【014】むしろ逆
「嘘?」
セレスタンが目を瞠る。
驚いたようだった。
「ホルム侯爵閣下と戻ってきたあなたが、あまりにも酷い顔をしていたものだから。気のせいかもしれないとも思ったのだけど、ひとまず外に出たほうがいいと思って……」
「じゃあ、私のために?」
「……ごめんなさい」
もう一度謝罪をしたロズリーヌに、セレスタンは少々面食らったようだった。
ロズリーヌとしては、嘘を吐いたことそのものより、嘘を吐いたことで変に心配をかけてしまったことに対する謝罪のつもりだった。
「……いや」セレスタンが細く息を吐き出して首を振る。
「君に隠し事はできないな」
そして、そう言いながら、緩慢な動作で立ち上がると、ロズリーヌの隣に腰を下ろした。
少しの間、二人して、遠くに見える会場の明かりを眺める。
「……近々、他国の使節団の来訪がある」
やがて、セレスタンが重々しく口を開いた。
「あ……確か、うちの学院でも留学生の受け入れがあると」
「……ああ、ユーフェミア嬢に聞いたのか」
「ええ、良くなかった?」
「いや、そのこと自体は、もうすぐ正式に通達されることらしいからかまわないと思うよ」
らしいというのは、セレスタンもホルム侯爵か誰かに聞いたということなのだろう。あるいは、アーロンからということもある――いや、やはり、話の流れからして、今ホルム侯爵との間で、その話があったのか。
「それで、その他国というのが、幼い頃の私が預けられ、数年前まで生活していた国なんだ」
はっとして、ロズリーヌはセレスタンの横顔を覗き見る。遠くを見ているようで、見ていない。その表情が何を意味するのか、ロズリーヌにはわからなかった。
「ということは、セレスタンさまにも協力してほしいと?」
ロズリーヌが訊ねると、セレスタンは「いや」と首を振った。
「逆だよ」
「……逆? つまり、協力はいらないと?」
協力がいらないということを、わざわざ伝えてくるのはおかしい。
現時点でアーロン王子の側近候補でしかないセレスタンは、そもそも外交関係の仕事に直接関わることはほとんどないのだ。
けれど、セレスタンは小さく頷いた。
「まあ、簡単に言うとそういうことかな」
そういうこととはどういうことなのか――気にはなったものの、なんだかそれを訊けるような雰囲気ではない。
セレスタンの表情には、やはりどこか緊張感のようなものが滲んでいた。
だが、セレスタンは掠れた声で話を続ける。
「それで、使節団の中に、少しばかり私と馬が合わない人がいて」
「……それが、先ほど酷い顔色をしていた理由?」
「自覚はしていなかったけれど、具合が悪そうに見えたというのなら、たぶん」
よほどのことがなければ、常に社交用の微笑を浮かべているセレスタン。
そんな彼が取り繕えないほどに取り乱し、馬が合わないというのだから相当なのだろう。
(もしかして、『そういうこと』……使節団の接待に協力は必要ないと言われた原因のひとつに、それもあるのかしら)
ロズリーヌはそう考えたが、セレスタンの額にうっすら滲んだ汗を見て、今は訊くべき時でないと判断した。
「そう」とひとつ頷いて、そっと親指の腹で水滴を拭ってやる。
「ファーストダンスはどうする? 踊れそう?」
次いで、努めて明るい声でそう訊ねると、わずかに驚いたような表情を浮かべたセレスタンは、しかしすぐに頬を緩めて首肯した。
「もちろん。君とのファーストダンスは、今後一生、もう誰にも譲るつもりはないよ」
そう言いながら、セレスタンが立ち上がる。
舞踏会に参加していながら、不慮の事態によりパートナーとファーストダンスを踊れないとなると、だいたいは、その身内の誰かが代役を務めることになる。
ロズリーヌの場合は、父か異母弟。関係が関係であるが、それ以上に、セレスタン自身がそれを許すつもりはないと言っているのだ。
要は、身内であっても男だろうという嫉妬である。
「本音を言えば、ファーストダンス以降も誰とも踊ってほしくないけれど」
セレスタンが冗談めかして言う。
といっても、これまでの言動から、半分本気とも取れるそれに、ロズリーヌはおかしそうに目を細めた。
「まあ、無理なことを言うのね」
「君が本気になれば、無理なことなんてないだろう」
「それはどういう意味?」
「そこらの男の誘いなど、君ほどにもなれば、適当な理由をつけてあしらうことなど造作もないんじゃないかということだよ」
「それ、貶している……わけではないのよね? 念のために訊いておくけれど」
「当然だろう。その頭の回転の速さを羨ましいと思う人間は、たくさんいるだろうね」
「……一応、ありがとうと言っておくわ」
複雑な気持ちになりながらも、ロズリーヌはセレスタンに倣って、腰を持ち上げた。
周囲を見ると、まばらではあったものの、ちらほらいた貴族たちが、会場のほうへと戻っていく。いよいよ舞踏会が始まるのかもしれない。
「そういえば」
エスコートを受けながら、ロズリーヌが思い出したように言った。
「アーロン殿下は、どなたをエスコートされるのかしら?」
このような重要な日に、婚約者がいないからといって、誰もエスコートせず、ひとりきりで入場するのはあまり考えられないことだ。
「ああ、それならエルフェ伯爵令嬢に決定している」
セレスタンが答える。
「エルフェ伯爵令嬢――といえば、ヒセラさまね。確か、殿下の身内の方」
「うん。エルフェ伯爵令嬢の祖母が今は亡き王太后陛下の妹だから、少しだけ遠くはあるけれど、一応親族という括りにはなっているね」
「そのヒセラさまを婚約者に据えるつもりは……」
「ないと思うよ」
「……そうよね。ヒセラさまに限った話ではないけれど、妃殿下のお眼鏡にはかなわなそうだもの」
アーロンが立太子を成し遂げた今、その立場はほとんど盤石になったようなものなのに、王妃が求めるのは『自慢の息子の妃になれる完璧な娘』なのだ。
「このままだと、殿下が婚期を逃してしまうわ」
一国の王子に対して、無礼すぎる心配である。
だが、今の王妃を見ていると、あながちまったくの杞憂とも言い切れない不安がある。
セレスタンは苦笑した。
「本気でまずいことになる前には、流石に陛下が介入してくるはずだから、かろうじてまだ猶予は残されているだろうとは思う」
「……だといいけ――いえ、そう、そうよね」
国王の放任主義という名の放置は今に始まったことではないので、嫌になるほど知っている。
思わず苦々しい表情を浮かべそうになって、ロズリーヌは慌てて頬の筋肉を引き締めた。




