【035】ヴェリアの事情
やはり他国に頼む意味がわからない。
思わずそう漏らしたロズリーヌに、アーロンは肩を竦めながら言った。
「ヴェリアの前王――つまり、現国王の先代かつ父親にあたる人物だが、彼は譲位したあとも、国内で大きな権力を握っている」
「え? ええ……」
存命中にその立場を後継者に譲れば、そういうこともあるだろう。
だが、今までの話となんの関係があるのだろうと、ロズリーヌは小首を傾げる。
「なんでも、彼は上の息子を溺愛しており、当時王太子だった彼が、その地位から引きずり下ろされるほどの問題を起こしてなお、手厚く援助をしているらしくてね」
「上の息子というと……まさか、シュパン公爵でしょうか?」
シュパン公爵とは、それすなわちエジェオとルフィナの父親のことである。
「その通り」
アーロンが首肯した。
「以前、シュパン公爵が起こした問題も、前王が他国に漏れないよう、関係者に圧力を掛けて揉み消したと聞いた。シュパン公爵も、何をしても父親が庇ってくれると知っているからか、友人らと共に好き勝手しているそうだよ」
「……なるほど」
その話だけで、なんとなく察するものがある。
「そういうことなら、他国を巻き込むのは賢い選択かもしれませんわね」
自国で相当やらかしていると言っても、後ろ盾になっている前国王がすべてなかったことにしてしまうのだ。当然、実際になかったことになるわけはないのだが、そういうことではない。
シュパン公爵より立場の低い人間なら、すぐに口を塞がれてしまう。余程のボロを出さない限り、身分を剥奪するのはまず不可能だろう。
そこで、ヴェリアの王は他国を巻き込むことにした。すでに退位した王の権力は、他国にはさほど響かない。少なくとも、自国のようには。
(まあ、わたくしたちにとっては非常に迷惑だったけれど)
しかし、ロズリーヌはそんな野暮なことは口にしないのだ。賢いので。
「そういうわけで、アディルセンとしては使節団の彼らに落ち度があると……こちらに無礼があったのだと見せたかったんだ。ヴェリアの前国王が庇い立てするのも難しいぐらいにね。それが、君たちに『様子見』と伝え続けていた理由」
「え、いえ、ですが……」
「うん?」
「……シュパン公爵と、その周囲にいらっしゃる親しい方々を排除したかったのであれば、留学生の皆さまのことは無関係なのでは?」
様子見と指示されていたのは、あくまでも学院内での出来事についてだった。シュパン公爵をどうにかしたかったのなら、彼らのことはあまり関係ないように思えるが。
「いや、それがそうでもない」
アーロンは苦笑じみた表情を浮かべた。
「と、言いますと……」
「シュパン公爵令嬢ルフィナ・クルス・トノーニ。君にとって、彼女はどんな人物だった?」
「……ルフィナさま、ですか?」
意外な人物の名前が登場したことに、ロズリーヌは困惑の色を滲ませる。しかし、それは一瞬のことで、すぐに視線を右に寄せて考える素振りを見せた。
――美しい人。儚げな女性。
けれど、それだけだった。
あまり印象がないというか、本当にそれだけ。
「正直、よく。そういえば、あまり会話をする機会もございませんでしたね。留学生の方々が問題を起こす場面に居合わせることはよくあったようですけれど……」
だからつい問題児たちと一緒くたにしてしまっていたが、考えてみれば、ルフィナ本人が問題を起こしたという話は聞かない。
「ああ、学院では珍しく大人しかったらしいね」
珍しく。
――ああ、もう、なんだか面倒くさいことになっているのね? そうなのね。
ロズリーヌは心の中で独りごちる。
珍しくというのは、つまり普段は違うということなのだろう。
「調べたところ、彼女もなかなかに問題のある人物のようだよ。ヴェリアの王子たちの婚約者になろうと画策したものの、選ばれることはなかったと」
「そもそも、親同士が実の兄弟となると、血が近すぎるのでは……」
一昔前は、多くの国に存在していた近親婚。しかし、今ではそのほとんどの国で避けられているはずだ。四親等以内の結婚はするべきではないと。
「まあ、うん。最初はそう言って断られたらしい。だが、それがどうしたと聞く耳を持たず」
ロズリーヌはぎょっとする。
(それがどうした!? って、どういうことなのかしら……!?)
