【016】使節団の到着と留学生の受け入れ
それからしばらくして。
「皆さま、ようこそおいでくださいました。ロズリーヌ・ミオットと申します」
隣国――ヴェリアからの使節団が到着した。
同時に、学院でも留学生を受け入れることになる。ロズリーヌは、その集団に向けて、流暢なヴェリア語で挨拶をした。
話に聞いていた留学生は公爵令嬢一人だったはずだが、考えてみれば、公爵令嬢が単独で他国の学校に乗り込めるわけがないのだ。防犯上。
「よろしくお願いいたします」
集団の中から、一人の少女が進み出る。
「ルフィナ・トノーニと申します」
儚げに微笑むこの女性こそ、ルフィナ・クルス・トノーニ。
留学がしたいと希望した、件の公爵令嬢である。
「このお方は、シュパン公爵家のご令嬢です」
一歩下がった位置に控えていた娘が、わずかに声を張った。
「ええ、お会いできて光栄にございます。あなたは――」
「わたしは、ドロテ・ランバルド。リトマネン伯爵の娘です」
そう言われて、ロズリーヌはさり気なく周囲に視線を馳せる。
雰囲気としては、ルフィナとドロテ、その他という感じか。いや、あとは――。
「ロズリーヌ嬢、お初にお目にかかります。エジェオ・トノーニです」
エジェオ・コンスタン・トノーニ。
ルフィナの兄だ。
ルフィナがロズリーヌの一学年下に入ることになっているので、エジェオは、最終学年に在籍しているロズリーヌと同学年ということになるのだろう。
「妹が留学するというので、この機会にと私も便乗してしまいました」
「歓迎いたします、シュパン卿」
「どうぞ、私のことは『エジェオ』と」
「……では、エジェオさま」
ロズリーヌは一瞬身じろいだが、社交用の笑みを貼り付けたまま従順に頷いた。
(それにしても……大所帯だわ)
それなのに、案内役が務まるのは一部の教師とロズリーヌ一人――というのも、隣国とこの国では、使われる言語が異なる。
留学したいと希望するほどだから、最低限、こちらの言語を習得しているのかと思いきや、このうちの大多数は自国の言語しかできないというのだ。
対するこちら側も。
ヴェリアの言語――ヴェリア語――は、ヴェリアでしか話されていないということもあって、習得している人間はそう多くない。
学生の中では、妃教育のついでに、ヴェリア語を学んでいたロズリーヌぐらいしか、案内役を務められる者がいなかったのである。
そうでなければ、婚約者のセレスタンが協力は必要ないと言われているぐらいなので、ロズリーヌもその役目から外されていただろう。
「ロズリーヌさま」
隣から、小声でユーフェミアが囁いてくる。
学生のうち、ヴェリア語がわかるのはロズリーヌだけだが、たった一人で、この大所帯の面倒を見られるわけがない。
――ので、その補佐役として、複数名の学生が付けられることになった。ユーフェミアもそのうちの一人だ。
「ええ。――皆さまにおかれましては」
室内に集まった面々を見渡すようにして、ロズリーヌは声を張る。
「慣れない環境の中、なにかと戸惑われることもあるでしょう。お困りのことがございましたら、まずはわたくしがお聞きいたしますので、いつでもおっしゃってくださいませ」
よかれと思ってそう口にすると、伯爵令嬢のドロテがぐっと眉根を寄せた。
「そもそも、こちらが困ったことになる前に、先回りしておいていただきたいものですわね」
そういうことを言っているのではない。
これはまた随分と扱いづらそうな令嬢が来たものだと思いながら、ロズリーヌは「もちろんでございます」と対応する。
「我々もできる限りのことはいたします。ですが、そのうえで、他にお悩みのことがございましたら、躊躇なさらずにぜひ、というお話です」
ドロテはふんと鼻を鳴らした。
「ルフィナさまがお困りになるようなことがあれば、そちらだって困った状況になるのだということをお忘れなく」
彼らを然るべき場所まで送り届け、学園長の許可を得た者だけが使用できるプライベートルームの中――。
「ああ、もう……困った人たちだわ」
疲労感の滲む顔で、ユーフェミアがそう言った。
ほんの少し彼らを相手にしただけだというのに、十歳は年齢を重ねたかのようなやつれ具合である。
(さて、どうしたものか……)
ロズリーヌも、内心では酷く困惑していた。
ルフィナとエジェオ。
