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世界のはじまりは指先から【連載中】  作者: 桜木彩


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【025】真面目な二人

 言葉は通じているのに、会話ができない。

 かつての婚約者を誘惑したダニエラもそうだったが、時折そういった人間はいるものだ。


「ドロテさま。学院の授業内容は簡単に変えられるものではございません。基本的に、我が国の貴族に必要な教養や知識を養うために決定されるのです」


 何度かこうした諍いの仲介に入ってきて、もう必要以上に(おもね)らないと決めている。

 内容など関係ない。どんな返事をしようが、ドロテは必ず揚げ足を取ってくるのだから。


「なに? じゃあ、ヴェリア語は必要ないということ?」


 ドロテは不快そうに眉根を寄せた。


「ヴェリア語がというより、母語である我が国の言語に次いで、大陸の公用語が優先されますね。それは、貴国でも同じではないでしょうか」


 ロズリーヌたちの第一言語は、当然アディルセン語だが、アディルセンやヴェリアも含まれる大陸の公用語はまた別にある。

 といっても、識字率自体そう高くない平民の場合は、公用語を学ぶ機会もほとんどないのだけれど。

 なににせよ、学院に通う貴族子女にとっては必修科目だ。どれほど流暢にその言語を操れるかは、また別にして。


「……だからなんなのよ。それでも、この学院の生徒たちが無礼なのは変わらないわ」

「ご不快な思いをさせてしまったのでしたら、申し訳ございません。ですが、無礼なこととはいったいどういったことでしょう?」

「あのね、さっきも言った――」

「ドロテさまの前を横切ったということでしたら、なにか誤解があるように思います。我が国では、貴族同士であればそのようなことで問題になることはないのです。流石(さすが)に、王族にそれをすると白い目で見られることもありますが……それでも、先ほどのように大事(おおごと)になることはありません」


 暗に、お前は王族でもしないような言いがかりをつけたのだと言ってやる。

 アディルセンでは、暗黙の了解として、王族が通るときには道を空けるというものもあるが、それでさえ、平等を謳った学院内では通用しない。

 エミールもアーロンも、学院でそのような注意をしたことはなかった。


「それとも、貴国ではこのようなことが問題視されるのでしょうか?」


 「でしたら、勉強不足で申し訳ありません」ロズリーヌが目を細めながら言う。

 ――そもそもの話だ。

 小国ヴェリアの伯爵令嬢より、アディルセンの侯爵令嬢であるロズリーヌのほうが立場が強いのである。()()()、国同士が対等な関係を築いているからといって、無視していいことにはならない。

 ドロテの態度は、あまりに不遜すぎた。


「……そんなことを言ってよろしいの? 我が国との関係に影響するかもしれませんけど」


 指摘されたことへの羞恥か、ドロテの頬にうっすら赤味が差す。


(困るのはそちらも同じでしょうに……)


 ロズリーヌはそう思うが、しかし、ヴェリアとアディルセンがどのような話し合いをしているのか、すべてを聞かされているわけではない。

 ドロテのただの思い上がりであっても、影響が出るようなことを控えなければならないのは事実だった。


「それは我々に対する脅しと受け取りますが、よろしいでしょうか?」


 といっても、留学生たちを預かる立場である以上、学院の生徒たちを守る義務もあるのだ。

 正直、しんどい。

 不安そうにしている女生徒二人の前に進み出て、ロズリーヌは美しく微笑んだ。


「……あなた――」


 再び、ドロテが不快そうに何かを言い募ろうとした時。


「ドロテ」


 鈴の音のような声がするりと入り込んできた。

 ドロテが息を呑む。

 その視線が向けられたほうをロズリーヌが振り返ると、シュパン公爵令嬢ルフィナ・クルス・トノーニが、ゆったりとした足取りで近付いてきていた。


(……美しい人だわ)


