【013】数少ない友人
ロズリーヌがセレスタンと共に会場に入ると、さまざまな種類の――主には好奇の――視線が寄せられた。
(……まあ、そうなるわよね)
小さく息を吐く。
――元第一王子との婚約破棄。
誰に非があったかは明らかで、学院では当初の予想よりはるかに過ごしやすいと感じているが、それでも社交場でのこういった扱いは避けられない。
外野にはわからない何かがあったのではと疑う貴族はいくらでもいるのだ。
そんな中、ひとつの女性の声がロズリーヌを呼んだ。
「ロズリーヌさま」
反応してロズリーヌが振り返ると、学院で最近親しくなった貴族令嬢が、婚約者にエスコートされながら近付いてくる。
「ああ、ユーフェミアさま。ご機嫌よう」
アリンガム伯爵を父に持つユーフェミア・リタ・クラインだ。
「閣下も」
ロズリーヌは、ユーフェミアに寄り添うようにして立つ、彼女の婚約者のホルム侯爵に軽く礼をした。
「ロズリーヌ嬢――それにアンドレアン伯爵も、婚約おめでとう」
ユーフェミアと少し歳の離れた侯爵は、親しみを込めた目で二人を見つめる。
「ありがとうございます」
そういえば、とロズリーヌは思う。
婚約後、ホルム侯爵と会うのは初めてなのだったと。
なんとなくくすぐったいような気持ちで礼を述べれば、公の場ということで、いつもよりやや他人行儀な友人――普段は「ロズリーヌ」「ユーフェミア」と呼び合う仲だ――が、感慨深そうに「本当に婚約したのね」と言った。
それに、ロズリーヌは苦笑らしき表情を浮かべる。
「婚約したことはあなたにも報告したし、おめでとうと言ってくれたでしょう」
「それはそうだけど。あなたに婚約者というイメージがあまりなくて」
それはつまり、前の彼とは、あまりに婚約者らしくなかったということなのだろう。
「まあ、でも――」
ユーフェミアが、ちらとセレスタンに視線を送り、肩を竦め、
「今度は大丈夫そうで、安心したわ」
目元を和らげた。
「安心してください。必ず幸せにし……いや、私が幸せにしてもらうほうかな」
ロズリーヌの身体がわずかに傾ぐ。セレスタンがその華奢な腰を自身のほうに引き寄せたのだ。
冗談めかした言葉が笑いを誘い、空気が緩んだ。
――その時。
荘厳な鐘の音が大きく響いた。
地面が震動し、それが足から直接体に伝わってくる。張り詰めた空気に、肌がビリビリと痺れるようだった。
今、次代の国王を迎えようとしているのだ――。
そんな、滅多に経験できないような緊張感に包まれたロズリーヌだったが、立太子の儀は滞りなく進み、無事に終了した。
会場はそのままに、今度は舞踏会へと移行する。
ホルム侯爵がセレスタンに話があるとかで、早々に休憩室へと引っ込んで行ったので、手持ち無沙汰になったユーフェミアは、次から次へと料理が運ばれてくるのを眺めながら、溜め息を吐いた。
「なんだか、すごかったわね」
「……ええ」
確かに、とロズリーヌは同意する。
あれは、アーロンであって、アーロンではなかった。本当にこの人が国王になるのだと、この時初めて、ロズリーヌは実感した。
「私たちはいつか、この方にお仕えするのねと不思議な気持ちだった」
ユーフェミアが、素直に感想を漏らす。
そして、ひとつ瞬きをすると、訊ねてきた。
「アーロン殿下って、どういうお方なの?」
今は貴族令嬢という当主の付属品でしかないユーフェミアたちだが、次代を担う者としては、その人となりも気になるところなのだろう。
「そうね。傍観者、かしら」
「傍観者?」
「ああ、優柔不断というわけではないのよ」
不安そうな色を滲ませたユーフェミアに、ロズリーヌは咄嗟に否定の言葉を口にする。
今の言い方はあまり良くなかったかもしれない。
「例えば……何か大きな出来事が起きたとして、それが自分に害をもたらさないようなことであれば、じっと息を潜めて様子を観察している。口を挟む機会を窺っているのね。最後までそのままということもあるし、さっさと判断を下して、なにかしら行動に移すこともある、という感じ」
「聞く限りでは、必要な能力を兼ね備えられたご立派な方という印象だけど……」
周囲を気にした様子で、ユーフェミアは声を潜めた。
「もしかして、あまり好きではない?」