王族に断られて「それがどうした」という感想が出てくるとは。
今まで従順に生きてきて――いや、さほど従順ではなかったかもしれないが、反抗するときはそれなりに根回しなどを行いつつ生きてきたロズリーヌとしては、信じられない対応である。
アーロンは、そのまま話を続けた。
「自分こそが次期王妃に相応しいのだと言って憚らなかったので、ついには公の場で『王族の婚約者たる資質なし』と発表しなければならない事態にまで発展したとか」
「う――」
うわあ、と思わず声を上げそうになったが、ロズリーヌはなんとか口を噤む。
王族の口から直接、公式のそんな言葉があったとすれば。実質、貴族令嬢としての命を絶たれたも同じだ。普通ならもう表には出てこられないだろう。
「それで、どうなったのです?」
思わず、訊ねた。
普通、王族にそのようなことを公表されたら、貴族令嬢としての命を絶たれたも同然だ。
もう表には出てこられないだろう。
しかし、実際にはそうなっていない。相変わらず友人たちに囲まれ、楽しそうにしている。
「そのあたりは見ての通りだろう。シュパン卿によると、この件でヴェリアの前国王はたいそうお怒りになり、王子たちを叱責したのだとか」
「……叱責するほうをお間違えではと申し上げたいところですけれど、きっと、その方には『王子が愛する息子の娘を虐げている』とでも見えていたのでしょうね」
「かもしれないな。とにかく、そういうわけで、彼女は今でも普通に過ごしているし、特に反省もしていない……と、シュパン卿が言っていた。父親同様、ルフィナ嬢も王族にとっては見過ごせない相手というわけだ。このまま放置してしまえば、十年後、二十年後には今より手がつけられなくなるだろうと」
それで様子見かと、ロズリーヌはようやく納得がいった。
シュパン公爵とその周囲の人間には使節団として問題を起こさせる。そして、娘のルフィナをはじめとする問題児の彼らには、学院で問題を起こさせる。ヴェリアの中枢から、彼らを遠ざけるために。
王族に嫌われるとは、そういうことだ。
「つまり、わたくしはもしかして、必死になって彼らを止める必要はなかった……?」
ひょっとすると、無駄な労力を使わされていたのではと、胸の奥になんとも言えない感情が広がった。
「ああ、いや。彼らにはほんの少し問題を起こしてもらえれば良かっただけだし、ロズリーヌ嬢が頑張ってくれて良かったよ。羽目を外しやすい状況になると、こういうのは酷くなっていくものだから。思った以上の問題児たちばかりで――君がストッパーになってくれると信じていた」
「いやいや、ご自分の都合の良いように終わらせないでいただけますか」
そこに、セレスタンの声が割り込んでくる。
はっとして婚約者の顔に視線を走らせると、美しい顔が険しく強張っていた。やはり、美人が本気で怒ると迫力がある。
「そもそも、最初からその話を打ち明けてくだっていれば、彼女にだってやりようがあったはずです」
「うん、それは……」
「先日、この話を聞かされた時は、彼女の目が覚めないことに動転して文句を言う気力もありませんでしたが。――あり得ない。何も知らなかったから、彼女は何もできず、ただ怪我をすることになった」
セレスタンは、先日、エジェオも含めた三人で話したあとに、この話を聞かされていた。謝罪も受けた。怪我までさせるつもりはなかったと。
長旅の直後で体に負担がかかっていたのと、ロズリーヌの状態で酷く疲れていたセレスタンは、その日はそのまま帰宅したが。
この不満を、ただ我慢するつもりはなかった。
だって、もしかしたら彼女は命を失っていた可能性もあるのだ。運良く助かっただけで。
「……この件を、君たちに伝えなかったのは」
アーロンが、硬い声で言う。
「君たちは非常に優秀だからと、陛下が。この計画について聞かされた君たちが、どんな行動に出るかわからないと。特にロズリーヌ嬢」
「わたくし……?」
「君の行動は特に、陛下にも予測がつかない場合があると言っておられた」
あの、陛下が。
そんな状況でないのは百も承知だが、内心で少し――ほんの少しだけれど、喜んでいる自分がいる。
自信家で、国王らしい傲慢さも併せ持っていて。それでいて、実に優れた人物でもあるので、何かをしようと思ったつもりが、気がついたら彼の手のひらの上で転がされていることも珍しくない。
――自信家なのは、ロズリーヌも一緒だ。
しかし、そんなロズリーヌが絶対に『勝てない』と思う相手。それがアディルセンの王だった。今ではセレスタンもだが。
そんな彼の方に『予測がつかない』と言われるのは、ロズリーヌにとっては褒め言葉にも等しいことだったし、おそらく本人もそのつもりで放った言葉だっただろう。
「つまり、我々は陛下や殿下の指示に従わない可能性があると思われていたと?」
不満げに続けられたセレスタンの言葉に、ロズリーヌは我に返る。
「いや……うん、まあ、嫌な意味ではなく……ああ、結果的にはそういうことになってしまうかもしれない。もし、ロズリーヌ嬢に心労をかける可能性があると知ったら、お前は黙って耐えられたか?」
「……それは……」
「悩むだろう? 俺も陛下もそう判断した。そして、ロズリーヌ嬢はそれこそどのような反応をするかわからないと。従ってくれればいいが……先ほど言ったように、陛下は君が考えていることはいまいち予測できないと言っておられたからな」
まあ、わかる。
ロズリーヌは心の内で同意した。
きっと国王は知っていたのだろう。――ロズリーヌが以前、何をしようとしていたのか。
「だが」
ふと、アーロンの声が一段と低くなる。
「――申し訳なかった」