 まるで人形のように可憐な少女だ。

 隅々まで磨き上げられ、身につける物に派手さはなくとも、随分と良い生活をしているのがわかる。


「ルフィナさま……」


 ドロテが掠れた声でその名を呼んだ。


「ドロテ、ここの方々は私たちを受け入れてくださっているのよ。問題を起こすのは良くないわ」


 穏やかな表情で、ルフィナが言う。

 ドロテはぐっと眉根を寄せながらも「……はい」と俯いた。


「ロズリーヌさま、我が国の人間が申し訳ございませんでした」


 ドロテらが問題を起こすのはこれが初めてではないのだが――ルフィナにそう言われては、引き下がるほかない。

 ロズリーヌは口の中で溜め息を()いて、あえて苦笑じみた笑みを浮かべた。思うところがないわけではない、というのは察してもらわなければならないので。


「いえ、こちらこそ、ドロテさまに不快な思いをさせてしまったようで……」


 ロズリーヌの思いが正確に伝わったのだろう。

 「今後、このようなことがないよう、ヴェリアの者たちに言い聞かせておきますね」と軽く(カーテシー)をすると、ルフィナはドロテの背に手を添えて、引き連れていた他の留学生たちと共に去って行った。


「君も大変だね」


 そこに聞こえてきた声に、ロズリーヌは小さく息を吐く。


「……エジェオさま」


 「見ていらしたのですね」と言うと、いつの間にか背後に(たたず)んでいたエジェオ・トノーニは、悪戯(いたずら)が見つかってしまった子どものような笑みを浮かべた。


「まあ、人目につくようなところで問題を起こされちゃね」

「……いったいいつから?」


 ロズリーヌが尋ねると、エジェオは笑みを浮かべたまま肩を竦める。

 ――きっと最初のほうから見ていたのだろう。

 なら、止めてくれればよかったのに、と思わなくもないが、彼は基本的に、留学生たちとは一定の距離を保っているようだ。短く浅い付き合いの中でも、なんとなく察せられるものがあった。


(ドロテさまとの関係は……とも訊きたいけれど、そんな雰囲気じゃないわね)


 エジェオが歩き出したので、それに合わせてロズリーヌも動き出す。慌てて礼を述べてきた女生徒たちに、微笑みを返して。

 思わずじと目を向けてしまうと、エジェオはおかしそうに肩を振るわせた。「ははっ」そのうえ、声を上げてまで笑っている。


「……わたくし、なにかおかしなことを言ってしまいましたか?」

「いんや? ああ、()いて言うなら、真面目でおかしい子だなあとは思っているかな。もちろん、君のことだけど」

「褒めてくださっている――というわけではないようですわね」


 揶揄する響きを持って伝えられたそれに、ロズリーヌは溜め息交じりに答えた。


「誤解だよ。これでも十分、すごいなと尊敬しているんだから」

「……エジェオさま」

「本当に。僕だったら、あんな()()()()異国人なんか、まともに相手をするだけ無駄だと早々に諦めるだろうね」


 果たしてあれを『癖のある』で済ませてしまっていいものか、議論の余地はありそうだ。が、彼女たちと距離を取っているエジェオも、一応はヴェリア側の人間。

 それを素直に認めるわけにはいかない。


「陛下から、留学にやってこられた方々の案内をよくするようにと仰せつかっておりますので。わたくしは、その通りにしているだけです」

「……へえ。君、なかなか我慢強いよね。その調子で、婚約者がよその女を見ていた時も我慢していたの?」


 なんでもないことのように紡がれた言葉に、ロズリーヌはわずかに顔を強張らせた。

 思わぬ角度からの攻撃だった。


「このような結果になってしまい、わたくしとしても、残念に思っています」


 素知らぬ顔をして、咄嗟に切り返す。

 傷付いているなどという顔をしてはならない。


「まるで他人事(ひとごと)みたいな話し方だ」

「まさか。ただ、あれから時間も経っていますし、幸運なことに、こんなわたくしと婚約したいと名乗り出てくださる方もいました。わたくしにとって、過去のことだというだけですわ」

