【020】いつの間にか旅立っていた婚約者
「……どういうことでしょうか?」
ロズリーヌは、珍しく自分が混乱していることを自覚しながら眉根を寄せた。
それは、隣にいるユーフェミアも同じようで。
二人に向かい合うようにして座っているホルム侯爵に、
「ロズリーヌが知らないなんていうこと、あり得る?」
と問いかける。
「申し訳ない」
ホルム侯爵は、その言葉通り、申し訳なさそうな表情で眉を落とした。
「『申し訳ない』とはどういうこと?」
ユーフェミアがさらに言い募る。
「いや……そうだな。ロズリーヌ嬢が知らないというのは、私としても想定外だった。アンドレアン伯爵なら、あなたに伝えてから行くだろうと思っていたから」
「そうなの? でも、ロズリーヌ、あなた何も聞いていないんでしょう?」
「ええ。というか、ここしばらくはまともに連絡も取れていないわ。何度か手紙は送っているけれど、返事が来なくて」
ロズリーヌは、困惑を隠すことなく頷いた。
ホルム侯爵曰く、セレスタンはどうやらこの王宮――どころか、王都にすらいないらしい。
なんでも、国境付近に位置する山で大きな事故が起きたらしく、その対応に駆り出されて現地まで赴いているというのだ。
「一通の返事も出せないほど、お忙しいということ? アンドレアン卿のことだもの。何もなければ、丁寧に返事をくれそうだけれど」
「……だから、お仕事の邪魔をしてはいけないと思いつつ、今日はこちらに押しかけてみるところだったの。根詰めすぎていないか心配だったし、相談したいことも……」
相談したいことというのは、当然学院内で起きている出来事についてである。学院長にもホルム侯爵にも、ひとまず様子見をしてほしいと言われているものの、やはりセレスタンにも相談しておきたかった。
ただ、貴族というのは、基本的に、公にしたくない話を文面には残さない。なので、ロズリーヌも『学院で困っていることがある』程度のことしか手紙に残せていなかった。
それでも、いつものセレスタンなら飛んでくるかと思ったのだが――実際には、返事のひとつももらえなかったというわけだ。
「それについては、我々の責任もあるかもしれない」
友人同士で首を傾げ合っていると、ふと、ホルム侯爵が低い声で言った。
二人の視線が、再び目の前の男へと戻る。
「と、言いますと……?」
「彼が数年前までヴェリアで過ごしていたのは知っているだろう?」
「ええ、存じております」とロズリーヌ。
ユーフェミアも、婚約者から聞いていたのか、静かに首を上下させる。
「通常なら、今回の使節団と留学生の受け入れについて、彼にも一役買ってもらいたいところなんだが、少し込み入った事情があってな。彼はこの件から外れてもらうことにしていた」
「それもなんとなくは……」
「ところが、このところ、まあ、いろいろあって」
――『いろいろ』。
言葉にこそしなかったが、この時、間違いなくユーフェミアとロズリーヌの頭の中には、留学生たちが巻き起こす『いろいろ』が思い浮かんでいた。
ロズリーヌはなんとか踏みとどまったが、ユーフェミアは愛する婚約者の前で気を抜いていたのだろう。思い切り顔に出してしまったようだ。
そんな婚約者の様子に、ホルム侯爵の顔にもうっすらと苦い笑みが浮かぶ。
「おそらく二人が想像している通りのことが、我々にも起こっている。まったく、子が子なら、親も親だな」
「ジル……」
「ああ、すまない」
扉も窓も閉め切り、密室状態にしてはあるが、どこに耳があるかわからない。ユーフェミアが窘めるように言うと、ホルム侯爵は深く息を吐き出した。
ホルム侯爵がこうなるということは、よほど腹に据えかねた何かがあったのかもしれない。
でなければ、婚約者であるユーフェミアはともかく、ロズリーヌの前でわかりやすく悪態を吐いたりはしなかっただろうから。
「それで、話の続きをすると」
気を取り直すように軽く咳払いをして、ホルム侯爵が続ける。
「先ほど言った通り、アンドレアン伯にはこの件から外れてもらうことにしていたんだが、立て続けにいろいろと問題が起こるものでな。彼には裏方として助力してもらうことにしていた。当然、アーロン殿下にも話は通してあるし、通常業務の調節もしていたはずだが、それでもやはり相当忙しかっただろうと思う」
なるほど、とロズリーヌはひとつの疑問を解消した。
しかし、
「だとしても、しばらく帰れないようなところに行くのに、アンドレアン卿がロズリーヌに連絡しないわけがないわ」
と、ユーフェミアが鋭く言う。
ホルム侯爵はやはり申し訳なさそうな表情で「そこは流石にわからない」と肩を竦めた。
「とりあえず、事情はわかりました」
とりあえずというのは、セレスタンが忙しかったこと、それに伴い、連絡する間もなく旅立っていったことを表している。
多少の違和感はあるものの、理解はした。
ならば、もうここに用事はない。
今日、ロズリーヌはセレスタンのもとを訪れる予定で、王宮にいるのだから。結局、目的地へ辿り着く前にユーフェミアとホルム侯爵と鉢合わせ、困惑した表情のホルム侯爵から事の次第を聞くことになったわけだが。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたしますね」
ロズリーヌは立ち上がり、軽く膝を折り曲げて礼をする。
「ああ。……アンドレアン伯が戻ってきたら、もう少しこちらの業務量を調整するようにしよう」
ホルム侯爵が再び「すまなかった」と謝るので、ロズリーヌは慌てて笑みを取り繕い「いえ、それは彼と相談していただければ」と返した。
そして、そのままユーフェミアにも別れを告げ、ホルム侯爵の執務室を後にする。
――が。
「ロズリーヌ嬢!」
今度は、なんとも厄介な人物に捕まってしまった。
(わたくしが会いたかったのは、セレスタンさまなのに……)
思わず遠い目をしながらも、妃教育で染みついた完璧な礼を披露する。
その人は、爽やかな笑みを浮かべ、足取り軽く近付いてきた。
「顔を上げてくれ」
そう言われて、素直に視線を持ち上げる。
そこにいたのは、アーロン・カリスト・ラファエル・オベール。つい先日、立太子の儀を執り行ったばかりの彼だった。
「――王太子殿下に、ロズリーヌ・ミオットがご挨拶申し上げます」
「うん。いや、そういう堅苦しいのはいいよ」
と言われましても、である。
個人的な会話をするほど親しかったわけではないので、どうにもぎこちない対応になってしまいそうだ。
「……わたくしに、ご用がおありでしょうか……」
ロズリーヌはおそるおそる訊ねた。
この王子に会うのは、王妃同席のもと、婚約についての話があって以来である。警戒して当然だろう。
「そんなに身構えないでくれよ。少し訊きたいことがあっただけだから」
「……わたくしに、でございますか?」
不安を悟らせないよう、淡々と訊き返すロズリーヌに、アーロンは苦笑を向ける。
「最近、ヨエルに会ったかと思って」
~【002】序章(2)より~
オベール家には、エミールとアーロン、そしてここにはいないが、ヨエルという三人の王子しかいない。
おそらく、重大な問題を起こしたエミールは表舞台から姿を消すことになるだろう。ヨエルは二人とは歳が離れているため、この時点で、アーロンが次期国王であることに決定したわけだ。