「え?」
思わぬ言葉に、ロズリーヌは目を瞬かせる。しかし、それは一瞬のことで、すぐに「いいえ」と首を振った。
「王族を好きか嫌いかで考えるなんて、それこそ不敬なことだけれど――でも、そうね、好きじゃない、と言えるほど知っているわけではないの」
平民に比べると、貴族の家族関係というのは希薄になりがちだけれど、王族ほどではない。
おそらく、兄であるエミールも、異母弟のことはほとんど知らなかったのではないだろうか。当然、その婚約者だったロズリーヌも、アーロンとは距離を置いていた。
無論、顔を合わせれば挨拶ぐらいはするが、それだけだ。私的な会話をしたことは一度もない。
複雑そうな顔をしたロズリーヌに察するものがあったのか、ユーフェミアは「そういえば」と話題を切り替える。
「今度、うちの学院に留学生が来るらしいわ」
それはまた、とロズリーヌは小首を傾げた。
「こちらには留学の話なんて出ていなかったわよね」
通常、貴族家を巻き込んでの留学というのは、交換という形によって行われる。つまり、他国から留学生が来るのであれば、この国からも留学生を出す必要がある、ということなのだが。
「それが、どうも特例らしくて」
「……ああ、もしかして、閣下が?」
「そう。留学生のこと自体は、近々正式に通達されるらしいのだけど」
ユーフェミアの婚約者ホルム侯爵は、外交官として日々精力的に活動している。
そこからの情報だろう。
極秘事項は、婚約者相手であっても決して漏らそうとしないホルム侯爵だが、そうでもないことについては、割とすぐユーフェミアに打ち明けているようだ。
「それで、特例って?」
気になったロズリーヌは、ユーフェミアに訊ねた。
「なんでも、もともとはその国の使節団が一月ほどこちらに滞在する予定だったんですって。それが、使節団の方のご令嬢が、他国の文化を学びたいと言い出したみたいで……」
「ジルも少し戸惑っていたわ」とユーフェミア。
ジルというのは、ジルヴェスター・カルロ・アンヘル。ホルム侯爵のことである。
「ということは、一月ほど――つまり、使節団の方々がこちらに滞在していらっしゃる間だけ、そのご令嬢が留学生としてうちの学院に入ってくるということ?」
「それが、異文化交流をするのに一月では流石に短すぎるということで、使節団がこの国を出たあともしばらくこちらにいるらしいわ。正確な期間はまだこれかららしいけれど」
ほう、とロズリーヌは溜め息を吐く。
「よく許可が下りたわね」
他国の留学生を受け入れるというのは、簡単なことではない。多くの手順を踏まなければならないし、それだけ人手や労力も必要になる。
交換留学であれば、それはお互い様と呼べるものかもしれないが、今回の場合、負担がかかるのはこの国だけなのだ。
令嬢をひとり送り出すだけの向こうはともかくとして、よくこの国が許可したものだと思う。
「ああ」
ユーフェミアがつまらなそうに言った。
「そのご令嬢とやら、公爵令嬢なんですって」
なるほど、とロズリーヌは理解する。
相手が公爵令嬢なのであれば、父親は公爵。使節団がわざわざこの国を訪れるというのだから、なにかしらの話し合いが持たれるのだろうし、あまり無下にすることもできなかったのだろう。
言ってみれば、公爵令嬢の我儘だ。
他国の文化を学びたいのであれば、正式に申し込みをすればよいのにもかかわらず、まるでついでかのような扱いで多くの人を巻き込んでいる。
ホルム侯爵こそ、その筆頭である。
ユーフェミアが面白くなさそうな顔をするのも、当然のことだった。
「……閣下も大変ね」
「本当よ。この前なんて、最近は忙しさのあまりほとんど眠れていないとかで、私と出かける途中の馬車で眠ってしまったのよ」
「まあ……」
「疲れているって知っているし、起こすわけにもいかないじゃない? 結局、その日はそのまま帰ってもらうことにしたわ。あの人は申し訳なさそうにしていたけれど、無理に外出して倒れられても困るから。……でも、久々に会えたのにとは思うでしょう」
歳は離れていても、仲の良い婚約者だ。
ユーフェミアがホルム侯爵のことをどれだけ愛しているか、ロズリーヌはよく知っている。
「この件が終わったら、ジルにはたくさん休みを取ってもらわないと」