「過去のこと、ね。……子どもの頃からの婚約者だったのに。薄情だってよく言われない?」

「な――いえ……よく、ご存知で」


 お前が何を知っているのか――。

 そう問い(ただ)したくなったが、ここでそれは不毛なことだ。

 自分を落ち着かせるように、ロズリーヌは気付かれないように何度か深呼吸をした。


「君に関する噂は多々あれど、これから滞在する国の重要人物の情報ぐらい調べておくさ。()()()()はそれをしようとすら思わない無能(バカ)だけど」

「わたくしのことを、重要人物と?」

「当然だろう? 幼い頃に第一王子の婚約者に選ばれて、あの素晴らしい王(アディルセンの王)に才色兼備と言わしめた女性だし。それに、婚約が破棄されれば――どちらに非があるにせよ――若い女性がまともな縁を結ぶのは難しいこの世の中だ。そんな中で、筆頭公爵家の人間が妻にと望むなんて、どんな女性(ひと)なんだろうと思っていたよ。セレスタン殿の素晴らしさは、僕も知っているからなおさらね」


 そう言えば、とそこでロズリーヌは思い出す。

 この人とセレスタンは顔見知りなのだった、と。


「……そちらでは、セレスタンさまはどのようにお過ごしだったのでしょう?」


 ふと思い立って訊いてみると、エジェオは目を丸くした。


「どうして?」

「あ、いえ、詮索するつもりはないのですけれど。ただ、そちらの国でのお話をあまり聞いたことはなかったなと思って」

「……ああ、まあ、話したがるようなことはないだろうからね」


 その言い方に引っ掛かりを覚える。

 ただの世間話のつもりだったが、エジェオは気まずそうな――それでいて、どこか複雑そうな表情を浮かべていた。


「それは……?」

「この国に来て、セレスタン殿に会えるのは少し楽しみだったんだけど。あんな()()があったら、セレスタン殿が出てこないのも不思議ではないな」


 ――事件。

 不穏な言葉だ。

 問題ではなく、事件。

 そうなると、気軽に聞いてはいけないような気がして、ロズリーヌは顔を前に向けたまま視線を彷徨わせた。


「あのことがあって以来、ほとんど公の場には顔を出さなくなってしまったから、少し――ほんの少しだけだけど、心配していたんだ。でも、女性と婚約できるまでになったなら良かった」

「え、ええ……」

「で、その相手が君なわけだけど。話に聞けば聞くほど興味が湧くなって」

「ええ……?」


 話題がころころと変わるので、思わず素の調子で返してしまう。

 意図したものか、そうでないのか。

 それはわからないが、エジェオは実際、興味深げにロズリーヌを見つめてきた。深い緑色の双眸が、悪戯っぽく細められる。


「本当に真面目だよね。もうちょっと肩の力を抜いたらいいのにって思うよ」

「……真面目かどうかは……ただ、真面目でありたいとは思っています」

「……君、疲れない? 少し遊びを持たせたほうが、人生楽に生きていけるんじゃないかな」

「エジェオさまのようにですか?」


 少し言い返すと、エジェオの瞳が再び丸くなる。

 それを見て、ロズリーヌはふふと笑い声を上げた。


「これでもわたくし、冗談が言えないわけではないんですよ。意外と遊びを持たせてもいるつもりです。エジェオさまから見て『遊び』になっているかはわかりませんが」

「……そうみたいだね」

「それに、エジェオさまだって真面目だと、わたくしは思いますわ」

「僕が?」

「ええ。こんなにも流暢に我が国の言葉をお話しになるんですもの。それは、エジェオさまが真面目に努力してこられた証でしょう」

「いや、以前君が言っていた通り、こんなのでも公爵家を継ぐ人間だからね。それは当然のことだよ」

「公爵家を継ぐから当然だということと、そのために努力をしていらっしゃるということは、まったく別のお話として語られるべきことです」


 多少なりとも外交に関わる公爵家を継ぐなら、当然のこととして周辺国の言語を習得すべきだという事実があったとしても、そのためにした努力が無視されるようなことがあってはいけない。


「そうか……」


 エジェオが小さく呟いた。

 次いで、軽やかに声を上げて笑い出す。


「……エジェオさま?」

「ん? ああ、いや、努力かと思って。そういえば、僕も努力らしきものをしたのかもしれないな」


 晴れ晴れとした表情でそう告げられるが、ロズリーヌには意味がわからなかった。

 努力もなしに、他言語をものにできるわけないだろうと思って。

 訝しげな表情を浮かべていたのだろう。そんなロズリーヌを見て、エジェオはさらにおかしそうに笑うのだった。

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