公爵家の二人。
ドロテ含む、その他大勢は、彼らの――所謂ご学友というものなのだという。それにしては、と思うが、それはロズリーヌたちの考えるところではない。
「だいたい、留学を無理矢理捻じ込んできた割に、一切言葉がわからないって何様のつもりなのかしら」
「……そうね」
できないならできないなりに、せめて挨拶の口上ぐらいは頭に入れておくのが、相手を尊重するという態度だと思うのだが、彼らにはその考えすらないようだった。残念なことである。
「でも、まあ、悪いことばかりでもないわ。そのおかげで、彼らを同じクラスにできたのだから」
ロズリーヌが肩を竦めながら言うと、ユーフェミアは「それはそうだけど」と苦々しい表情を浮かべた。
留学生は基本的に、本人の素質と政治的立場を鑑みて、もっとも都合が良いとされるクラスに所属する決まりとなっている。
ただ、今回の場合、あまりにも大勢であること、そのほとんどにアディルセンの言葉が通じないことから、彼らのためにまるまる一つ新しいクラスを作ることにしたのだ。彼らはそこで、この国について学ぶことになる。
「でも、まだあるわ」
ユーフェミアは、自身の愛する婚約者が巻き込まれているだけに、憤懣やるかたないといった様子だ。
「ルフィナさまに困り事ができるようなら、私たちも困ったことになるでしょう……ですって」
先ほどヴェリア語で交わされたやり取りはすべて、ユーフェミアにそのまま伝えている。
「公爵家のご令嬢だからということかしらね」
「ここで問題が起きれば、国同士の問題になるわよと? 完全に脅しじゃない」
「……やっぱり脅しよね、あれ」
本人にそのつもりは無さそうだったが。
しかし、一応は国の顔でもある留学生がその発言をし、誰一人としてそれを咎めなかったのだ。問題になるとすれば、ヴェリアのほうだろう。
「これを私たちだけ――いえ、ロズリーヌだけに任せるのは無理があるわ。あの人たち、いかにも問題を起こしそうだもの」
「具体的にはどなたが?」
「ドロテさまとシュパン卿が」
ユーフェミアの口から飛び出した名前に、ロズリーヌはぎくりとした。そうだった、そちらも厄介なことに変わりないのだと思って。
「シュパン卿、あなたのことを気にしていたわね。とっても」
「学生の中で唯一、ヴェリア語ができるからではないかしら」
苦し紛れにそう言ってみても、しっくりこない。
あの時確かに、ほんの少しの居心地の悪さを感じたからだ。
「本当にそう思っている?」
呆れたようにそう問われて、ロズリーヌは降参したとばかりに小さく息を吐き出した。
「いいえ」
「まあ、そうよね。口説いている……ほどではないようだったけど。隣国の男性ってみんなこう――つまり、奔放ということだけど――なのかとも思ったけれど、もしそうでないのなら、初対面で名前を呼ぶ許可を出すのはかなり珍しいわよね。婚約者候補とかならまだしも」
「特別奔放ということはないはずよ。ヴェリア語を学んだ時に、一応、歴史や文化もある程度は頭に入れておいたから」
それに、あの真面目を絵に描いたようなセレスタンが育った国である。
彼の性格を考えれば、国民性自体はアディルセンのそれとそう変わらないのだろう。
「あなたってすごいわね、本当……」
はえ、と気の抜けたような音を漏らしたユーフェミアだったが、次の瞬間には、再び険しい顔つきに戻っていた。
「とにかく、この件……というか、彼らのことは、一度ジルに相談してみる。手に負えなくなった場合はどうしたらいいのか、判断を仰ぐ必要もあるし」
ユーフェミアが、ロズリーヌの補佐役として選ばれた主な理由がこれだ。
留学生――もとい、使節団の受け入れに奔走しているホルム侯爵の婚約者だから。
当然、他国から高貴な貴族子女たちを多数受け入れるだけあり、監視と保護を兼ねた大人の目もあるにはあるが、学生の中でしかわからない問題が起きる可能性もある。
そういった場合には、緊急の場合を除き、ユーフェミアを窓口にすることになっていた。
「ええ、お願い」
何も起きないのが一番だけれど、とは思うが、あれだけの人数。それも、複数名の問題児と思われる学生たちも含まれている。もはや不可能に近いだろう。
自身にのしかかる負担を考えて、ロズリーヌは思わず遠い目をしてしまうのだった。




