【012】その瞬間
正直、ロズリーヌにはわからなかった。
将来有望なセレスタンが、なぜ自分などに好意を寄せてくれるのか。
自分自身では、これといったきっかけが思いつかなかった。
「気になる?」
セレスタンはわずかに目を見開き、驚きを露わにする。
「そうね、それなりに」
ロズリーヌが頷くと、身に纏っているドレスと同じ色の双眸が細められた。
「一目惚れかな」
「……まあ」
「意外そうな……というより、信じていない顔だね。一目惚れ」
一目惚れという事象は知っていたが、そこには陳腐な響きがあるような気がしていた。
そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。
セレスタンがおかしそうに笑う。
「まあ、厳密には『一目惚れだった』とあとで気付いた感じだったんだけど」
そして、付け足すようにそう言った。
「ええと、それはつまり……?」
きっかけはわかったが、それでは質問の答えになっていないではないかとロズリーヌが訊き返す。
セレスタンはうんとひとつ頷いて、再び口を開いた。誤魔化そうとしたわけではないらしい。
「私と君が初めて会った時のことを覚えている?」
「もちろん。だってあなたの家で開かれた、あなたの帰国パーティーでのことだもの」
今でこそ毎日を健やかに過ごしているセレスタンだが、実は、幼い頃は体が弱かった。
そのため、つい数年前まで、この国より医療が発展している隣国で過ごしていたという事情があったのだ。
健康を取り戻したセレスタンの帰国に合わせ、公爵家ではパーティーが開かれた。顔見せも兼ねていたため、上級貴族の多くが招待されたのだが、ロズリーヌもその中のひとりだったというわけである。
初めて対面したのは、確かその時だったとロズリーヌは記憶している。
「うん、君にとってはそうだろうと思う」
「……ということは、違うのね」
「私が君を最初に見たのは、王宮だった。陛下に帰国のご挨拶をと思って」
「ああ……」ロズリーヌは、話に聞き入りながらも、どこかぼんやりと相槌を打った。
「その時、君は丁度口論をしていたようだった」
誰と、などとは訊かずともわかる。
城内でロズリーヌが口論できる相手は、ひとりしかいない。
「こんなところで迂闊だなあと思ったよ。人目があるところでこんなことをして、噂になるのは間違いないし、感情的になるあまり、下手なことでも言ってしまったら大変なことになるのにって」
「それは……その通りだわ」
かつての婚約者と口論になることは、そう多くなかった。そもそも、ロズリーヌが人前で感情的になること自体、非常に珍しい。
なので、セレスタンは、その数少ないうちの一度を目撃してしまったということなのだろう。
「それで、君の相手は肩を怒らせながら去って行ったのだけど、その後ろ姿を見送る君の背中が寂しそうで、もしかしたら泣くんじゃないかと思った」
「泣いてはいなかったでしょう?」
確認するように訊ねると、セレスタンは「うん」と頷いた。
「正直、女性の涙は少し苦手で――泣いていたら厄介だなと思って、声をかけようとしたんだ。そしたら、その前にこちらの気配を察知したのか、君がパッと振り返った」
――といっても、然程近くにはいなかったから、私の存在には気がつかなかったようで、目も合わなかったけれど。
セレスタンが言う。
「でも、その瞳の色が苛烈で、忘れられなかった」
告白しながら、セレスタンが瞳の奥を覗き込んでくるような仕草をしたので、ロズリーヌはどうにも気恥ずかしくなって、視線を彷徨わせた。
そして、その恥ずかしさを誤魔化すように「瞳……」と繰り返す。
「そう。傷付いているようでいて、決して折れてはいない強烈な色。君はすぐに相手を追いかけるようにして行ってしまったけれど、もっと見ていたい、もう一度振り返ってほしい、と思った」
「……それが、一目惚れ?」
「うん。その時はそうだと気がつかなくて、その次が帰国パーティーの時。そこから距離が近付いて、君に惹かれ始めた。で、君への好意を自覚するのと共に、『ああ、たぶんあの時から好きだったんだろうな』って」
『感情的になってはならない』と厳しく躾けられる妃教育に、相反するような行動を取ったその瞬間の出来事により、一目惚れをしたということだ。
ロズリーヌは複雑な気持ちになった。
「複雑……」
思わずそれを声に出してしまって、慌てて口を閉じる。
(……嫌だわ。ずっと根気強く見守っていてくれた人という印象が強いせいか、セレスタンさまの前だと、どうしても気が抜けてしまうのよね……)
うっすら好意らしいものを感じてはいたものの、かつての婚約者との関係を悩んでいた時にも、セレスタンはさりげなく気遣ってくれていた。
流石に愚痴を吐いたりはしなかったが、異性からの助言が欲しいときなどには、セレスタンを頼ったりしたものだ。――もっとも身近であるはずの父がなんの役にも立たなかったので。
こういった流れがあるからか、今や婚約者となったセレスタンの前だと、どうしても気が抜けてしまう。
「うん、うれしい」
咄嗟に唇を結んだロズリーヌを見て、セレスタンが眩しそうに目を細める。
なにがだ、とロズリーヌが再び視線を戻すと、ヘーゼルの瞳が、言葉通りうれしそうに笑んでいた。
「以前は――私が婚約者になる前ということだけど――そこまで無防備になってくれることはなかったから」
婚約者の特権かな、とセレスタンが声を弾ませる。
「それだけじゃないわ」
ロズリーヌはすかさず口を挟んだ。
「婚約者という肩書きだけで、わたくしは安心したりしない。あなたがやってきたことの積み重ねが、わたくしをこんなにもだらしなくさせるんだわ」
最後のほうは意図せず不貞腐れたような調子になってしまって、またもやロズリーヌは頬を染めることになった。
――子どもじゃないんだから。
「それはますますうれしいな」とセレスタンは笑みを深くするが、ロズリーヌは、心の内で自分自身を叱りつけた。もっとシャキッとしなさい、と。
しかし、改めて言い聞かせる必要はなかった。
いつの間にか、速度を落としていた馬車が、ゆっくりと動きを止めるところだったからだ。立太子の儀が行われる会場に到着したのである。
扉が開き、先にセレスタンが外に出る。
「――お手をどうぞ、美しい人」
ロズリーヌはおもむろに腰を持ち上げると、差し出された手に、すっと自身の手を重ねた。
(当然だけれど、厳かな雰囲気……)
自然と背筋が伸びる感覚がする。
かつては、自分には味方などいないのではないかと思っていた儀式、舞踏会、夜会。
今は、隣に寄り添ってくれる人がいるのだと思うと、こんなにも心強い。
爪先から地面に降り立ち、ロズリーヌが横に立つその人を見上げると、柔らかい色を映し出した双眸が、優しくこちらを見下ろしていた。
ベラ・ドンナ(Bella Donna):イタリア語で「美しい女性(淑女)」の意。
※といっても、本作はイタリアをベースにしたお話というわけではありませんので、あしからず。欧州あたりのどこかっぽい雰囲気、とふんわり思っていただければ……!




