじゃないかって」
ええ、とロズリーヌは頷く。
「業務連絡の手紙を書くとしたら、あなたなら留守にする件も伝えるはずだと思ったのよ。でも、彼女は知らなかった。なら、業務連絡の手紙は嘘?」
「うん。通常通り――いや、君の居心地が良いよう屋敷を管理してもらうだけなのに、毎日毎日連絡することなんてないからね。まあ、問題が起きた場合は別だし、一度もやり取りがなかったわけじゃないけど。というか、君宛ての手紙に、しばらく留守にする旨と使用人への伝言を書いていたのにな」
「……あら、それってつまり、手紙の中身は確認していなかったということかしら」
「それはまた、なんというか」
セレスタンが言葉を濁す。
だが、言いたいことはわかった。
――愚かな。
こういうことである。
このようなところで手を抜いてしまう人間のために、自分たちは擦れ違っていたのかと思うと、ロズリーヌは複雑な気持ちになった。
「ええと、それから」
ロズリーヌはさらに話を続ける。
「鎌を掛けるつもりで、国王陛下とそれなりに言葉を交わせる間柄なのだと伝えてみたら、見るからに挙動不審になって。ねえ、リンダ?」
「ええ、それはもう。真っ青になっていましたね。っていうか、お嬢さまのことを悪く言ったの、私、許していませんからね!」
「……ロズリーヌのことを? 悪く言った? 侍女長が? その話、詳しく聞かせてくれる?」
「セレスタンさま。話がずれています」
婚約者が再びおっかない顔になりそうだったのを、ロズリーヌは慌てて引き戻した。お願いだから、もう少し緊張感を持ってほしい。
「と、いうわけで。手紙紛失の件は、侍女長の仕業でないにしても、なにかしらの関わりはあるのではないかと睨んで……でも、侍女長がそんなことに関わる動機が見えなかったから、侍女長のことを調べてもらうことにしたの。彼に」
言いながら、ロズリーヌはその男に目を向ける。
「リン殿?」
視線の先にいたのは、セレスタンに合流して城まで乗り込んできた商人の男だった。
相変わらず、何を考えているかわからない細目でにこにこと笑っている。
「ん? 話は終わったかな?」
なんだか楽しそうだ。
いや、この男が楽しそうでないことなど、一度もなかったような気もするが。
「この人、とんでもない情報網を持っているらしいのよね。だから、あなたがいない今、侍女長のことを調べてもらおうと思って……」
椅子に座り、組んだ膝の上で頬杖を突いた男を無視するように、ロズリーヌはセレスタンに言った。
「そうしたら、侍女長がこんなことを企んだ……かもしれない動機が見えてくるんじゃないかって。勝手なことをして、申し訳ないとは思ってる」
自分に仕える使用人を断りもなく調べられるのは、良い気がしないのではないか。
そう思って小さな声で謝罪すると、セレスタンはさらにきつく手を握り締めてきた。まるで「大丈夫だ」とでも言うように。
「謝る必要なんてないよ。私も必要なことだと思う。そもそも、彼女は確か、雇用時に別の貴族家からの紹介状を持っていたんじゃなかったかな。その時点で目立った問題がなければ、そのまま採用されているはずだから、私も詳しいことは知らない」
その言葉に、ロズリーヌは小さく息を吐いた。
白さを増していた頬に、じんわりと赤みが戻ってくる。同時に、冷たくなっていた足先にも体温が戻ってきて、どうやら自覚する以上にセレスタンの反応を気にしていたらしいと知った。
「では、そろそろ本題に入っても?」
まるで、珍しい模様の花を見たときのように。
面白そうに二人の様子を観察していたリンが、間に入ってくる。
「ええ、お願い」
先ほどまでより力強く、ロズリーヌが言った。
「よし。じゃあ、君たちが侍女長と呼ぶ彼女――ゾーイ・トレースについて話そう」
随分と長くなってしまったが、これが本題。リンに手紙で訊ねたことである。
「彼女、ゾーイ・トレースが伯爵令嬢だったことは知っていた?」
「ああ。だが、随分前にその家はもう……」
「うん、今はもうない家だね」
それはつまり、経済的な問題により、立ち行かなくなってしまったということだろう。
「両親共に、あまり領地の運営がうまいほうじゃなかったらしい。先代からの借金もあって、ゾーイ・トレースが生まれたあとはあれよあれよという間に没落していったとか」
通常、そういうときは周囲――例えば親族などを頼ったりするものだが。
それができずに没落したということは、人付き合いも苦手だったのかもしれない。
「それで、若くして他の貴族家で奉公するようになり、今に至るって感じかな」
「――え?」
「ん?」
「……それだけ?」
ロズリーヌは気の抜けた声で訊き返した。
家の没落は可哀想なことだが、特筆すべきものは何もない平凡な人生に聞こえる。何かあるはずだと思っていただけに、肩透かしを食った気分だ。
「――な、わけないわよね」
しかし、いや、と思い直す。
リンはいまだ厭らしくにやけている。なら、やはりそれだけで終わる話ではなかったのだろう。
「さすが、ボクの愛しい娘」
「私の愛する婚約者です。お間違いなく」
再び言い合いが始まる前に――といっても、リンはからかっているだけだが――ロズリーヌはわざとらしい咳払いをして、話に軌道修正を試みる。
「リン、そのやり取りはあとにしてもらえる?」
本気で叱られたことがわかったのか、リンはやや残念そうに肩を竦めた。
「じゃあ、話を戻すけど……件の伯爵家は没落後、一家離散となっている。というより、父親が母親と娘を置いて行方を眩ましたようだね。まあ、雑に言えば『捨てられた』というところだろう」
「捨てられた……」
「そして、母親は知人の家に娘を連れて行き、使用人として育ててもらえるよう頼んだあとは、やはり消息を絶ったと聞いた」
「聞いた? 誰に?」
「当然、その知人の家の人たちにだよ」
リンが告げたそれに、セレスタンが絶句しているのがわかる。
――そうよね、そうなるわよね。
内心、激しく同意しながらも、ロズリーヌは「またか」という思いだった。いったい彼の情報網はどういうことになっているのか。
幼い頃、気になって訊いたこともあるが、それは企業秘密だそうだ。
「だが、彼らが面白いことを言っていてね。――母親が『自分の役目は終わった』とぼやいていたと」