呻くように、ユーフェミアが言う。
「こうなったら、むしろこの件を利用してやるわ」と意気込むユーフェミアに、ロズリーヌは小さく笑った。――強い人だ、と。
「……どうかした?」
それは注視しなければわからないほどの小さな微笑みだったが、ロズリーヌの雰囲気が和らいだことに、ユーフェミアは気がついたのだろう。
猫を彷彿とさせる双眸をきょとんとさせる。
「いいえ、恋をするって素敵だなって」
二人には、二人にしかわからないこともたくさんあるはずだ。
けれど、恋というものに正面から向き合っているユーフェミアが、どうしようもなく眩しく見えた。
「可愛い」
ロズリーヌが素直な気持ちを告げれば、ユーフェミアは頬を赤らめて、視線をぎこちなく右に流す。恥じらっている様子も可愛らしい。
「――そうだろう」
微笑ましくその様子を見守っていると、低い声が割り込んできた。
「彼女の愛らしさは、私だけが知っていればいいと思っていたんだが、あなたにも気付かれていたようだ」
振り返ると、いつの間にかホルム侯爵がそこに立っていた。
話し合いというのが終わったらしい。
「ええ、もちろ……ん」
軽やかに答えようとして、言葉に詰まる。
ホルム侯爵の後ろに佇む婚約者の顔が、見るからに強張っていたからだ。どことなく、顔色も悪いような気がする。
(……話し合いでなにか……)
思わずホルム侯爵を疑ってしまいそうになったが、ここで問い詰めるわけにもいかない。「うちの婚約者の様子がおかしいのですけれど?」などと。
(とりあえず、休んでもらったほうがよさそうだわ)
――でも、どうやってここから抜け出そう? 聞きもしないで、セレスタンさまを体調不良にするわけにもいかないし。
もしかしたら、自分の気のせいという可能性もある。しかし、そんなことを考えたのは一瞬だった。
「セレスタンさま、わたくし……ああっ」
自身の婚約者に近付こうとして、ロズリーヌは数歩ほど前進し――バランスを崩した。
貴族女性の得意技、気絶。
――が、できたらよかったかもしれないが、ロズリーヌがそれをするとわざとらしくなってしまうような気がしたので、足を捻る(振り)程度に留めておくことにする。
「あ、っぶ……!」
咄嗟に差し出された手が、ロズリーヌの体を支えてくれる。勢い余って、その腕の中に収まる形になってしまった。
「ロズリーヌ、具合でも悪い?」
すらっとした外見に反して、意外と逞しい体をしているのだなと考えていると、セレスタンがロズリーヌの顔を覗き込む。
ロズリーヌは首を振った。
「いいえ、体調は問題ないわ。ずっと立ち話をしていたから、急に動いたのがよくなかったのかも。……でも、今ので少し足首を捻った――」
「それは大変だ。閣下、失礼してよろしいでしょうか」
言いながら、セレスタンはすでに、ロズリーヌを抱え上げる動作に入っていた。
「それはやめて」ロズリーヌが小さな声で抗議をすると、不服そうではあったものの、セレスタンはのろのろと体を起こし、代わりに腕を差し出してくる。
「あなたたち二人は、仲が良いな」
からりと笑いながら、ホルム侯爵はロズリーヌたちを見送ってくれた。
その隣では、ユーフェミアが「じゃあ、また」と口の動きだけで伝えてくる。ロズリーヌの行動が演技であると気がついているのかいないのか、心配をしている様子はない。
ともあれ、婚約者のエスコートを受け、ロズリーヌは人もまばらな庭にやって来た。
このまま帰ってしまうわけにはいかない。
なにしろ、舞踏会はまだ始まってもいないのだ。せめて、ファーストダンスを踊るまでは参加する義務がある。
「少し待っていて」
中央にある噴水の縁にロズリーヌを座らせ、セレスタンはポケットから取り出したハンカチを水で濡らした。それをぎゅっと絞って、ロズリーヌのほうに差し出してくる。
「自分で足を冷やせる?」
そう言うと、セレスタンは目を瞑った。
貴族女性が足を出すのははしたないこととされているからだろう。婚約者であっても、異性に対しては特に。
(……真面目で、律儀な人ね)
そこに少しのおかしさを感じながら、ロズリーヌは「ごめんなさい」と呟いた。
「あれ、嘘なの」
――よいお年を!




